言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

何か足りない『七つの会議』

2019年02月04日 23時58分29秒 | 評論・評伝

 

七つの会議 (集英社文庫)
池井戸 潤
集英社

 

 

  最近、娯楽映画が観たくて仕方ない。それでこの日曜日も観に行つた。

  企業内のいざこざを過剰な表現で映像化したもので、特に新鮮味はない。過剰なのは演出だけでなく、俳優陣もこれでもかこれでもかといふほど器用されてゐる。こんな役者をこんなチョイ役で使ふなんて勿体ないとさへ思ふシーンがいくらもある。お金をかけてゐるな、そんな感じである。

  しかし、何か大事なものがなかつた。演技が過剰で、真実味がないとでも言ふのか。切実なキリキリとした切迫感がないのである。その意味では主役の役者は間違つてゐたやうに思ふ。役所広司を主役にしては、役所広司頼みが過ぎるかも知れないが、香川照之と野村萬斎では、サラリーマンの悲哀は出てこない。このミスが勿体ない。池井戸潤の原作を一つ無駄にしてしまつたやうに思はれた。

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