言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

櫻と太陽の塔

2009年04月06日 21時50分15秒 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0103_2   この三年ほど大阪萬博公園に花見にでかけることにしてゐる。歩いてきつかり一時間で着くから散歩にも最適である。咲き始めたかと思つた頃に少し寒くなり、機會を搜してゐたが、昨日の日曜日は氣温も高く、天氣もよく、最高の花見日和であつた。花は七分咲きといふところだらうが、だれも花見などしてゐない。酒を飮んだり食事をしたり談笑したり遊び囘つたり、とにかく春の訪れを滿喫してゐる風情である。もちろん、私もじつと座つて櫻の下で感慨に耽けるほどの風流人ではないから、どれを見ても變はらないはずなのに、一本でも多く櫻を見たいといふ衝動にかられ、ただひたすら歩き囘つてゐた。酒はまつたく受け付けないので御茶を飮みながら、カメラを首にぶらさげての散策である。そして、御決まりの太陽の塔。櫻の花と太陽の塔、かういふ景色は、萬博開催當時はあつたのかしらんと寫眞を今見て思ふ。

   Img_0108_11歩きながら家内が友人から聞いた話として教へてくれたことによれば、萬博以後に生れた大阪人には、太陽の塔と萬博とはあまり繋がらないものであるらしい。もちろん、知識としては知つてゐる。岡本太郎も月の石も御祭り廣場も名前は知つてゐるやうだ。しかし、いちばん實感として思ふのは、高速道路から太陽の塔が見えると、「ああ、大阪に歸つてきたな」といふことらしい。太陽の塔は、萬博の象徴といふより、大阪のシンボルになつたといふことなのだらう。私は、殘念ながら萬博には行つてゐない。もちろん生れてはゐたが、當時は靜岡に住んでゐたから、父と兄は出かけたが幼い私までは連れて行つてもらへなかつた。そんな私にも太陽の塔は萬博のものである。それは知識ではなく實感である。今の公園のあの見事な森林のなかですつくと立つた太陽の塔は、まぎれもなく大阪の物であるが、私といふ個人には、あのほこりつぽい、なんだか希望だか不安だか分からない「進歩と調和」の未來を純粹に憧れることのできた時代のバンパクの象徴である。

   Img_0111今の社會の氣分は透明で洗練されてはゐるが、手應へのない時代のやうな氣がする。森林の中の太陽の塔は、飛立つ鳥のやうにも見える。手應への無さゆゑか、春の輕やかさゆゑか、太陽の塔がふわりとしてゐるやうに見えた。

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