言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

理想の「國語讀本」出來!

2009年04月17日 22時23分03秒 | インポート
日本人を育む小学国語読本 低学年用 日本人を育む小学国語読本 低学年用
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:2009-03
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  本日は(「本日も」かな)、本の紹介である。編者の土屋道雄先生から御惠贈賜つた本二册である。「はじめに」のところで、「『お粥』のやうなもので、咀嚼する力もつかず、十分な発育を期待することはできません」と書かれてゐるやうに、日本の文學の傳統と何にも關係のないところで書かれた、妙に讀者に分かりやすく、現代のどこにでもあるやうな、文體の魅力もない小説が、漫畫雜誌かと間違へるほどの繪ばかりで、しかもずいぶんと薄い教科書に載つてゐる現状では、日本人は出來上らない。そんな教科書で事足りると考へてゐるから、「小學生にも英語教育を」などといふ愚民化政策が平氣で行はれるのである。

   宗教がない國にあつて、文學の力に依らずして、どう日本人を育てようと言ふのか。悲しいとはどういふ感情なのか、切ない氣持をどう飼ひ馴らすのか、卑怯とはどういふことなのか、人のために犧牲になることが何をもたらすのか。理想的人間像も、惡の根源も、引き裂かれる自我も、本來ならば全うな宗教が示してくれるはずである「人間の實相」であるが、それを傳へてくれるものが私たちにはない。價値の多樣化などといふ、美しい言葉で胡麻化してきたこの三十年ほどであるが、いよいよその化けの皮も剥がされてきた。價値は多樣化しない(多樣化しないから價値なのである)といふことを教へる宗教がないのであれば、文學の力に頼るしかあるまい。しかも本物の文學の力によつて。

  本書は小學生を對象にしたものであるが、今後は、中學生、高校生を對象にした副讀本を期待したい。本物の文學を讀まなくなれば、私たちが日本人であるといふことがますます不分明になつていく。

   文學の力によつてしかできないことがある。そして、それが今必要なことなのである。

コメント (2)
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