漱石母に愛されなかった子 (岩波新書 新赤版 1129) 価格:¥ 777(税込) 発売日:2008-04 |
もちろん、瑕疵もないわけではない。「母に愛されなかつた子」といふ主題で、近代にぶつかつた漱石像のすべてを言ひ尽くすのはもとより強引過ぎるのであり、土台無理である。しかし、さういふ側面で描ききるといふ筆力はすばらしい。その一つの証左が、『猫』の冒頭部分の解釈である。
「『硝子戸の中』を読んで漱石の出生の秘密に接した後に、『吾輩は猫である』を読み返すと、胸に迫ってくるものがちょっと違ってくる。たとえば冒頭の部分からしてそうです。」と書いて、誰もが知る「吾輩は猫である。名前はまだない。」を引き、『硝子戸の中』の一部を重ねる。「漱石はその第二十九章を、私は両親の晩年になって出来たいわゆる末っ子である、私を生んだ時、母はこんな年をして懐妊するのは面目ないと言ったとかいう話が、いまでも折々は繰り返される、と、書き出しています」と記す。
誕生を期待されずに生まれた子供(漱石)は、その後養子に出される。その経緯も『硝子戸の中』には詳しい。さういふ状況を知つて、「名前はまだない」といふ『猫』の冒頭を読むと、まさに「胸に迫ってくるものがちょっと違ってくる」。私は、不勉強だから、かういふ解釈は漱石研究においては「常識」であるのか否かを知らない。しかし、私に最初にそのことを知らせてくれた本書はありがたいものである。さう言へば、猫は最後には酩酊して水がめに落ちて死んでしまふ。名もないままに(愛されずに)死んでしまふ姿は、三浦氏の主題を肯定することにもならうか。
小説を読むときに、その作家の生涯を知らなければならないなどといふことは、邪道であらう。しかし、この場合、その読み方は正道であるやうに思へた。かういふ読み方で漱石作品を味はふと、作品全体を貫いてゐるもの、それを則天去私だとか、士大夫の精神だとか、と一元的に論じるのも間違ひであるやうに思はれた。
一昨日、熱が出て一日床に臥してゐたが、『硝子戸の中』を読み返した。私はなぜか『硝子戸の女』と言ひ間違へるのであるが、今回読んで、「女」がずゐぶん印象的に書かれてゐることを感じた。一人の女ではない。とは言へ、三浦氏の主題である「母」だけでもない。漱石の心に引つかかる「女」の存在である。何気なく書かれた小品(日記風随筆)であるだけに、案外大事なものが出てゐるやうである。このことも三浦氏は書いてゐた。
『硝子戸の中』は三時間ほどで読めるのではないかな。御一読をすすめたい。
硝子戸の中 (新潮文庫) 価格:¥ 300(税込) 発売日:1952-07 |