古墳時代(11)
ヤマト・タケル物語が語ること(7)
最近は、神話が語られることも少なくなりましたが、ヤマト・タケルの物語はいかがでしたか。
加古川誕生の古代の英雄です。おもしろさも倍増します。
でも、神話であることを頭の隅においてお読みください。
ヤマト・タケルの語ることを考えてみましょう。
いろいろと想像できるのですが、ここでは、次のように考えておきます。
ヤマト・タケルの物語ること
「ヤマト・タケルは、どうも好きになれない」という人もおられたのではないかとも想像します。
というのは、クマソ・タケルやイズモ・タケルを征伐するときに「だましうち」にしているのです。
ここで、少し断っておかなければなりません。
古代においては「ダマす(謀る)」ということは悪いことではなく、ダマされる者が、それを見抜くことができなかった愚か者と考えられていたようです。
つまり、ダマす(謀る)ことは、知恵(科学)の芽生えなのかもしれません。
この物語には、やたら「タケル」という人物が登場しました。
「タケル」というのは勇者という意味です。
ですから、ヤマト・タケルというのは大和の勇者ということです。
「タケル」という人は、大和に従わない地方の豪族の中にもたくさんいました。
この物語は、4世紀の後半から5世紀の初めのころを中心としていると思われますが、この時期は、地方にも軍事組織である「健部(たけるべ)」が存在していました。
そして、なお不思議なことに、その土地の多くは鉄の産地なのです。
こんな事実から考えると、ヤマト・タケルの物語は、地方のタケル(地方豪族)との戦いであり、それも鉄の産する地方を支配しようとする物語なのかもしれません。
それがいつしかヤマト・タケル一人の物語をして描かれていったのでしょう。
注:図の太線は古事記によるヤマト・タケルの征服コース、細線は日本書紀の記す征服コース(no4763)