西条廃寺と人塚
神野町西条の城山(じょやま)から南に伸びる標高30メートルばかりの台地に西条廃寺があります。
西条廃寺(白鳳時代)については、後に調べることにしましょう。
写真は、西条廃寺の塔跡の一部から正面の森を撮っています。
その森は、5世紀古墳の人塚古墳です。
西条廃寺は7世紀に、人塚古墳に接して建設されました。
古代寺院の側に古墳がしばしば見られる場合があります。
人塚被葬者は、西条廃寺の建造者か?
歴史学者は、「古墳の有力な被葬者が、この頃仏教文化を取り入れ寺院をつくった」と考えています。
古代人は、基本的には、素朴な森や大きな岩(磐座)など自然物を神として崇拝していました。
やがて、日本へ仏教が伝えられました。
それとともに寺院や仏像が伝わりました。
その煌びやかさに、驚きと、崇拝の気持ちを、仏教に衣替えした豪族も多かったようです。
彼らは、古墳の近くに寺院を築造しました。
人塚の場合もその代表的な例といえそうです。
西条廃寺を建設した人塚の被葬者ではないかと考えられるのです。(no4751)
*写真:西条廃寺の塔跡の一部から正面の森(人塚古墳)を撮影