古墳時代(4) 同范鏡(どうはんきょう)
日岡山の古墳から3枚の神獣鏡(しんじゅうきょう)が出土しています。
これら神獣鏡は「同笵鏡(どうはんきょう)」です。
耳慣れない言葉ですが、「同笵鏡」は、同じ鋳型でつくられた鏡のことで、この「笵同鏡」を研究している学者は、次のように結論づけています。
力を持った豪族が、同盟関係を結んだ印として他の豪族に与えたもので、従って、同笵鏡の分布状態を調べることにより当時の勢力関係をしることができます。
日岡山の豪族は、どうやら大和の豪族からこの鏡を与えられたようです。
そうすると、4・5世紀の頃、日岡豪族は、大和の豪族の勢力下にありました。
日岡豪族にとっても、大和の豪族と同盟関係をむすぶ必要があったようです。
というのは、自分たちと大和の豪族が結びつくことにより権威を高めることができるし、そして、何よりも自分たちの地方が攻撃を受けた時、大和から援軍も期待できます。
加古川地方は、大和とそれに対する出雲・吉備地方との接点にあり、絶えず自らの軍事力を必要としました。
日岡山の伝説には、天皇の話がしばしば登場します。
これはこの地方が大和と強く結びついていたためでしょう。(no4756)
*写真:東車塚古墳出土の同范鏡