古墳時代(2)・日岡山古墳群
日岡山には図のように多くの古墳があります。
現在残っている古墳は図のように、①勅使塚、②南大塚、③西大塚、④北大塚、⑤狐塚、⑥西車塚です。
これらの古墳群の多くの古墳は4世紀にさかのぼり、被葬者は日岡山の南に広がる平野を約200年にわたって支配していたと考えられます。
平野部には、南西約2キロメートルの溝口遺跡・美乃利遺跡等の遺跡があります。そのあたりは、早くから開けていたようです。
中でも、「溝口・美乃利遺跡」は、弥生時代から平安時代にかけての複合遺跡で、古墳時代の住居跡も発見されています。
この辺りは、加古川の氾濫原の中にあって比較的安定し、しかも水利に恵まれた場所でした。
溝口遺跡・美乃利遺跡は、
日岡豪族の生活した集落か
『加古川市史(第1巻)』に、次のような面白い記述があります。
・・・日岡山古墳群の現存する5基(前述の4基と稲日大郎姫の御陵)の前方後円墳は、すべて前方部を南に向けている。前方後円墳については、必ずしも定説があるわけではないが、前方部を平野側に向けている場合が多い。
それはまた、被葬者が支配した土地とみなしてよさそうである。したがって、日岡山古墳群の方向と平野部の遺跡との関係は大変興味深い・・・
つまり、溝口遺跡・美乃利遺跡は、日岡豪族が生前生活していた集落であったと指摘しています。
(no4754)
*地図:『加古川市の文化財』(加古川市教育委員会)より
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