西条古墳(群集墳)と西条52号古墳
◇西条群集墳◇
山手中学校の北方、西条の丘陵地帯に、かつて約30基ばかりの古墳がありました。
これらの古墳は、1963年(昭和38)にはじまった住宅造成工事により全て破壊されてしまいました。
現在は、規模の大きな行者塚(ぎょうじゃづか)・尼塚(あまづか)・人塚(ひとづか)を残すのみです。
現存する3基の古墳などから判断して、これらの群集墳の多くも5世紀古墳で、4世紀古墳の多い日岡古墳群より新しい古墳です。
これらの古墳は、日岡古墳からの墓所の移転ではなく、異なる豪族墓所であったのだろうと考えられています。
西条の群集墳の破壊は、宅地造成とはいえ残念なことです。
一度破壊された遺跡は復元することができません。
◇西条52号古墳◇
古墳の調査中、城山(じょやま)の西隅にある古墳は、他の古墳よりはるかに時代をさかのぼる、およそ3世紀の前半の古墳であることが分かりました。
「西条52号古墳」(図中の赤印)と命名されました。
西条52号墳は径約15mの円墳で、わずかに盛り土があり、播磨地方でも発見例の少ない弥生時代の墳丘墓でした。
鏡(内行花文鏡)・鉄・高杯・壷等が出土しています。(no4750)
*『加古川市史(第四巻)』(加古川市史編さん委員会)参照