古墳時代(8) タケル東国(焼津)へ、ヤマトタケル物語(4)
イズモ・タケルを征伐して大和に帰ってきたとおもうや、父・景行天皇は、こんどは「・・・東の方にらんぼうな、大和に従わない悪者がいる。それらを、従えて参れ・・・」とタケルに命令するのでした。
タケルは東国への途中、伊勢の叔母のヤマトヒメを訪ね別れの挨拶をしました。
なぜか、悲しくなり「帝(父・景行天皇)は、東国を征服してまいれ、とおっしゃいました。
私は、どうなってもよいとお考えなのでしょうか・・・」とヤマトヒメに泣き崩れるのでした。
ヤマトヒメは「もしものことがあったら・・・」と、剣と袋を与え、やさしくタケルを慰めました。
タケルは尾張(愛知県)の長官・ミヤズヒメの館にとまり、結婚の約束をして、さらに東へと進みました。
やがて、相模(静岡県)に着きました。その国の長は、うまくタケルをだまし殺してしまおうと嘘を言ったのです。
「・・・あの広い野中に、大きな沼があります。そこに人々を苦しめる悪い神が住んでいます。どうか、平らげてください・・・・」と。
それを信じたタケルは、その野に出かけました。
背丈ほどの枯れた草が伸びていました。しばらくするとパチパチ・・・というカヤの燃える音がしました。
やがて、青い炎・・・
「おや・・」と思ったときは、すでに火に囲まれ、次第にタケルにせまってきました。
その瞬間、叔母のヤマトヒメからもらった袋のことを思い出しました。
開いてみると、火打石がでてきました。
タケルは、剣を抜き、枯れた草をサッ~と切り倒し、その火打石で火をつけました。
すると、どうしたことか、たちまちに風向きが逆になり、火も反対に燃え広がっていったではありませんか。
敵は逃げることができず、家もろとも焼き払われてしまいました。
それ以来、その場所は「焼津(やいづ)」と呼ぶようになったということです。(no4760)