前号から古墳時代の紹介を始めましたが、弥生時代の銅鐸の紹介が抜けていましたので、挿入させていただきます。
望塚(ぼんづか):銅鐸の出土地は?
東沢1号墳は、(加古川近辺で発見された唯一の銅鐸が発見された)望塚(ぼんづか)があった水田の下の地層から新たにみつかった古墳です。
調査の結果、5世紀前半に造られた古墳であることが明らかになりました。
古墳の斜面には、葺石(ふきいし)が比較的良好に残存するとともに、古墳の周りを囲む周溝内からはたくさんの埴輪(はにわ)や土器が出土しています。
この他、弥生時代(約1800年前)の竪穴住居跡もみつかりました。
東沢1号墳は、望塚(ぼんづか)があった水田の下の地層から新たに見つかった古墳です。
望塚の場所から、加古川市内で唯一、弥生時代の祭器である銅鐸が発見されました。
少し、不思議です。説明が必要のようです。
銅鐸は、弥生時代の青銅器です。
東沢1号墳は、もちろん古墳時代の塚です。
歴史は、弥生時代から古墳時代へと移行します。
とすると、少しおかしなことになります。
新しい古墳時代の遺跡の上に、古い弥生時代の望塚があることになります。
『加古川市史(第一巻)』から、望塚についての記述を読んでみます。
「・・・(望塚の)銅鐸の出土した年代については諸説があり、一致しない。
大正二年、同三、四年、同七年、同十三、四年の五つの説がある。・・・・銅鐸出土に関しては、こうした基本的なことさえ、わからにことが多いのである・・・」
塚の上に「大正十四年八月、末沢隆次建立」の文字がありますが、当時すでに発見場所もはっきりしなくなっていたのでしょう。
そして、場所の確定のないまま、「この辺にしておこう」と土盛りをして望塚としたのが真相に近いようです。
東播磨南北道路が望塚の上を通過することになりました。遺跡の調査が行われ、このことが確かめられました。
現在、銅鐸の出土地とされている望塚は、少し東へ移動しています。(no4753)
*写真:望塚(ぼんづか)から出土した銅鐸