妙 正 寺 *志方町横大路
S氏は、山門横(東)の建物を見て、「鐘楼かな?」という。でも、鐘楼は、山門の西にある。住職に確かめてみると、太鼓堂であるとのこと。
この近辺で、太鼓堂のある寺は珍しい。「かこがわ100選」に入れさせていただいた。
この太鼓堂について、礒野道子さんが『志方郷(13)』に書かれているのでお借りした。(一部を省略)
太鼓堂のある寺
山門のすぐ東側に太鼓堂はある。
瓦屋根の上に、太鼓を納めたやぐらがそびえる。
・・・・一階の入り口から入ると、右側の壁に沿うて、胴縁が六段程三十センチおきに打ち付けてある。これを足がかりにして二階へよじのぼると、思ったより明るい。
秀吉公ゆかりの品と伝えられる太鼓は、その中央に吊り下げてある。
丸い皮の直径は七十センチ、胴の丈は八十五センチもあって堂々としている。住職の叩かれる太鼓の音は今も大きく堂内に響き渡る。
・・・・ この太鼓について『印南郡誌』は三通りの説を伝えている。
一説には天正年間、妙正寺が蓮光坊と呼ばれていた頃、軍師として秀吉がこの境内に陣を進めた。近辺平定の後、陣太鼓は当坊に納め置かれた。
また一説には明智光秀反逆により、中国路から馳せ帰る秀吉のため、蓮光坊住職が老体ながら、の湯など沸かして世話をしたので、喜んだ秀吉は陣太鼓をくだされた。
もう一説は、朝鮮出兵に際し、肥前の国より帰る秀吉が、前年の礼として陣太鼓を納めた。
・・・・
お寺で、お経がはじまるぞ!
太鼓堂および鐘の伝承はともかく、太鼓は、戦前まで、次のように用いられていた。
寺の行事、報恩講や永代経が始まる三十分前に、先ず太鼓が打ち鳴らされる。
村人はそれを合図に着衣を改め、寺参りの準備をする。
次に鐘が鳴るとお経が姶まるので、人々は寺へ参ったという。
寺の太鼓や鐘の音は時を告げる大切な手段であった。
*写真上:妙正寺太鼓堂
〃 下:妙正寺本堂