多木浜洋館(あかがね御殿) *別府町東町
地元では、この多木邸(写真)を「あかがね御殿」と呼んでいる。
今でこそ、周辺に大きな建物があるが、昔は別府の浜に聳えていた。
三階建て、それも各階の高さが普通の家よりずっと高い。実質四階分はある。
さらに大きな屋根が乗る。二階建ての町並みの中に立つ五階分の建物は、目立たないわけはない。
それに、建物の全面に銅版が張られている。言葉の綾ではなく、文字どおり全面に銅版が張られている。
日本の場合、江戸時代日光東照宮などで僅かに使われているが、ふつうの建物に銅版の使用は禁止されていた。
木造の場合、防火・防水のためにどうしても金属を張りたくなる。
関東大震災以降、銅版を張った建物がふえた。
今は「緑青(ろくしょう)」で表面は黒ずんでいるが、完成したばかりの赤銅色に輝いている「あかがね御殿」を想像して欲しい。
とりわけ瀬戸内の落日の中で輝く「あかがね御殿」の雄姿は、はまさに圧巻であったに違いない。
中に入ると、まず巨大な階段室の吹き抜けに仰天する。
吹き抜けの中を三階に昇る。そして、四階の展望室に出る。
ここから瀬戸内海が一望できた。
昭和8年に完成
御殿は、大正7年(1918)に着工、すべてが完成したのは昭和8年(1933)である。
実に15年、贅をつくしての完成であった。
予算算定は不能だったというからすごい。
久米次郎は、明治41年から衆議院議員、昭和14年からは貴族院議員を務め、「あかがね御殿」は来客をもてなすために建てられたものであった。
建築家の藤森照信氏は「・・・(あかがね御殿)は、和洋折衷のインテリアを持つが、この折衷ぶりがなかなかの見もので、ヨーロッパ建築史上で一番派手なネオ・バロック様式と、日本史上で最もギンギラな安土桃山期の書院をミックスしている・・・・」と指摘する。