ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

かこがわ100選(17):多木浜洋館

2013-02-19 11:07:29 |  ・加古川100選

多木浜洋館(あかがね御殿)    *別府町東町

Akaganegotenn 地元では、この多木邸(写真)を「あかがね御殿」と呼んでいる。

 今でこそ、周辺に大きな建物があるが、昔は別府の浜に聳えていた。

 三階建て、それも各階の高さが普通の家よりずっと高い。実質四階分はある。

 さらに大きな屋根が乗る。二階建ての町並みの中に立つ五階分の建物は、目立たないわけはない。

 それに、建物の全面に銅版が張られている。言葉の綾ではなく、文字どおり全面に銅版が張られている。

 日本の場合、江戸時代日光東照宮などで僅かに使われているが、ふつうの建物に銅版の使用は禁止されていた。

 木造の場合、防火・防水のためにどうしても金属を張りたくなる。

 関東大震災以降、銅版を張った建物がふえた。

 今は「緑青(ろくしょう)」で表面は黒ずんでいるが、完成したばかりの赤銅色に輝いている「あかがね御殿」を想像して欲しい。

 とりわけ瀬戸内の落日の中で輝く「あかがね御殿」の雄姿は、はまさに圧巻であったに違いない。

 中に入ると、まず巨大な階段室の吹き抜けに仰天する。

 吹き抜けの中を三階に昇る。そして、四階の展望室に出る。

 ここから瀬戸内海が一望できた。

     昭和8年に完成

 御殿は、大正7年(1918)に着工、すべてが完成したのは昭和8年(1933)である。

 実に15年、贅をつくしての完成であった。

 予算算定は不能だったというからすごい。

 久米次郎は、明治41年から衆議院議員、昭和14年からは貴族院議員を務め、「あかがね御殿」は来客をもてなすために建てられたものであった。

 建築家の藤森照信氏は「・・・(あかがね御殿)は、和洋折衷のインテリアを持つが、この折衷ぶりがなかなかの見もので、ヨーロッパ建築史上で一番派手なネオ・バロック様式と、日本史上で最もギンギラな安土桃山期の書院をミックスしている・・・・」と指摘する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする