尾上町の池田観音寺は『わがまち加古川60選』に選ばれていないが、ぜひ紹介しておきたいお寺である。
白旗観音寺(池田の観音さん) *尾上町池田
播磨西国二十八番・郡西国一番札所
西国三十三観音めぐりは、平安時代中期ごろ、庶民の間に流行しはじめて、後に貴族たちがまねるようになった。
人々は病気の平癒(へいゆ)を願い、病気が癒えると、お礼のために、また亡き人の供養のために、罪を犯した者は滅罪のために、さらには自らの死後の平安を求めて、人々は西国三十三観音めぐりにでかけた。
第一番の札所、那智山西岸渡寺(和歌山県)から最後の谷汲山華厳寺(岐阜県)までの旅は、現在と違い苦行そのものであった。
江戸時代になり治安も確立し、交通機関も整備され、三十三か所めぐりも比較的やりやすくなり、かつての苦行巡礼は、今で言うレクレーション的な性格さえ持つようになった。
播磨西国二十八番札所・生竹山観音寺
しかし、「西国三十三観音めぐり」は気軽にできる巡礼の旅ではなかった。
生活の苦しい庶民にとっては、現在の外国旅行よりもずっと縁の遠いものであった。
そこで考えられたのが播磨の国の中に、三十三か寺を定めて、それらの寺を巡礼すれば「西国三十三所めぐり」と同じ功徳があるとする「播磨西国三十三所めぐり」だった。
このような巡礼がはじまったのは、江戸時代の初めの頃です。
播磨西国にとして、近辺では次の寺々が選ばれている。
稲美町野寺高薗寺(二十四番)、二見町東二見観音寺(二十七番)、平岡町新在家横蔵寺(二十九番)そして尾上町池田観音寺(二十八番)、番外として神野町神野常光寺である。
郡西国一番札所
さらに、巡礼しやすいものとして、加古郡内に三十三か寺の巡礼のための寺が決められた。
これが「郡西国三十三札所(郡西国ともいう)」である。
(加古郡の)郡西国の一番札所は、池田の観音寺であった。
* 写真は、白旗観音寺の三十三体の観音像。
観音堂の本尊は聖観音(秘仏)で、写真の観音像は観音堂の内陣の向かって左に祀られている。