手枕の松 *別府町東町157
昔から、高砂市や加古川市の海岸は「松どころ」として知られていた。
特に、曾根の松・高砂の相生の松・尾上の松、それに別府の手枕の松(たまくらのまつ)等を見て歩く「播州めぐり」というハイキングコースもあった。
「手枕の松」について、『播磨鑑(はりまかがみ)』は「・・・この社(別府の住吉神社のこと)松の大木有り、一抱えばかりの太さ、地より一間ばかり上にて、横にこけたる長さ十間ばかり、枝葉繁茂して、年々青く緑栄えたり。
曾根の松に続き無双の霊松なり。
こけたる幹につか柱(支えの棒)有り、廻りを石の垣にて隔つ・・・」とある。
その松の姿が、人が手枕をして寝ているようなかっこうをしている。
この松に「手枕の松」と命名したのは、地元・別府の俳人、瀧瓢水である。
昔、ここに茶店もあったという。「播磨の松めぐり」に訪れた人たちに、心地よい潮風があった。そして、白い砂浜と松の風景が、どこまでも続いていた。
大正の初めごろから、松はだんだん枯れて、今では昔の面影が見られなくなった。
住吉神社の扁額・本名は「有恒」
以下は、蛇足である。手枕の松は、住吉神社の境内にある。
「住吉太明神」の扁額について書いておきたい。この扁額は、もと神社の拝殿にあった。痛みを防ぐために社務所の玄関に移されている。
この扁額は、瀧瓢水の筆によるもので雄渾な字体で書かれている。銘は、「瀧有恒書」である。
瓢水は、富治斎(ふしゅんさい)・野橋斎(やぎょうさい)・一鷹舎(いちようしゃ)とも号し、剃髪してからは自得(じとく)と言った。
瀧有恒(たきありつね)は、彼の本名である。
瓢水の家は、住吉神社の西、およそ300メートルの所にあり、ここは瓢水のお気に入りの場所だったに違いない。
いま、瓢水が見た潮風の別府の浜の風景を、そして松のざわめき想像している。
*写真:手枕の松