ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

瀧瓢水物語(15)  瓢水の父(仲春)・母(参)の墓標(7)・父と母の墓標みつかる

2016-10-14 07:34:47 | 瀧瓢水物語

    瓢水の父(仲春)、母(参)の墓標

 瓢家の墓標は、金蔵坊にあったようです。

 今の「別府町民会館」がある場所です。

 江戸時代、そこに埋葬されていました。

 が、金蔵坊が廃止になった明治初年から間もないころに別府町の今の共同墓地に移されたものと思われます。

    父(仲春)と母(参)の墓標が消えていた

 以前、この父(仲春)と母(参)の墓標も瀧家の墓地の一角に確かにありました。

 それが、ある時姿を消してしまっていたのです。

 不思議に思っていました。近くを探したのですが見つかりませんでした。

    瓢水の父(三代・仲春)の墓標

 突然のことでした。

 地元のKさんから「瀧さんの御先祖の方から瓢水の母と父(三代)の墓碑は、震災で傷みが激しくなっていたため、少し修理をし、同じ西町の瀧家の墓地から少し離れた場所に移してしています」との連絡があったと知らせてくださいました。

 さっそく、訪ねました。

 瀧家の墓地から少し離れたところに、まとめて安置されていました。(写真上)

 お父さん(仲春)の墓標も立派な笠塔婆(写真下)です。

 少し残念なことは、仲春の墓標には正面右に「元禄四年辛未年」、中央に阿弥陀如来を表す梵の下に「覚元浄法信士霊位」、そして左に「九月二十五日」の銘があるはずなのですが、前に他の墓があり読むことができません。

 上部の文字は、上の隙間からのぞくとわずかに読むことができます。

 仲春の大きな墓標は他の墓に埋もれています

 母・参の墓標の横に夫・仲春の墓標を安置してほしいですね。

 このままでは、きっと参も寂しがっておられると思います・・・(no3363)

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