ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

瀧瓢水物語(29) 瓢水、大坂で眠る

2016-10-28 12:16:08 | 瀧瓢水物語

   瓢水、大坂で眠る

 宝暦11年正月、瓢水の俳諧の師匠であった松木淡々(81歳)は、大坂で没しました。

 翌年の宝暦12年(1762)の春、瓢水は大坂に出かけ、そこで病気になり、師の後を追うかのように、5月17日波乱万丈の生涯を終えました。

 行年79歳。

 大阪市天王寺区生玉町の持明院に眠っています。

 墓碑は、門人筒井青瓦により建てられました。

 墓碑の銘を読んでおきましょう。

   (正面) 瓢水翁の墓

   (背面) 門人筒井青瓦建

   (側面) 宝暦十二午五月

   蜜印山持明院

 24日(月)、午後持明院へ出かけました。

 騒音の町も、涼しく、すっかり秋の一日でした。

 鶴橋駅で昼食をすませ、地下鉄に乗り換えて谷町九丁目駅で下車。

 そして、南へ少し歩くと、あたりは寺がたくさん集まっています。持明院は、地図を片手に行くと、すぐ見つかりました。

 持明院は、創建の頃は、生玉神社の生玉十坊の一つで現在の生玉神社内にあり、ずいぶん大きな規模を誇っていたようです。

 しかし、明治維新の廃仏希釈のさいに、生玉神社を出て現在地に移転しました。その上に、戦災で焼け、その規模も小さくなり現在に至っています。

 瓢水の墓碑(写真)は、山門近くの境内にありすぐ見つけることができます。(no3376)

 *写真:瓢水の墓碑(持明院境内)

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