さてはあの 月が鳴いたか 時鳥
瓢水は、俳諧の名手としてその名は京都にも聞こえていました。
ある時、御所へ招かれて,天皇より後徳大寺(藤原実定。定家のいとこ・歌人)の「ほととぎす鳴きつるかたを眺むればただありあけの月ぞ残れる」(百人一首で知られる)を俳諧に直せるかといわれ、即座に、
さてはあの 月が鳴いたか 時鳥(ほととぎす)
と詠み、周りを絶句させました。
天皇は、大いに喜ばれました。
瓢水のエピソードは続きます。
美味しかったのでしょう。
瓢水は、ご馳走になり帰るとき、感想を
けし炭も 柚味噌につきて 膳の上
の句を膳の上に書き残こして去ったといいます。
それがまた、御所の人々を唸らせたといいます。(no3366)
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