姫路藩主を残したままで(『近世畸人伝』より)
ある日、姫路藩主・酒井忠恭(さかいただずみ)が瓢水の風流を聞き、領地の巡覧の途中に瓢水の宅に籠を止め立ち寄ったことがありました。
当日は、朝方雨が少し続いていたが、午後になるとすっかり晴れて、絶好の秋日和になりました。
もちろん、前もって瓢水には藩主の訪問のことは伝えてありました。
その日、忠恭一行は、加古川の泊りなので別府の瓢水の家に着いたのは遅く七つ時(五時頃)でした。
忠恭は15万石の大名であり、かつては幕府の老中主席(現在の首相のような位)をつとたこともありました。
これほどの賓客を迎えるからには、いくら貧しくてもそれなりの礼儀というものが必要です。
しかし、瓢水は特別なことはせず、いつも通りで、違うとすれば座布団が準備されている程度でした。
忠恭の方が驚いたほどでした。
瓢水は、背伸びしている様子もなく普段の調子で少しばかり俳諧について話をしました。
秋の暮れは早く、すぐにあたりは暗くなります。
瓢水には興が乗らず退屈でした。
しばらくして、瓢水は「厠に・・・」と告げ、そのままは藩主を置いたまま行方をくらましてしまったのです。
その夜、瓢水は、ついに帰って来ませんでした。
藩主は、カンカンになり姫路へ帰ったといいます。
後日、瓢水が言うのには、その夜は月が殊に明るくて、須磨まで散歩したとのこと・・・
『近世畸人伝』には、まず、こんな瓢水の奇行が紹介されています。(no3373)
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