ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

何かを認識した時

2005-10-29 05:01:15 | 脳みその日常
いろいろな意味で何かが「見えた」時、心の中で何かが変わる。それをポジティブに表現するなら、こんな感じか。すなわち何かを見つけた時、心の状態は喜びの感情で満たされる。

そうした変化というものは一般的には次のように表現できる。ある事柄を認識したことで、それ以前と以後では抱く価値観もしくは評価に変化が生じる。ちょっとネガティブな言い方をするなら、その事柄を認識した時、それ以前に抱いていたものが「崩れる」ということでもある。

もちろん「崩れる」ことは悪いこととは限らない。崩れたことにより、新しい価値観なり評価が生まれる。場合によっては弁証法で言うところのアウフヘーベン(止揚)になることもあるだろう。いずれにしてもケース・バイ・ケースである。

ただ、新たに認識されたものを当人が受け入れるかどうかは、その人の人間性や器の大きさなどによって異なる。認識はしたものの、受け入れたくないこともあるだろうから。でも、認識したという事実を拭うことはできない。それは当人が一番分かっているから。

認識したことをあるがままに受け入れるというのは実は難しいこと。その最たる例が「あまのじゃく」とか「へそまがり」といわれる性格の持ち主。事実を認識しているクセにそれを受け入れたくないゆえに、それとは逆の行動をしたがる。その結果はどうだろう。たいがい裏目に出ることがほとんどだ。

自ら認識した通りに行動していれば、なんでもないのに。いや、認識するということは他人でなく自分が知覚するものだから、そうそう間違うことはないのだ。もっとも、それが正しい認識かどうかは別の問題であるが。

そんなことを考えていたら、気が狂いそうになったのでドライブにでかける。もちろん目的地なんてない。とりあえず今日の気分は奥多摩方面だなと思い、西へ向かう。

長くなるので、続く(笑)
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