ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

無駄なお世話

2005-10-10 16:17:11 | 脳みその日常
「40歳以上は全員健診 健保・自治体に義務化へ」(参考記事)

国家が国民の健康管理のために制度を作ることは大切だとは思う。しかし健康診断を受けろ、義務だぞ!といった上からの押しつけはまったくもって大きなお世話である。そもそも健康な人もいれば、病弱な人もいる。個体差があるのだ。にもかからわず国民すべてを一律に捉えようとするのはあまりに事務的すぎないか?

幸いなことにワシはこの20年以上病気らしい病気をしたことがない。風邪だって、めったにひかない。その一方で、常に病弱で病院通いをしている人もいる。本当に気の毒だと思う。単に医療費だけを比べてもワシとその人たちではモノ凄い違いだろう。

だからといってワシは国民健康保険に文句があるわけじゃない。これこそは義務なのだから、ちゃんと支払っている。国家の保険制度を維持させるために払うのは当然だからだ。病弱な人たちのためになるのであれば払うのはちっともやぶさかではない。

でも、健康診断を受けるか否かは別問題ではないか?そんなのは体調に不安のある人が確認のために受けたければ受ければいいこと。受けたいと思わない人にまで「受けろ!これは義務だ!」というのはまったくもって大きなお世話である。

仮に受診したところで、テキトーに検査されるに決まってるだろうし。たまたま受診したことで生活習慣病の可能性が判明したとしても、それからどうするかは受診した本人が決めること。受診を義務化したからって国民の健康の割合が高くなるとでも本気で思ってるのかね。

そもそもワシは医学は信じているが、医術は信じていない。医者なんて所詮は他人である。どこまでこちらのことを親身になって考えてくれるんだ?患者なんてゴマンと来院するんだから、ひとりの患者に親身になるなんて時間的に不可能。だからある意味で「やっつけの医療」しかできない。医者だって生身の人間である。こちらがそこまで要求するのも気の毒だ。ならば、ワシなんかよりも、もっと症状の重い患者を時間をかけてみてほしいと思ってしまう。

こんなことを言うと「アンタは今、健康だからそう思うのさ」という人もいるだろう。そうかもしれない。でも、ワシは自分が健康であることは自慢するつもりもないし、日々ありがたいと感謝している。むしろ、健康なワシに税金を使う必要はないと言いたいだけなのだ。もっと苦しんでいる人たちに貴重な税金を有効に使って欲しいと願っているのである。

いずれ、ワシも床に伏せる時が来るだろう。でもそれこそ無駄な延命治療なんてしてもらうつもりはない。そんな治療を受けたところでそれから長生きしてもせいぜい十数年だろう。ワシにとってそれは大した意味を持たない。すでに「生への執着」はないし「死の恐怖」もないから…。

ま、そんなことはどうでもよい。冒頭の記事で一番腹が立ったのは、結局厚労省が考えているのはカネだということ。国民の健康を思ってるわけじゃない。表向きは国民のためと言うかもしれないが、実は違う。なぜなら、

「厚労省は健診強化などの生活習慣病対策で、25年度の国民医療費を約2.8兆円削減できると試算。」

無駄なカネを削ることはいいことだよ。だけどおかしな検診の義務なんてことを言うより、他省庁の、もっと意味のない無駄遣いを追及し、そのカネを奪ってきて医療費の軽減とかにまわしたらどうだね。ったく、役人にはそういう柔軟な発想がないから困るよな。

ケアというのは一律である必要はないのだ。ケースに応じたケアが受けられる制度こそ真の意味での「平等」なのではないのか?病気の種類や症状によってかかる費用が違って来るのは当然の話。ならば苦しんでいる人にこそ多額の税金を使ってやるのが心ある対応ではないのか?

役人はカネ勘定ばかりしてないで、もっと国民のことを考えろよ。
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