今回は、いわき市田人町旅人字井戸沢(たびとまちたびうとあざいとざわ)にある鮫川水系の高柴ダムへ行ってみます。アクセスは県道105号から鮫川沿いに走る道を遡って行きます。
この道を進んで行くとダムの右岸に辿り着きます。これが「ご尊顔」。
この道沿いにあるのが管理所。
入口は反対側にあります。
高柴ダムの案内板です。この鮫川水系では以前から水害が何度も発生しており、1957年に災害を防止するための「鮫川総合開発」が立案されます。そして1962年に洪水調節と工業用水確保のためのダムとして完成したとのこと。
ところで、高柴ダムの名称の由来ですが、上に挙げたダムのリンク先によると当初この場所に地名がなく、ダム建設の予備調査段階ではとりあえず下流の地名をつけて「山田ダム」と呼んでいたそうです。ある日地元の県議である沢田源次が勿来市(なこそし)にある料亭「植田」で高野太郎(当時福島県の土木部長)と柴原孝太郎(当時の建設省の土木専門官)を招き宴席をもうけます。その席上、ダムの名称をどうするかという話になり、高野、柴原両氏の名字から一文字取って高柴ダムになったとか。ただ、それは記録に残っていないので真偽のほどは不明だそうです。
「え? そんなんで決めたんかい!」と思うかもしれませんが、昔は結構いい加減というかテキトーで構わないという大らかな時代だったのかもしれませんね。
ダムの完成とともにできるのが貯水湖ですが、その名は「たかしば湖」。
さて、ダム上へ…と思いきや、立入禁止らしい。とほほ。
仕方がないので、たかしば湖側から見たダムの様子と、
ダム横から見たたかしば湖の景色をアップしておきます。
ダム建設の目的はいろいろあるわけですが、それが作られていく経緯を調べていくとまた興味深い「事実」がわかってきて楽しいものです。社会と歴史の勉強にもなるしね。
この道を進んで行くとダムの右岸に辿り着きます。これが「ご尊顔」。
この道沿いにあるのが管理所。
入口は反対側にあります。
高柴ダムの案内板です。この鮫川水系では以前から水害が何度も発生しており、1957年に災害を防止するための「鮫川総合開発」が立案されます。そして1962年に洪水調節と工業用水確保のためのダムとして完成したとのこと。
ところで、高柴ダムの名称の由来ですが、上に挙げたダムのリンク先によると当初この場所に地名がなく、ダム建設の予備調査段階ではとりあえず下流の地名をつけて「山田ダム」と呼んでいたそうです。ある日地元の県議である沢田源次が勿来市(なこそし)にある料亭「植田」で高野太郎(当時福島県の土木部長)と柴原孝太郎(当時の建設省の土木専門官)を招き宴席をもうけます。その席上、ダムの名称をどうするかという話になり、高野、柴原両氏の名字から一文字取って高柴ダムになったとか。ただ、それは記録に残っていないので真偽のほどは不明だそうです。
「え? そんなんで決めたんかい!」と思うかもしれませんが、昔は結構いい加減というかテキトーで構わないという大らかな時代だったのかもしれませんね。
ダムの完成とともにできるのが貯水湖ですが、その名は「たかしば湖」。
さて、ダム上へ…と思いきや、立入禁止らしい。とほほ。
仕方がないので、たかしば湖側から見たダムの様子と、
ダム横から見たたかしば湖の景色をアップしておきます。
ダム建設の目的はいろいろあるわけですが、それが作られていく経緯を調べていくとまた興味深い「事実」がわかってきて楽しいものです。社会と歴史の勉強にもなるしね。
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