どーも、ワシです。前回の続きになります。えー、天竜川水系の小黒川をさらに道沿いに遡って行くと次の堰堤が現われます。現われるといってもこの堰堤は道から少し離れた下にあるので注意していないと通り過ぎてしまいます。
道を下りて藪の中から撮った「ご尊顔」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7e/7ca2e41ba665415baedb9908449fa643.jpg)
もちろん道路沿いに堰堤名を記した表示板はありません。そこで藪をかき分けて堰堤に近づき、堰堤名が記された銘板を探すと…ありました。「上農寮前砂防堰堤」。竣工は昭和43年(1968年)12月。しかしその他の諸元はありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ce/b69997d8aaa190e596b7add37726cb11.jpg)
せっかく堰堤の下に辿り着いたので落水部に近づいてみます。澄んだ水が流れ落ちていて気分はサイコー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1c/912e5818424114c0a6eef1e919af6bd0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/79/6fe3316b1706564baa73b7b8495a3943.jpg)
堰堤下から下流側を眺めると、こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/08/f3d3576d1339922fa6d7bc00f88a2619.jpg)
次に堰堤の横によじ登ります。右岸から見た堰堤の上です。木が立ちはだかっていますが、堰堤の上を中央へ進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5a/409b096f3331c9034ea5ae4026274e73.jpg)
堰堤中央から落水部を覗き込みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fb/82a2da87c6827e705257a9d7dfc8c2eb.jpg)
そこから上流方向を眺めるとこんな感じ。礫だらけ…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3b/b5563934340146aebcd616e953a31177.jpg)
それにしても、なぜこんな堰堤名が付いたのでしょうね。唐突過ぎて軽いめまいを覚えてしまいます。だって周囲には寮のような建物はないんですからね。
そこで試しに「上農寮前」で検索してみることに。すると長野県上伊那郡南箕輪村(かみいなぐん みなみみのわむら)にある上伊那農業高校近くのバス停がヒットしました。でもそれはここから離れた場所です。うーん、どういうことなんだろうか。
さらにそのサイト内を見ていくと同校には小黒演習林というのがあることが判明。そこから推測されるのは恐らくかつてこの堰堤近くに同校の演習林のための寮があったのではないか。だから堰堤の名称はそれに由来するのではないかという結論に。まあ、本当のところはどうなのか知りませんけどね。
道を下りて藪の中から撮った「ご尊顔」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7e/7ca2e41ba665415baedb9908449fa643.jpg)
もちろん道路沿いに堰堤名を記した表示板はありません。そこで藪をかき分けて堰堤に近づき、堰堤名が記された銘板を探すと…ありました。「上農寮前砂防堰堤」。竣工は昭和43年(1968年)12月。しかしその他の諸元はありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ce/b69997d8aaa190e596b7add37726cb11.jpg)
せっかく堰堤の下に辿り着いたので落水部に近づいてみます。澄んだ水が流れ落ちていて気分はサイコー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1c/912e5818424114c0a6eef1e919af6bd0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/79/6fe3316b1706564baa73b7b8495a3943.jpg)
堰堤下から下流側を眺めると、こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/08/f3d3576d1339922fa6d7bc00f88a2619.jpg)
次に堰堤の横によじ登ります。右岸から見た堰堤の上です。木が立ちはだかっていますが、堰堤の上を中央へ進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5a/409b096f3331c9034ea5ae4026274e73.jpg)
堰堤中央から落水部を覗き込みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fb/82a2da87c6827e705257a9d7dfc8c2eb.jpg)
そこから上流方向を眺めるとこんな感じ。礫だらけ…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3b/b5563934340146aebcd616e953a31177.jpg)
それにしても、なぜこんな堰堤名が付いたのでしょうね。唐突過ぎて軽いめまいを覚えてしまいます。だって周囲には寮のような建物はないんですからね。
そこで試しに「上農寮前」で検索してみることに。すると長野県上伊那郡南箕輪村(かみいなぐん みなみみのわむら)にある上伊那農業高校近くのバス停がヒットしました。でもそれはここから離れた場所です。うーん、どういうことなんだろうか。
さらにそのサイト内を見ていくと同校には小黒演習林というのがあることが判明。そこから推測されるのは恐らくかつてこの堰堤近くに同校の演習林のための寮があったのではないか。だから堰堤の名称はそれに由来するのではないかという結論に。まあ、本当のところはどうなのか知りませんけどね。