ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

これが正式名称でしょ?…菅の沢ため池

2022-08-13 06:53:07 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県能代市大森杭切沢(のしろし おおもり くいきりざわ)にある馬場目川水系の「菅の沢(すがのさわ)ダム」を訪れます。アクセスは県道4号の、カーブミラーが2つとゴミ集積所のあるT字路を入り、そのまま行くと右側にまたゴミ集積所のあるT字路があるのでそこを入ります。そしてそのまましばらく行くと目的地に到着します。いや~、説明しにくい!

その道を来るとダムの右岸に辿り着きます。そこから見た景色がこちら。



これがダム上になります。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



一方、下流側はこんな感じ。



左岸寄りにあるこの建物は取水設備のためのもののようです。ゲート製作時期は昭和58年(1983年)11月。





その近くには「県営ため池等整備事業(大規模老朽ため池)菅の沢地区 竣工記念碑」と刻まれた石碑がデーンと置かれています。



その裏側には当該事業についての沿革が記されています。転記すると次の通り。

「本ため池は、山本町の北部に位置し、東西に長く分布する福田開墾地への用水供給を目的に、大正4年から7年迄築堤工事を行い、大正8年から共用を開始した。
 しかし堤体は完成したものの、用地取得が解決しないまま貯水敷地内用地が他へ転売され、今日に至っている。昭和37年には、これに起因する紛争が発生し、ため池の存続が危ぶまれる事態が発生したため、地域の人達で訴訟委員会を組織し、水利権妨害禁止や整備工事の仮処分を求めた。又、昭和30年頃には堤体からの漏水が発生し、堤防の脆弱化が問題となり、昭和53年には堤体内部の地すべりが発生するなど、急を要する事態となった。訴訟は、14年もの歳月を要しながらも昭和53年8月30日、秋田地方裁判所から漏水ため池の堤防修復の許可が出され、県営防災事業として改修工事を行える条件がようやく整い翌年直ちに事業申請を行い、昭和55年事業採択されたものである。
 工事着工以来昭和58年5月26日発生の「日本海中部地震」による堤体の亀裂発生、昭和59年の旧底樋の流出による異常出水等、幾多の困難をも克服し、ため池の整備がなされた。これによりため池決壊の危険性も去り、更には維持管理や水管理も極めて円滑に行われるようになった。
 今日、整備されたため池を見るとき、これまでの道程の険しさも懐かしさに変わりつつある。
 そしてまた、これらの諸問題や難工事が役員、組合員、秋田県、並びに施工業者の協力によって克服され、立派に完成されたことを記念し、事業に参加した人々の功績を讃え地域の繁栄を祈り、菅の沢ため池の歴史を後世に伝えるため山本町志渡橋、割道の受益者の手でここに記念碑を建立する。 平成4年3月吉日」

要するに、当該ため池は大正7年(1918年)に完成したが、老朽化したため県営のため池等整備事業として昭和55年(1980年)に改修工事が開始され、平成4年(1992年)3月に完了したというわけです。なるほど。

取水設備の建物の奥には洪水吐があります。越流式ですね。



建物と洪水吐との位置関係はこれでわかると思います。で、増水すると水はそこから溢れ出て、



この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



水路の上に架かる橋を渡ると左岸になります。そこから振り返ると、こんな感じ。



そこから見た下流側の景色。



左岸から見た貯水側の様子。天候に恵まれたこともあり、ホント良い眺めでした。



どうしてもひっかかるのが名称なんです。記事の冒頭では「菅の沢ダム」と書いてますが、これはダム便覧及びグーグル先生の地図での表記にすぎません。現場を見回しましたがどこにも「菅の沢ダム」という表記はないんです。じゃあってんで国土地理院の地図を見ると「菅ノ沢堤」。この表記も現場では見当たりません。上に転記した沿革の文章には「菅の沢ため池」と記されています。一体どの表記が正しいのでしょうか。

ま、フツーに考えたら現場にある公的な記念碑に書かれた名称が優先されると思うんですけどね。だとすると、この正式名称は「菅の沢ため池」のはず。むしろ不思議なのはそうでない名称が勝手に付けられていること。そもそもそれらは何を基にしているんでしょうか。謎だなぁ。
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