ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

元和からの…真崎堰頭首工

2022-08-01 06:54:33 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は秋田県南秋田郡五城目町馬場目帝釈寺(ごじょうめまち ばばめ たいしゃくじ)にある馬場目川水系の真崎堰頭首工を訪れます。アクセスは県道15号沿いの「帝釈寺」と表示された看板のところを北へ向かって行くと到着します。ちなみに今回の目的地はグーグル先生の地図では「真崎堰竣工記念碑」と表示されているところです。

到着しました。馬場目川に設置された頭首工を下流側から見た様子。仲良し三兄弟といった感じです。



順を追って見ていきます。先ほど示した道を来ると頭首工の手前に小さな橋があり、そこから頭首工を見ると、こんな感じです。よく見ると、頭首工の上流側に取水口があるのがわかりますね。(赤色のところ)





頭首工の少し上流寄りのところには「県営ため池等整備事業竣工記念碑」があります。



そこに記されている「沿革の概要」を転記しておきます。

「本真崎堰頭首工は馬場目川の中流に位置し五城目町、井川町、飯田川町の3町866ヘクタールの水田にかんがいする施設である。
 本頭首工は元和元年(1617年)佐竹藩の家臣真崎長右衛門が知行地開田のため帝釈寺地内に用水堰を築いたのが始まりである。明治に至り水利組合組織により維持管理されて来たが昭和24年のキティ台風による災害復旧工事として組合直営によりコンクリート頭首工が築造されたものであるが30有余年を経過した今日、構造物の全体的な老朽化が進み取水に支障をきたし加えて全面固定堰であることから河川堤体の余裕高不足による決壊の事態を招く等治水上の問題もあり昭和56年度に県営大規模ため池等整備事業(大規模用排水施設整備事業真崎堰地区)として新規採択されて着工し昭和59年度に総事業費2億7千万円をもってここに完成したので恩沢に浴する関係者のため本事業の概要を記し後世の証とするものである。 昭和59年6月」

あれ? 元和元年は1615年ですぜ。いかんねぇ、こういう基本的なミスは…。

※キティ台風…1949年8月31日から翌日にかけて関東地方を直撃した台風10号のこと。キティはその台風の国際名。



そこから見た頭首工の様子。



近づいてみましょう。頭首工本体に貼られたプレート。昭和58年(1983年)5月製作とあります。



下を見ると先ほどの赤い取水口が見えます。この取水口から分水した水は、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



頭首工の下流側には2つの石碑が寄り添うように建っています。



手前のは「顕彰碑」と題されたもの。昭和25年(1950年)12月14日に建立されたもので、上に記した記念碑から推測すると最初の頭首工が設置された時に建てられたものと思われます。ただ、石碑の風化が激しく、全てを読むことが難しい状態となっています。



その向こうにあるのは「南秋田郡真崎堰土地改良区 県営かんがい排水事業 県営老朽ため池事業 竣工記念碑」で、建立は昭和51年(1976年)5月。



その裏に記されている文を転記します。

「真崎堰かんがい排水事業は元和八年真崎家により開堀された水路を全面改良舗装したものであり、袖ヶ沢老朽ため池事業は昭和11年県営事業として築造されたものを全面改修したものである。画期的両大事業の完成は一千名組合員及び総代の協力と関係役員の努力が実を結んだものである」

あれれ、上の「沿革の概要」には元和元年とありますが、ここでは元和八年となっていますね。



どうやらこの記念碑は2つの事業に関する竣工記念碑で、県営かんがい排水事業の工事期間は昭和39年から7年間、県営老朽ため池事業の工事期間は昭和46年から5年間で完成したということのようです。





そのあたりから頭首工を見ると、こんな感じ。



そして馬場目川の下流方向の景色。



こうしてみると現在の真崎堰頭首工に到るまでには長い歴史があったことがわかります。ただ、気になるのは頭首工名の「真崎堰」の読み方。真崎長右衛門に由来するのでしょうが、これは「まさきぜき」なのか「まざきぜき」なのか、はたまた「しんざきぜき」と読むのか…。

余談ですが、これらの石碑をジーっと眺めていたら近くの民家の窓がガラッと開いて、上半身裸の爺さんがこちらをジーっと見つめていました。こちらはそんなことは気にならないんですが、向こうからすると「なにしてんだ、おめえ」と思ったんでしょうね。
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