ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

秋田県の旭川ダム

2022-07-27 06:53:54 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は秋田県秋田市仁別マンタラメ(にべつ まんたらめ)にある雄物川(おものがわ)水系の旭川ダムを訪れます。アクセスは県道15号を秋田市太平山(たいへいざん)リゾート公園を目指して行くと到着します。

さて、ここの住所ですがちょっと珍しいですよね。調べてみると、どうやらアイヌ語に由来するらしい。え? アイヌといえば北海道でしょ?と思うかもしれません。ところがアイヌ語に由来する地名は秋田県にもあるようで、秋田県がその南限といわれます。そこでアイヌ語に照らして地名の由来を考えてみます。「仁別」の「仁」は木を意味する「ニ」、「別」は川を意味する「ペッ」が結合したものと思われます。つまり木や川のある場所という意味でしょうか。また「マンタラメ」とはアイヌ語で「源流、源」の意味のようです。「メ」は狭い場所を意味しますが、「マンタラ」についてはわかりませんでした。ご存知の方がおられましたら教えてください。

で、目的地である旭川ダムに到着しました。まず左岸から見るとこんな感じです。



でもね、いきなりこんな景色が見えるわけじゃありません。最初に目にするのが管理事務所らしき建物。敷地内は立入禁止のようなので遠くから撮影しています。



撮影場所近くには旭川ダムの案内板があります。説明によると、この地帯は秋田杉の主産地ですが、戦中戦後の乱伐により林相が悪化し災害が発生しやすくなっていたようです。実際、記録によると明治43年(1910年)、昭和26年(1951年)、昭和30年(1956年)、昭和32年(1957年)に洪水が発生。その度に下流の家屋や田畑に甚大な被害が起きたそうな。この対策として河川改修を行なってきたが、諸々の理由から遅々として進まず。そこで抜本的対策として旭川上流に大規模な治水ダムを築造することになり、昭和42年(1967年)に実施調査を開始し、翌年から工事に着手。そして昭和47年(1972年)に旭川ダムは完成したようです。



案内板のあるところから下っていくと左岸のダム横になります。ここまではクルマで行けます。ダム本体の親柱には旭川ダムのプレートが嵌め込まれています。昭和47年(1972)10月竣工。



これが左岸から見たダム上。歩いていきます。



進んでいくと直角に近いカーブになります。そこから見た様子。



ダム上、中央から貯水側を見下ろします。時期的に水量は少ないですが、上流が流れてきたものを網場(あば)がガッチリとガードしています。



上流側の遠景。山、山、山。



ダムの真下を覗くと、こんな感じ。



下流側を見ても山、山、山。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



こちら側にも左岸と同じようなプレートが嵌め込まれています。



右岸、ダム横から見た貯水側の景色です。水というより森が溜まっています(笑)



こうしてみると、河川の改修が困難を極めたのがわかるような気がします。そうした中にこんなダムを築造したんですから、ただただ凄いなあと感心するばかり…。ちなみに同名のダムは岡山県岡山市北区にもあるようです。そのうち行ってみたいと思います。
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