ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

アート、アート!…神室ダム

2021-09-22 07:07:21 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡金山町有屋(もがみぐんかねやままちありや)にある最上川水系の神室(かむろ)ダムを訪れます。アクセスは国道13号からダムと繋がる金山川と並行して走る県道73号を登って行くと到着します。

建設計画の当初、ダムの名称は金山ダムだったそうですが、北海道空知郡南富良野町に同名の金山(かなやま)ダムがすでに1967年に完成していたため混同を避けるため名称を変更することに。そこでこのダムの水源が神室山(かむろさん:標高1,365m)であることから神室ダムと命名されたようです(参考)。でも読み方が違うし(「かねやま」と「かなやま」)、所在地も別の県なんだから名称変更しなくても良かったんじゃないかな…と個人的には思ったり。

まあ、そんなこんなでダムが見えてきました。あれですね。存在感が凄い!



まずはダムの下へ。幅が広すぎて画面に収まりません。



なのでパノラマで撮ってみました。



ダム横に来ました。そこから見るとこんな感じ。



ダム横のちょっとした広場にはダムの諸元や建設の歴史などが記された案内板があります。これによれば洪水調節、流水の正常な機能維持、上水道用水の確保を目的とする多目的ダムとして1974年に予備調査が開始され、1993年10月に完成したそうです。



また、このダムの目的と構造の説明図もあります。



ダム横にあるこの建物が管理事務所(管理所)。あ、確認するのを忘れました。てへ。



建物の入口前には堂々たるレリーフ。作者はわかりません。



その場所からダムを見るとこんな感じ。



近くには「山形県 神室ダム」と刻まれた石碑や、



貯水湖名でしょうか、「神室湖」と刻まれた石碑があります。



では、いよいよダム上を歩くことにしましょう!



見ると、ダム本体の親柱に相当するところに丸太を模したようなモノ。なんかオシャレですなぁ。



ん? 壁画? なんのことだろう。



…と思いきや、ダム上の欄干に公募で厳選された17点の作品が展示されていました。では展覧会のスタートです。ご覧ください。
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ここでちょい休憩。ダム上の中央に来ました。「神室湖」の様子をどうぞ。



一方、ダムの真下はこんな感じです。60.6mの高さはあまり恐怖を感じません。



下流側の遠景です。いい眺めですね。



ささ、展覧会の続きです。
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お楽しみいただけましたか? これらを見ながらダム上を歩いたので対岸(右岸)へ来るまでだいぶ時間がかかりました。で、振り返るとこんな感じ。



右岸、「神室湖」側から見たダムの様子。



いや〜、壁画に目を奪われて気づきませんでしたが、ダム上の通路も実に凝った作りです。



なかなかの「アート」なダムでした!
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高台の慰霊碑…高坂ダム

2021-09-21 07:06:24 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡真室川町差首鍋(もがみぐんまむろがわまちさすなべ)にある最上川水系の高坂(たかさか)ダムを訪ねようと思います。アクセスは国道344号の高坂の大カツラ付近の細い道を進んで行くと到着するようです。

ところが、訪れた日、ダムは工事中らしくアクセスは断念。う〜ん、なんとかダムを見ることはできないものかな。ウロウロしていたら右岸側を通る高台の道から高坂ダムの一部を見ることができました。まるで空から見たダム上ですね。



…と、近くを見ると慰霊碑が。



高坂ダム建設にあたり6名の方が殉職されたようです。合掌。



慰霊碑には1967年5月建立と刻まれているので高坂ダムが竣工したのもおそらくこの頃と思われます。
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2つの融合…月光川ダム

2021-09-20 07:05:37 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県飽海郡遊佐町(あくみぐんゆざまち)にある月光川(がっこうがわ)水系の月光川ダムを訪れます。アクセスは羽越本線の遊佐駅近くを流れる月光川を遡っていくように進んで行くと到着します。

右岸に到着しました。なかなか立派なコンクリート製のダムです。



ダム本体には建設記録が記されたプレートが嵌め込まれています。これは珍しい。1965年4月の予備調査から始まり、1972年4月に建設着工、そして1978年5月に竣工とあります。



やはり本体に嵌め込まれた「月光川ダム」のプレート。う〜ん、渋いね。



ダム横には月光川とダムの説明が書かれた看板。月光川は急流河川のため昔から度々洪水が発生。そこで遊佐町は町民の生命を守るために山形県の支援を受けながら月光川に洪水調節のためのダムを建設したそうな。また、1997年7月からは管理用発電も開始されています。



その隣には月光川ダムの案内図と標準断面図。



その案内板付近からダムを見るとこんな感じ。おや? 先ほどの「せつめい」にも書かれていましたがコンクリート・ダムと並んで向こう側にロックフィルダムがあるんですね。ほっほー。



これが右岸から見たダム上。ゲートが開いているので行ってみましょう。



このダムは案内図にある通り、「西のこまい沢」「中のこまい沢」そして月光川の本流である「南のこまい沢」が合流する場所に築造されています。コンクリートダム部の中央から見た「中のこまい沢」方面はこんな感じ。写真右上が「中のこまい沢」。



そして「西のこまい沢」方面の景色はこんな感じです。



コンクリートダムの真下の様子。



そして下流側の遠景です。うん、良い景色です。



コンクリートダム部が終わった場所からダムを見るとこんな感じ。山腹に見えるクリーム色の建物が気になります。あとで行ってみましょう。





同じ場所から見た「南のこまい沢」方面の様子。ここからロックフィルダム部になります。貯水側を覆っているコンクリートの斜面が何だか競輪場のバンクを思わせますなぁ。ともかく、さらに進んでみましょう。



ロックフィルダム部の奥までやってきました。これが本当の対岸になります。ダム上の長さ、445mだそうですが、まあまあの距離です。



では、先ほど気になった場所へ行ってみます。右岸の道を下流側に少し行くと細い脇道があるのでその坂を登ります。すると見えてきたのは「山形県月光川ダム管理所」。ああ、やはり管理所だったのか。





コンクリートとロックフィルの融合。なかなか珍しいものを見せてもらいました。
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芸術の香りが…田沢川ダム

2021-09-19 06:53:12 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県酒田市山元にある最上川水系の田沢川(たざわがわ)ダムを訪れます。アクセスは国道345号から平田浄水場を目指し、県道363号から県道315号に入り旧阿部家を過ぎて進んでいくと到着します。

まずは田沢川ダムの全貌をご覧ください。



では、順を追って見ていきます。県道315号を登ってくると道路にはこの看板があります。



そして、まず目にするのが田沢川ダムの管理所の建物。





駐車スペースは道路沿いにあり、そこには田沢川ダムの案内板があります。洪水調節、河川環境と機能の保護、水道用水の安定供給を目的とした多目的ダムですが、諸元表の「位置」を見ると「飽海郡平田町(あくみぐんひらたまち)大字山元」とあります。しかし平田町は2005年11月1日から八幡町(やわたまち)、松山町とともに酒田市に合併したため現在の住所は記事の冒頭に示したものが正解。



案内板の隣には周辺案内図。田沢川ダムは田沢川と「クサイ沢」を堰き止めて築造されたとあります。いや、「クサイ沢」って…。臭うんでしょうか…知りませんが。



ダム横近くには「ひらた赤滝湖」のプレートが嵌め込まれた石碑。これが貯水湖の名称ですね。



石碑の裏側には名称の由来が丁寧に説明されています。「ひらた」はここの地名。「赤滝」はここから10km上流にある滝の名称。赤(アカ)は梵語やアイヌ語で「信仰の水」「浄水」を意味し、長雨や旱魃出会ってもその水量に大きな変化はないと伝えられているそうな。いや〜、勉強になります。



ダム横には「フローラ」と題する彫像。作者は酒田市出身の彫刻家、高橋剛(たかはしごう:1921-1991)。東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科を卒業し、ダンサーや裸婦像などを多数手掛けたことで知られています。





フローラ(Flora)はローマ神話に出てくる花と春と豊穣を司る女神ですが、その彫像の足下には周辺自治体の「花」のプレートが嵌め込まれています。

松山町(酒田市合併以前)「ツツジ」


平田町(酒田市合併以前)「ミスミソウ」


酒田市「トビシマカンゾウ」


彫像付近からダムを見るとこんな感じ。



管理所脇には「定礎」の石碑。1994年7月。



その付近からダムを見るとこんな感じです。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た「ひらた赤滝湖」の様子。幅が広いのでパノラマで撮ってみました。写真左奥に「クサイ沢」、そして右奥が田沢川になります。



一方、ダムの真下はこんな感じ。高さ81mはなかなかの迫力です。



そして下流側の遠景。山だらけ…。



ダム上の途中には「惠水」と題されたブロンズ。作者の石黒光二は1952年に旧平田町に生まれ、多摩美術大学彫刻科を卒業。高橋剛は師匠。2001年に完成したこのブロンズについて石黒は次のように述べています。
「男性の右手は天からの雨を指し、左手でそれが荒れくるうことのないよう鎮め、女性は恵の雨が広く大地に染み渡り、豊かな稔りをもたらすことを願う。全ての生命の源である水への感謝と畏怖の念と祈りを込めて」(参考





別の角度から。


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸からさらに進むと「遊歩道入口」があり、それを登って行くと記事の冒頭で示した写真のような景色を見ることができます。



田沢川ダムは2001年に完成したようですが、芸術性が加味されており、センスの良さを感じさせるものでした。オシャレだわぁ。
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「黙而雄」…瀬場砂防堰堤

2021-09-18 12:30:54 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は昨日の記事に挙げた立谷沢川(たちやざわがわ)の六渕(ろくぶち)砂防堰堤のすぐ下流にある最上川水系の瀬場砂防堰堤(山形県東田川郡庄内町瀬場)を訪れます。

これがそう。



堰堤と案内板が嵌め込まれた石。なかなか良いアングルです。



その案内板には1951年4月16日着工、1953年12月25日竣工という細かいデータまで記されています。また、2017年6月28日には六渕砂防堰堤とともに登録有形文化財に指定されています(参考)。



登録有形文化財であることを示すプレート。



堰堤の中段下は水際まで近づくことが可能。



そこから下流を見るとこんな感じ。



堰堤の最上段に行ってみます。上流側から見た堰堤の様子。



これが堰堤の上。進んでみましょう。



堰堤の上、中央から見た上流側の景色。遠くに見えるのが六渕砂防堰堤。



ズームしてみるとわかりますね。



一方、下流側はこんな感じ。中段から見るのとはまた違って見えます。



ここから左岸を見るとこんな感じ。



左岸、上流側にあるのがかつてこの堰堤の名称でもあったという「黙而雄」。これについては一昨日の記事でも触れましたのでご覧ください(参考)。





で、これが当時のもの。こちら側には「瀬場堰堤」の文字。



その裏側には「黙而雄」と刻まれています。



いや〜、歴史的建造物ってのは味があっていいもんですなぁ。
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間口の広い…六渕(淵)砂防堰堤

2021-09-17 06:54:23 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県東田川郡庄内町立谷沢にある最上川水系の六渕(ろくぶち)砂防堰堤を訪ねます。アクセスは県道344号から入って行ったところにあります。

まずは全体像をご覧ください。立谷沢川(たちやざわがわ)の砂防は任せなさい!と言わんばかりの偉容です。



堰堤の横に来ました。石積みのしっかりした構造のように思えます。



堰堤の本体に嵌め込まれたプレート。1997年11月完成とありますが、これは改築の完成年のようです。調べてみるとこの堰堤が作られたのは1952年で、2017年6月28日に国の登録有形文化財に指定されています。プレートには「六淵砂防ダム」と表記されていますが、これは高さが15mなので定義上は間違いではありません。ちょっと気になるのはプレートでは「淵」なのに他の資料では「渕」になっている点。どちらが正しいんでしょうか(参考)。



それはともかく、堰堤の中央に来ました。流水部の間口が広いので、ご覧の通りの迫力!



中央から見た上流側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。



ところで、堰堤名の「六渕(淵)」は何に由来するんでしょうね。この付近の地名なのでしょうか?
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玉川第六砂防堰堤から学ぶ

2021-09-16 06:53:09 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日の記事に載せた竜神橋から上流側を見たらですね、何やら立派な堰堤が! これは何でしょうね。早速行ってみることに。



竜神橋を渡って玉川の右岸からアクセスしてみます。どうやら砂防堰堤のようです。



堰堤の横から見た様子。



堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「玉川第六砂防ダム」とあり、1975年10月に築造されたもののようです。でも高さが11.0mなのでダムの定義上からすると砂防堰堤になります。住所は山形県東田川郡庄内町立谷沢西山。



堰堤の中央に来ました。流水部はこんな感じ。



そこから見た上流側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。あちらに見える橋が竜神橋です。



堰堤中央から右岸を見るとこんな感じ。



堰堤の上面。単なるコンクリートの打ちっぱなしでないのは職人仕事という感じがしますね。



右岸から堰堤の下に降りる道があるので行ってみると、途中には「砂防発祥之碑」と刻まれた石碑や、



「黙而雄」と題された石碑。裏側の説明によると、これは元最上川水系砂防工事事務所公務課長だった倉上靖が1952年11月に転勤で同地を去る際に残した言葉だそうです。倉上はこの玉川が下流で合流する立谷沢川(たちやざわがわ)の砂防に関わった人物。「黙而雄」は文字通り読めば「もくしてゆう」なのでしょうが、その意味は「黙々として与えられた仕事を果たす」。しかしこの石碑はオリジナルではなく、元々は立谷沢川にある瀬場堰堤石碑の背面に刻まれたものだそう(参考)。





堰堤の下に来ました。そこには「立谷沢川の龍神信仰」と題する案内板。なぜ龍神を信仰するかというと、月山の奥深いところに龍神様が住んでいるという言い伝えがあり、立谷沢川が洪水を起こすたびに龍神様へ祈りを捧げていたそうな。なるほど、それで竜神橋の装飾が竜ざんまいなのも納得です。ん〜、でも1つ疑問が。「立谷沢川の龍神信仰」を説明するのならこの案内板は立谷沢川沿いに建てればいいのに、なぜここに? 立谷沢川に合流するとはいえ、ここは玉川なんですけどー。



それはさておき、堰堤には一対の竜神が描かれています。作者は案内板にあるように庄内町出身の秋葉玲。この人のプロフィールは不明ですが、同町の清川公民館建設20周年記念事業として1999年3月に制作された紙芝居『清河八郎』の絵を担当しています(参考)。清河八郎(1830-1863)は江戸幕末の庄内藩出身の志士で、尊王攘夷の思想から倒幕運動を唱えるため諸国を歴訪し浪士組を結成するなどして明治維新の一翼を担ったことで知られています。

で、話を戻しましょう。堰堤の右岸側に描かれているのがこちら。



左岸側のはこれ。



まあ、なんだかんだ書きましたが、1つの砂防堰堤でこれだけ見どころがあるのも珍しいかもしれません。また、石碑「黙而雄」に関係のある瀬場堰堤は近くにありそうなので訪ねてみようと思います。

それはそうと、ここが「第六」ならば「第一」から「第五」もきっとあるんだろうなぁ…いやぁ、深追いはやめておきましょう。キリがありませんからね。
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月山の麓…三又ダム

2021-09-14 07:07:22 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県鶴岡市羽黒町川代(はぐろまちかわだい)にある最上川水系の三又(みつまた)ダムを訪れます。アクセスは県道211号を進み、月山高原牧場方面へ曲がるとすぐに叶宮橋(かのみやばし)があり、目的のダムはその近くです。

まずは京田川(きょうでんがわ)に架かる叶宮橋から見た「ご尊顔」をご覧ください。左岸側に洪水吐があるんですね。



【京田川の由来】
珍しい名称なので、その由来を調べてみました。「京田」には4つほどの説があり、1つは寺院に寄進された供田が転訛した説、2つ目は大泉氏(武藤氏)から与えられた田(給田)が転訛して京田となった説、3つ目は大般若経などの節会の費用を捻出するための田(経田)という説、4つ目は京都が資本を投入して開発した田という説
参考)。

このうちのどれかが正解なのでしょうが、いずれにせよその付近に流れる川なので「京田川」と命名されたものと思われます。なお、京田川は別名「祓川(はらいがわ)」とも呼ばれますが、それは近くにある修験道の霊山、羽黒山(はぐろさん:414m)へ参拝する者がまだ山頂まで車道がなかった頃、この川で身を清めてから山へ登ったというところから命名されたそうな(参考)。

さて、叶宮橋を渡ると広い駐車場があるので、クルマはそこへ停めます。その隅には案内板が。ここは月山山麓地区だそうです。



そこからダムへは歩いていきます。ダムへ向かう道の入口には三又ダムの概要と諸元を記した案内板があります。それによれば当該ダムは1977年に完成とのこと。



そこからダムへ向かいます。



これがダム上。進んでみましょう。



先ほど確認したように左岸側に洪水吐があります。増水時、水はここから溢れ出て、



この水路からあちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



同、下流側の景色です。遠くに見えるのが叶宮橋です。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



で、管理所のようなものはないのかな? キョロキョロすると左岸の高い場所にそれらしき建物が。しかし、それを示すプレートはありませんでした。



その近くには「水神」と刻まれた石碑。裏には1977年10月吉日に建立されたとあります。





そこからダムを見下ろすとこんな感じ。



ところで、三又ダムの名称は何に由来するんでしょうか。地名でもなさそうだし、それについて説明したサイトも見つかりませんでした。で、改めて地図を見たらなんとなく答えがわかりました。つまりダムのある場所には京田川だけでなく他に2つの川が合流して貯水湖が形成されているんです。その形はまるで鳥の足のよう。それが三又のように見えるところから三又ダムと命名されたんじゃないでしょうか。たぶん。

余談ですが、叶宮橋の名称は月山高原牧場内にある叶宮神社に由来すると思われます。ちなみに同神社は猿田彦大神が祀られていて、出産、安産のご利益があるパワースポットらしいです(参考)。
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朱色のベテラン!…銀山川ダム

2021-09-13 07:03:59 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県尾花沢市銀山新畑(ぎんざんしんはた)にある最上川水系の銀山川ダムを目指します。アクセスは県道188号から脇道を降りていくと到着。

これですね。



ダムへさらに近づくべく道を下っていくと、まず目に止まるのがこの建物。見張所のようですが、それらしき看板はありません。



その建物の壁に貼られているこのプレート。水利使用標識に似ていますが従来のフォーマットではありませんね。ちなみに記されている住所は山形県庁のものです。



その建物からダムを見るとこんな感じ。越流式の洪水吐が見えます。コンクリートの感じからして年季の入ったダムのようですね。



貯水側の「底」です。この時期には水が少ないのでしょうか。



ダム本体に嵌め込まれた「銀山川ダム」のプレート。いや〜、シブいね。



同じく、「1964年3月竣功」のプレート。あら〜、57年前に築造されたんですね。そりゃ古いわけだわぁ。



これがダム上。特に立入禁止の表示がないので歩いてみます。



上流側の景色です。小さな堰堤(床固工?)が複数見えますね。



ダムの真下はこんな感じ。



そして下流側の遠景。銀山川はこのずっと先で丹生川に合流します。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。朱色のペンキが周囲の緑といい感じで調和しています。



上の写真を見るとわかると思いますが、県道188号はダムよりも少し高いところを通っているのでその入口はわかりにくいです。特に看板もないし。
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「新」の理由…新鶴子ダム

2021-09-12 07:02:15 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は山形県尾花沢市鶴子にある最上川水系の新鶴子ダムに向かいます。アクセスは国道347号から県道29号に入り、しばらく行ってから県道301号を左折し丹生川(にゅうがわ)に沿って進めば到着します。ちなみに丹生川と呼ばれる川は全国にあり、その由来については以前書いたコチラの記事で説明していますので興味のある方はご覧ください。

で、県道301号を進んでくると、見えてきました。あれですね。右岸側に洪水吐があるのが見えます。



左岸のダム横に来ました。なかなか立派なロックフィルダムです。




まず目にしたのが新鶴子ダムの案内図。



貯水湖側には「平成の湖」と刻まれた石碑。これが貯水湖名のようです。ダムは1974年に工事を着工し、幾多の困難を乗り越えて1990年3月に完成したと書かれています。



新鶴子ダム周辺の村山北部土地改良事業案内図。



左岸、「平成の湖」側から見たダムの様子。



これがダム上。さあ、歩いてみましょう…と思いきや、



関係者以外立入禁止とな! たは〜っ。



仕方がないので、その場所から見た「平成の湖」の様子を撮りました。写真左端に見えるクリーム色の建物が管理所と思われます。



一方、下流側はこんな景色です。ダムの高さが96mなので、見晴らしは最高!



ダム名が「新鶴子」なんですが、「旧鶴子ダム」もしくは「鶴子ダム」ってえのはないんでしょうか。元がなくて、いきなり「新」というのもどうかと思うんですが…。

そんなことを思いながら調べていくと命名の理由が判明! どうやらこのダムが建設されたことにより、それ以前に丹生川を堰き止めて作られていた「丹生川ダム」(1959年竣工)が水没。この丹生川ダムの別名が「鶴子ダム」だったことから新たに作られたこのダムの名称は「新鶴子ダム」になったようです。(参考1)(参考2

なるほど、そうだよなあ。そうじゃないとおかしいもんね。あ〜、スッキリした。
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白石山溜池…だと思う。

2021-09-11 07:28:49 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回はグーグル先生の地図に載っている最上川水系の塔の沢ダム(山形県村山市湯野沢)へ向かいます。アクセスは富本(ふもと)郵便局の近くにある長松院を目指し、その辺りから登って行くと到着します。ただし、途中から未舗装の細い道になるので要注意。

クネクネした道の先に現われました。これですね。立派なアースダムです。



左岸、ダム横に来ました。目の前には大きな石碑。題名は「県営白石山地区老朽溜池等整備事業 竣工記念碑」とあります。その内容を要約すると、白石山溜池は明治末期から築造開始。昭和9年(1934年)の大凶作を契機に貯水量を増やす計画を立てる。翌10年(1935年)から工事に着手。昭和58年(1983年)に溜池整備事業は採択。完了は平成3年度(1991年)。

あれれれ、ここは塔の沢ダムでなく、白石山溜池なの? 最初の完成はいつなんでしょうか。また昭和初期の工事が完了したのはいつ? う〜ん、なんだか不親切な内容だなぁ。そもそもこの碑文に「塔の沢」の文字が出てこないのはなぜ?



まあ、いいや。とにかく石碑のあるところから見たダム上の様子をどうぞ。



これがダム上になります。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の様子です。



同、下流側はこんな感じ。



右岸側には洪水吐があります。



これがその水路。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



洪水吐近くから見たダム上。



右岸、下流側から見た様子。



最初に書いたようにグーグル先生の地図には当たり前のようにここが塔の沢ダムと記されています。でも現場にはそれを示すものが全くありません。あるのは「白石山溜池」の文字のみ。従って、ここでは現場の記述を優先したいと思います。

ただね、この場所から直線距離にして1.6kmほど北に溜池らしきものがあり、グーグル先生はそれを「白石山ダム」と記しているんですよね。だけど残念なことにここへ行く道が見当たらない。少なくともクルマでは行けない場所なので確認のしようがありませんでした。
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国策に乗じて…引竜第二溜池

2021-09-10 07:17:17 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県西村山郡河北町(かほくちょう)岩木にある最上川水系の引竜(ひきりゅう)第二溜池(ダム)を訪れます。アクセスは県道285号から法師川に沿って登って行くと到着します。

これが「ご尊顔」。溜池の下は公園になっています。



その名も「引竜交流広場」。



左岸側には洪水吐の排水路があり、増水時にはこの水路を通って、



あちらへ流れてゆきます。



これが、いわゆるダム上です。行こうとしたらロープが張ってあったので諦めました。



そこで右岸から貯水湖を眺めてみます。写真中央左側に見えるのが取水塔、そして同じく右側に見えるのが洪水吐です。



同じ場所から下流側を見るとこんな感じ。これが先ほどの「引竜交流広場」です。シンプルでスッキリした印象。



ダム横には「引竜第二溜池竣工記念碑」。比較的新しいもののようですね。「山形県知事 高橋和雄」とあるので記念碑は彼の在職中である1993年から2005年の間に建立されたものと思われます。石碑の裏を見れば書いてあったのかもしれませんが、うっかり見忘れました。てへ。



その隣には「水徳悠久」と題された石碑。こちらが元々の竣工記念碑と思われます。最初の名称は「引龍第二貯水池」だったんですね。建設の経緯は以下の通り。

古来より法師川は村民にとって大切な水源であった。しかしその水量は乏しく、日照りが続くと周辺田畑では旱害に悩まされてきた。そこで法師川を堰き止めてこの貯水池が建設されたのだが、実は戦時食糧増産の国策に乗じて企てられたもので、1943年12月に着工する。戦時中の工事は青年学徒を中心とする勤労隊が行なっていたが戦後は物資の調達が困難だったり物価が高騰したため工事を中断せざるを得ない事態となった。しかし地元の受益者たちが立ち上がり工事を続行したことで貯水池の完成に至ったという。貯水池の完成はおそらく1952年前半と思われます。



この近くにある建物は寒河江川土地改良区が管理するもののようですが見張所でしょうか。



ここは「第二」なんですが「第一」はどこだろうと調べてみると、どうやらこの建物の向こうの道を登っていったところにあるようです。今回は行きませんでしたが。ただひとつわからないのは「引竜」の名称の由来です。この辺りの地名でもなさそうだし…。あー、また悩みが増えちゃったよ〜。
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現在改修工事中!…一の沢ダム

2021-09-09 06:51:37 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県東根市(ひがしねし)にある最上川水系の一の沢ダムを目指します。アクセスは県道29号沿いにある東根一日町(ひといちまち)郵便局付近で白水川に合流する日塔川(にっとうがわ)の左岸に沿って遡って行くと到着します。

で、到着したはいいんですが、なんと現在改修工事中。工事は今年の11月30日まで続くようです。



訪れた日、現場にはなんとなく緊張感が漂っていて長居できる雰囲気ではありませんでした。下の写真で工事用資材がある場所がダム上。写真中央にある石碑は「記念碑」。これによると、元々の名称は「一の澤溜池」で、旱害から守るための補給水源として1953年に工事着手し、1965年3月に完成したと記されています。





その横には「殉難者之碑」。おそらくその溜池建設中に亡くなったと思われる2名の慰霊碑と思われます。興味深いのは通常の慰霊碑では俗名が刻まれるのですが、ここでは戒名になっている点です。



ちなみに一の沢ダムと同名のダムは北海道に2つ(札幌市南区、岩見沢市)あるようです。
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ダム上も…白水川ダム

2021-09-08 07:05:51 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県東根市泉郷(ひがしねしいずみごう)にある最上川水系の白水川(しろみずがわ)ダムを目指します。アクセスは国道48号沿いにある東根市立高崎小学校(東根市観音寺)付近から村山野川方面へ向かい、さらにそれを越えて進むと白水川にあたるので今度は白水川の左岸に沿って登っていくと目的地の左岸に到着します。

ダム横へ行く前に、まずダム下へ行ってみます。ここのダム下はちょっとした公園になっていてゆったり寛ぐことができます。



白水川ダムは横長なのでダムの真下から撮ると画面に収まりません。



では、ダム横へ行ってみましょう。まず見えてくるのが白水川ダムの管理所の建物。





駐車スペースは貯水側にあるのでダム横を過ぎてから止めます。そこからダムを見るとこんな感じ。



そこから歩いてダム横へ向かいます。すると、草陰に重厚な石造りの案内板が! でも雨や雪に晒されて文字がかすれてしまっています。



それでも、なんとか読んでみましょう。概要説明を要約すると、白水川地域の年間降水量はさほど多くないものの、この地域では短時間に集中して雨が降ることが多いらしい。また降雪も2mにも及ぶことがあるそうな。1904年6月の洪水を契機に白水川の改修工事が行なわれてきましたが、その後水害が度重なり、遂には1969年8月の集中豪雨で堤防が決壊し、家屋と田畑に多大な被害が発生。また1976年には各所で浸水被害があったそうです。その一方で降水量の少ない年には下流の灌水設備が整っていないため旱害が発生しやすく、それが果実生産の不安定な要因になっていたそうな。そこで治水と灌漑用水の確保を目的として1979年に白水川ダムが建設されたとあります。



白水川ダムの目的:洪水調節、流水の正常な機能維持、灌漑用水の供給



諸元表の一部。



近くにはおむすびのような形の岩に嵌め込まれた「白水川ダム」のプレート。



で、ダム上に向かおうとしたらゲートが。立入禁止なのでしょうか。



近づいて見ると車両が進入禁止のマーク。ならば歩行者は良いのかというとゲートに鍵が掛かっていて、いずれにしてもその先に行くことはできません。なんやねん、まったく…。



仕方がないので、その場所(左岸)から見た貯水側の景色を撮ることに。



下流側からダムを見るとこんな感じ。



ダム下には素敵な広場があるんですから、ダム上からの素晴らしい(であろう)眺めも見たかったなぁ。
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留山第四ダムだゾ!

2021-09-07 07:18:49 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日の留山川(とめやまがわ)ダムの記事で、その上流の桜広場地区にもダムがありそうということがわかったので留山川ダムの左岸沿いの細い道を進んできました。念のためグーグル先生の地図で確認してみると、そこには「留山川第一ダム」というのがあるらしい。へぇ〜、そうなのか。

ダム横と思われる場所に来ました。するとそこには次のように記された石碑が。

留山川荒廃砂防工事
 留山第四ダム
着工 1975年6月
完成 1979年3月
形状 H=16.50m L=90.0m
 山形県土木部
施工 渋谷建設KK



いやいやいやいや、グーグル先生、違っとるやないかい!

まあ、いいや。とりあえずダム上に行ってみましょう…というわけで向かってみると。



「この先 蜂の巣あり 通行注意」

さすがにこれは躊躇しました。冬場ならともかく、この日の服装は半袖のTシャツだったので万一刺されたらえらいことになる。シャレにならんし…。

それにしても、グーグル先生は何を根拠にここを「留山川第一ダム」としたのでしょうか。意味がわからん。
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