湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/26 今年最後の「火曜災害ミニカフェNo.89」を終えて/他

2017-12-27 06:12:52 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/26 記
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災害ボランティアを行っていて、この世界はなんと固定概念に捕らわれているのだろうと思うことが、しばしばある。被災地産の商品を買えば支援になるとか、災害ボランティアの目標は、被災地の復興であるとかいうものだ。条件付きで正しいことが、そこからはみだす事態をを知らず、はみ出し部分が「一部の事」と、情報を得ずして切り捨てる発想である。とどめは「健康と明るさ」が、時に強迫観念とさえ思える前提条件として居座る事態だ。リアルに物事を捉える事の難しさを思う。

このことは、当然ティーンズたちにも影響している。これは社会常識というくくりもできない。

以前、2012鶴嶺高ボラ塾の中で、生徒有志からのプレゼントをどうしたらよいかという問いがあって、陸前高田の某仮設住宅の経験談をした。被災して身ぐるみ失い、カンパ物資の衣類と家財道具の生活になっているという話だ。冬場寒いから出歩くことが億劫になってしまうというものだった。手作りマフラーが全国から余るほど届いており、手袋は少ないという話だ。その話を伝えながら、だったら「毛糸の帽子」を作ったらと助言したところ、使い古しの毛糸の既製品の帽子を集めてきたという経過だ。マフラーの話の時に、担任の先生に、「まあ自作は心を込めるという副産物がありますけどね」という言葉を添えたのだが、ほつれたり、洗っていない帽子が集まってしまった。結局それらは、私がクリーニングにだし、破損のひどいものは、私の判断で抜き去り、事情を説明して担任に還した。気持ちの問題があると指摘したけれど、全く通じなかった。

これらは、被災者への想像力の欠如がある。使い古しの帽子には、ふたつの発想が潜んでいる。

1)お恵み寄付…支援者を被災者と別格とし外部から投入れ。
2)新品は失礼、ゆえに使用済みのものを

と考えた。仮設入居者の**さんは、受け取ってくれたけれど、恥ずかしかった。ここにも「お恵み寄付」の発想が背景にある。現場をつかまずに、帽子を集めるという粗さを感じてしまう。常識という傲慢さに触れる出来事だった。

「人を救う」・「正しい行い」という誤解。共感から出発することを伝える難しさ。

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今年最後の「火曜災害ミニカフェ」を行った。この時期混雑するが、被災地に出かけられないフットワークの低下を感じる。運転免許証を目の限界(網膜色素変性症)ゆえ、現地についても都市部でないかぎり、動きがとれないハンデそして、柔らかな拘束の介護の煩悩が付きまとう。

「いま・ここ」で、なし得ることは何かを自らに問いかける。時が刻々と過ぎていく。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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