湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/20 教材屋の忘年会から60kmはなれて/鶴嶺高ボラ塾生徒の感想(2)

2017-12-21 06:07:35 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/20 記
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教材屋の忘年会が神保町であったが、母の事や懇話会のゲスト招待費用用などを考えて欠席を表明していた。元締め社職員を除いて30名弱ほどいるのだが、彼らもまた私のように夜が遅い。昼まで後期高齢者陣の大半が帰り、真の飲んべは、20時に終わる一次会のあと、癖の強いところに移動する。彼らは飲まない私など相手にしないからいいが、一次会から三々五々帰路の途中でひとり一杯やっていたり、自宅で飲み直ししている連中が、23時過ぎに電話をかけてくる。「(私の)体調が悪いのかと思って…」が共通の合言葉。うるさいので電話のモジュラージャックを抜いた。携帯もOFF。そうしたらメールが山になった。

私が関わってから30年近くになるが、3分の2が入れ替わり、半分があっちの世界へ旅立った。だからあまり無下にできないのだが、私のように肩書がないのは数名というところ。塾屋は私だけ。でもオンラインでつながっているのはまずいないという全執筆屋は単独者集団。有名なのひとりもいない。私が年齢の平均のすぐ下。

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北海道の友人元看護師さん宛に、トーベ・ヤンソンの皿を注文していたが初め追加入荷予定が長引いて、先ほど品切れと連絡してきた。sinnen プレゼントと控えていたが、急な話、困った。東京に出る用事が、また一つ増えた。

母の風邪の残した鼻の裏側の糜爛(びらん)、抗生剤を服薬し始めてから使い始めて翌日、症状軽減。また断捨離と言い出して、私のチラシファイル、教育と災害・障碍関連チラシファイルが、風前の灯。


---- ここから ----

~ボラ塾参加・鶴嶺高生4名ずつ、全員高1~
(その2)(転載不可)

●「災害が起きたところからいろいろなことまで、何をしたらいいのか、してはいけないことは何なのか、知ることができてよかったです。弱者を助けたり、率先避難することなど大切なこととか、知らないことも多かったので良かったです。避難所の生活も大変なことが良くわかり、少しの知識を知っているだけでも、お年寄りの命を助けられることが分かりました。」


●「意外と身じかに震災があるんだと改めて知りました。中学の頃も、災害が起きたら、中高生が頑張ると言われてたけれど、どう頑張るかは知らなかったから、詳しく知れて良かったです。」


●「震災などの災害が起きたとき、ただ完全に避難すれば終わり、外部ボランティアに頼ればいいなどではなく、自分たち土地のことに詳しい者が、行動したり、避難の際にも助けあったり、土地のことなどに詳しい大人とつながりを持ったり理解を深めていくことが大事と分かった。老人ホームからの避難に観光バスが用意された話など、『無知ゆえの不手際』が引き起こす二次災害の話は、病院に入院している姉が居るので、何だか身近に感じてしまってすごく恐ろしくなった。私も災害の時に率先して行動を起こし、命を守れる人々になりたいと思った。」


●「首都直下型地震が起きると、私の家がある地域はとても被害を受けることを初めて知りました。災害弱者と呼ばれる人は知らないだけで、たくさんいて、それを助けるには中高生のように若い私達が率先して行動していかなければならないということが分かりました。災害が起きたとき、パニックになってしまい何も手につかない状況になってしまうと思います。でも、その中で、工夫を凝らしたり、自分だけではなく周りの人たちの事を考えながら乗り切ることが必要だということを知りました。災害が起きたら、協力することがいちばん大切だと分かりました。」


---- うーん、通じていない。ひとりしっかりうけとめてくれた子がいたのは嬉しいが、姉さんの話などの経験との接点を見出してくれたことが、「ティーンズの自主防災活動」・「要援護者支援活動」の土台が言葉の消化酵素のような経験の読み解き効果がほとんど期待できないから、被災地見学とか、バズセッションというような解き明かしの時間が必要だ。45分では災害経過ダイジェストで終わってしまう。私は90分になれているので、なおさらに感じるのだ。

厄介な問題提起で応答が大変だっただろう。ごくろうさまでした。

----- ここまで -----

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)



コメント
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