湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/5 私事ばかりです、塩まいてください

2017-12-06 06:20:55 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/05 記
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母が横須賀に行くと。急に言い出した。困った。今日は火曜災害ミニカフェに入れていなかったのは幸いだったが、橋本の訪問指導が入っていた。また、株)御用聞きにア・ポを取り、大丈夫なら出かける津ml利でいたからだ。

母の趣味の関係で知り合った、亡き++さんの命日なのだという。突然の変更は困ると口論になった。結局私が折れて、付き合うことになったなったのだが、昨夜母が着物の入れ替えをしているとき、++さんからもらった象牙製の##が出てきたというのだ。現在の価格で20万円は下らないものだった。10数年前、末期の担癌で徳洲会病院に入院してすぐ返されていたのだが、天涯孤独の身で生活保護を受けていたのだが、見かねて一日おきに覗きにいっていたのだった。++さんの師匠から借り受けていたが、師匠が無くなって30年、母にそれを師匠の家族に還してほしいと頼まれたが、消息知れず、それを私の母にあげるといわれていたものだったという。

++さんはそれを母に託したまま、湯船で溺死していたのだが、##が、##が見つかったのが++さんの命日の前日だったのだ。母はそれを受け取るわけにいかないと、++さんが眠る横須賀の@@寺に納めに行きたいというのだ。

高齢者には過去の付き合いも、今に生きている。ひとりで行くといわれても心配なので、渋々付き合った。

##寺は、不思議な縁だが亡き父の同級生が住職を継いでいる寺で、前々知らないところではなかった。##を墓にいれることになったのだが、焼いてから入れるとのことで、その間の母と住職との話に突きあわされた。墓荒らしがあるので、金歯なども入れないのだが、身寄りがない方などは、残すことあるとのこと。価値を無くしてから入れるのはそういうことなのだとのこと。

その時間、嫌な予感がしていた父の話にうつり、延々と話を聴かされた。いい話ではない。在郷軍人会の若い協力者だったのだ。

日が暮れて外は冷えてくる。風邪を再発されると困るので、さっさと帰ろうとすると、天ぷらが食べたいと言い出し、安上がりに大船の「てんや」につれていった。

飯をたべながら、母が話すには「実は昨夜++さんが来た」というのだ。勿論夢。しかしこの歳の者が語ると、妙にリアルになる。「そうそう親父の命日近いけど,行ってね」という。私は「あとをおいかけないでくれよ」と思っていたところだけに、いやだとは言えなかった。

せめてと茅ケ崎駅からはタクシー。生姜湯を飲ませて寝かしたが、これでは重要な活動はできない。不安定に時間が裁ち切られるからだ。お茶が苦かった。

火曜災害ミニカフェ12月分の番組だてをしているとき、NHKスペシャルの「それでも生きたかった」を見直した。福島県の農家の息子が、嫁さんと実家の農業を継ぐと意気込んでいる無邪気な笑顔の若夫婦の画像を早送りしていると、翌年夫婦はふたりとも自殺してしまう無残な記録がある。意気込みだけでは仕事はできない。商売がなりたたない。東電はこういう間接死のことを思い編集を終えた。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

コメント
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