湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/23 成年後見制度研修に参加し/鶴嶺高ボラ塾授業への生徒感想(5)

2017-12-24 04:42:51 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/23 記
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成年後見制度関連の研修にお邪魔した。

又村あおい氏の
「成年後見制度と意思決定支援の現状の整理と今後に向けて」を聴く。
盛りだくさんの話だったが、臨界が見えてくるのはさすがだった。母の
事がちらつくが、他の話が出てこないのは、訪問支援という仕事が、当
事者の生活支援まで踏み込んでいない証拠だと感じていた。

翔の会・育成会動員かなとおっさんだらけの会場を眺める。いつも女性
だらけの会場なので、もっさりしている感あり。

山口一美さん、お久しぶりです。

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帰りに急ぎ母と連絡を取る。いちおう無事。お前の入った風呂は汚いか
ら洗ったと聞き、肝が冷える。ひとりのとき、危ないことしないでくれ
というが、怒り出すのは母のいつものパターン。目が離せない。

イトーヨーカ堂で、パイン1つ買って帰る。ハワイアンステーキ(糖尿
病者には毒だが。)酵素効果を使う。赤パプリカと塩・胡椒。正解。

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~4名ずつ、全員高1~
(その5)(転載不可)

●「さまざまな被災者に向けての工夫で、いろいろな高齢者の方が笑顔
になっていて少しの工夫で変わるのは良いと思いました。仮設住宅で、
変わると死者が出てしまったのはかなしいけれど、また新しい家で食事
会などが出てきてまたみんな笑顔になっていておかったと思った。ボラ
ンティアをすることによって、人々を助けるとともにいろんな知識を取
り入れることが出来る。」


●「知らないことによって助けられない、助からないことがすごくこわ
いなと思った。自分は、中学の地元から引越ししたから、地域のことも
あまり知らず生活しているから本当に怖いと思った。家族を守り、死の
怖さやできる事を知った。孤独紙もとても怖いと思った。自分にできる
事をして生きたい。」


●「5時間目の時のボランティアの話と変わって、ボランティアって大
変なことが多いんだと思いました。もし、避難を自分もすることになり
大変な状況に立たされたら、他の人をかまっている場合じゃないんじゃ
ないかと思いました。でも内田さんがなぜ他人をたすけるのか、それは、
人間は人の事になるとがんばれて、頑張ることで自分も見えてくるとお
っしゃっていて、なるほどと思いました。今回の授業を聞いて、
他人にも尽くせる人になりたいと思いました。」


●「これから高校生がしっかりと協力していかなければならないと思い
ました。地震などが起きた時には自分から行動できるようにしていきた
いです。」


----ちょっと待って。私は「内田」ではなく「飛田」だ。前のレスに戻
りますが、私は避難所までなんとか逃げ延びてから後の話を中心に話を
しました。そのことを明示し従来の安全避難対策偏重、その後の語りな
しの語り口をずらして話題を組み立てた。自然災害の波を第一の波とい
えば、避難直後から始まる「避難生活確立と生命の防御、繰り返される
余波対策」があります。しかし災害弱者にはもうひとつ「無理解と差別
の波」があります。これを第二の波といいます。この「第二の波」につ
いての言及は、避難所>仮設住宅>公営災害住宅というい大きな流れと、
そこに乗れない周辺の事態という大枠を概括した後に話したこともあっ
たせいか、伝わらなかったという印象を持っています。

あと1回で感想の紹介は終わりますが、災害は、いままで正面から受け
止めたことのない事態の課題だったのです。大きな基礎知識がないと、
地元の若者に期待される仕事の話は、その必要性が伝わらないというこ
とになります。45分間では猛烈に時間が足らないという悪あがきが影響
した感想になりました。5+5分の動画といくつかのエピソードを入れ
ました。福島の原発事故避難の水野総合病院の緊急避難の悲劇や、岩手
の医療関係者から取材した嚥下障害の悲劇。(寝たきり高齢者の食事を、
寝かせたまま食べさせ放置している家族の無知の悲劇>頭を起こし、口
は常時清浄を務める必要)車いすが入らないトイレ・和式トイレの健常
者の無知の話などを話しました。あらゆる見えない困難が待ち受けてい
ることなど。事態が見える人になってほしいという願いと、託したい仕
事の話をしましたが、空転していました。

以前の授業で「片方の足が沈む前に、もう一つの足を出せば、水面を歩
くことができる」さてどう思うと問いを発したことがありました。メカ
ニックに強烈な回転を与えれば、確かに条件限定で沈まずに済みますが、
生身の身体を前提にすると無理です。「1枚の食パンをその都度、半分
だけ食べれば、無限にパンを食べる事が出来る」これらがおかしいなと
思うのは生活経験が裏打ちされているから直感的に「変」とわかる。前
提条件よりも先に常識が立ち上がる。

今回の高校生たちとの出会いは、伝えることの困難さという壁でした。
仮想の事態の「中に」身を置くことの難しさがあります。出来事を配列
して終わってしまったり、強迫観念のような「笑顔」と「決意表明」の
ステレオタイプは、現場追体験をしつつ関係者と対話することによれば、
相当気づきを喚起できますが、生活の困難などの裏事情については、理
解の個人差・年齢的限界がやはりある。

ルソーがマリー・アントワネットの逸話を紹介した中に,
「フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければ
お菓子を食べればいいじゃない」と発言したと紹介された」
(Wikipedia)という有名な話題がでてくる(創作らしいが)。

経験からはみ出している部分の対話は、常に対立のテンションと空転野
清戦場となる。語り切れない悲しみを飲み込んだ。

最後に「何故他人を助けるのか」という授業途中の質問に、即興で答え
た「他者と私は合わせ鏡」という弁証法の話をしたものだ。相手との関
わりのこと、彼に響いていたことがわかって、嬉しかった。

感想紹介は次回が最終回だ。



夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)


コメント
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