湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/24 地味なクリスマス イブ

2017-12-25 05:24:43 | 地震津波災害ボランティア
2017/12/24 記
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母の友人が脳溢血後、認知症が進み施設に入所している。我が家と同じバツイチの息子と母親の高齢母子家庭だが、自由業で何日も家を空けることが多い。介護度5。私たちが訪問しても眼差しは宙に浮いている。雨が降りそうだが、母は覗きに行くと言って、犬の根付のようなみやげを持って外出した。

結局、塾の呼び出し(招待)を断って、母に連れ添った。塾では2組、塾長担当のグループの学習指導代行を任され、大人と講師たちは、フィリピン風クリスマス忘年会なるわけのわからない食事会を塾生宅でやっている。私はどうせ飲まないのだからと、学習指導をたらいまわしされてきたのだが、私が断ったため、塾長がパニック状態になった。解雇(3回目)だそうで、毎回後で「蚕」と言ったのだとか謝ることが繰り返されてきた。その辺の愚痴謝罪は夜間傾聴の時間帯に電話をかけてくるのだが、今回も同じ。迷惑である。

母と訪問した方の個室はクリスマス仕立てで飾られ、棚は折り紙だらけだった。胃ろう(PEG)をしているので、食べ物は持ち込めない。顔と口の中を拭いてきた。帰宅後、先方の息子さんからお礼の電話が入ったが、京都で突貫仕事をしているのだという。お互い、地味ですなと笑っていたが、摂取カロリーのバランス管理が崩れて、体重が見た目5kg近く太っているようにみえた。

3年前、講師職を定年で追い出されてから、塾訪問講師と教材屋と某生業の閑職で生計をたてているが、電話の向こうの彼も収入は不安定、入所費が馬鹿にならないと思う。富岡八幡宮の初詣の心配をしているどころではない。

私が施設訪問して思ったのは、独特の年末の施設の空気だ。私は2000年に交通事故で年末入院し、医療ミスもあって2年間入院生活をした。ローテーションする看護師の人数が減り、患者も帰宅させられるため閑散とした病棟と、無理をしたクリスマスと正月飾りがセロテープがはがれて揺れていた。私の再起は友人の北海道の看護師さんに元気づけられたことが大きい。ただナースステーションの話声が筒抜けのように響いてきて、一人が塩釜出身であることがわかってしまった。その地域は津波被災が大きかったところ。昔の話だが、彼女たちの実家はどうなっているだろう。トイレの木製サンダルの音が廊下に鳴り響いていたことなどを思い出した。

金目鯛の煮つけ・しそ風味切り昆布・浅漬け・大根の味噌汁・枝豆の混ぜご飯すべて自作、白ワインおちょこに一杯、ささやかなイブなり。

-----ここから-----

~4名ずつ、全員高1~
(その6)(転載不可)


●「あの日わたしたちは のビデオをみた。もし地震が起きたらどうすればいいのか教えてもらった。」


●「テレビやニュースで被災地のボランティアの活動をみたことはあるけどそこで実際にどんな問題や悩みがあってどんな助けを必要としているかは知らなかったから、私たちのような学生だからこそできる事があると知って少し驚いた。復興してからもボランティアが必要だとは覆っていなかったからびっくりした。自分の誰かの助けがしたいと思った。その為に分かっていると大人の人の話を聞こうと思った。」


●「人を助ける、人の為に何かしてあげる、そういったことを当たり前のようにできるような人になれたらいいなぁと思いました。もし、また東日本大震災のような大きな震災が起きた場合、助け合いがとても重要だと分かりました。また、お年寄りの方が楽しく安全に暮らせるように私たちもサポートしていきたいと思いました。私は団地に住んでいるので周囲の人とコミュニケーションを大切にしようと思います。」


●「助けのサインを少し覚えると色々な人を助けることができるということができます。特に、耳が悪い人や、目が悪い人は他の人の助けがないと災難あることは難しいです。なので、私達学生1人1人の若い者の助けによって、人を助けられるので、頑張ろうと思います。部活でも、チームワークで行動する。という事を、とても心がけています。このような事、行動も困っている人を助けるという事につなげられたらいいと思います。」

---- 書きたくなることは山ほどあるので、それは明日に。

-----ここまで-----

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)
コメント
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