湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/20 墓參、とことん切れ目が見えてくる行事

2013-03-21 06:13:50 | 引きこもり
2013/03/20 記
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母方の墓は親戚が高齢化し、子どもがいない。以前は山の斜面に作られた急な階段の多い墓地だったから、母には無理だった。今度の墓地は、階段ではなく坂なのだが、かなり歩く。車ならすぐ近くまで上がれるのだが、田舎なのでタクシーが捕まらない。結局前と同じように私だけ、あるいは弟とふたりで行くことになる。

今回はひとりだ。父方の墓參と重なったので、弟夫婦はそちらに行っているからだ。今度の墓地は見晴らしがいい。しかし山の端は黄砂に霞んでいるのか輪郭がぼやけていた。

しばらく墓の前でぼんやりしていると、いろいろなことが蘇ってきた。親族のことも強烈なことが続いたが、妻のこと、白血病で亡くなった塾生のこと、死に急いだ友人や私の師匠のこと。そして心の病から境界を超えてしまった若者のこと。私にとって墓參は親族との心の再会にとどまらず、黄泉の彼方に去って行ったひとたちとの再会でもあった。

戦争がそうであったように、災害がひとの命を寸断してしまうことが、その不合理をなおさらかきたてるように、エピソードのある死のあとに湧き上がってくる。3.11のとき、おい反則だろうとつぶやいた私の不釣合いな言葉に、自分自身が立ち止まる、そんな情の盆からこぼれ落ちる事態に立ち尽くしていた。その緊張が蘇ってきた。

母はきっとその感覚がけしからんと怒るだろう。親族の墓の前で、「よそ事」に思いを巡らしていることにだ。母は故人に思いを巡らし、私は死に眼差しを向けている。

罰当たりなのかなあと思いつつ、清掃のアルバイトをするかのように雑巾で墓を磨いた。

父方の墓參は私にとって針の山だ。平凡に生き、家庭を築き子を育てるそのことから外れた単身者は異端でしかない。親に背いて結婚し、祟りか妻と尋常ではない「死去」という別れをしたことや、父の家族観からの介護協力拒否に反発して、年寄りだらけの家族の介護と自由の効く塾経営をしてきたことが、親戚からは普通ではないと排除されてきた。だからなおさらに、「普通」に抑圧されている方に肩入れしてしまうのだろうと思っている。しかし間違っているとは思わない。

3.11の活動の中でも、家族の絆と合唱されたとき、単身者は言葉を封じられる。家族の情を否定しているのではなく、自分の生を全うしていく中に、断ち難い形で他者は現れる。私のこの掌も社会がもたらしたものだが私のものだ。私の思いもそれを表現している言語も社会的なものだ。そういう世界の中に親がおり、連れ合いがいる。それを屁理屈というなら、人の生は屁のようだ。

バスの時間はまだこない。休憩所で軽食が食べられる。大きな長いテーブルに向かい合って席が並んでいた。席を選べるような状態ではない混雑なので、隅にすわって、きつねうどんを待っていると、若夫婦が目の前に座って居心地の悪い顔をして、周囲の空席を探していた。うどんが届き、私は「お先に」と挨拶して食べ始めた。すこしほっとしたのか、私の目の前で、寿司折を開けて食べ始めたが、早く食べ終えてくれとばかりに視線を送ってくる男に、「気になりますか」と聞いた。うろたえているので席を立った。帰りに塾長と喫茶店で会ったが、「そりゃ独り者のひがみってものだよ」とたしなめられた。

久々に缶ビールを飲んだ。酒を飲んだのは、湘南子どもネットワークの打ち上げのときからだから10日ぶり。年数回のこと。確かにお彼岸、先祖の墓の前で、震災のことに思いを巡らせているなんて、無粋ではある。

夜間傾聴:ひとり


(校正2回目済み)

コメント
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