2013/03/22 記
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仙台市が3/18日付けで、東日本大震災についての全資料をまとめて公開した。本にして7百数十頁、PDFファイル総計80MBの量となる。取りあえずDLしたが、国への援助要請の基礎資料とすることと、仙台市の復興の中・長期計画を立てるための出発点を整理したということなのだろう。内容吟味は、とりあえずペンディング。
●「東日本大震災 仙台市 震災記録誌-発災から1年間の活動記録」
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岩手県医療審議会が精神医療とくに高齢者の認知症を意識した計画なのだ。過疎・高齢化・無医化が進む地域の対策を織り込んだ。これは答申を読む必要がある。
●「精神医療など整備へ 次期保健医療計画を答申 岩手県医療審」
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朝から慌ただしい一日。相模大野校で昼食をと、近くのバス停からバスに乗っていた車中で携帯が鳴りだした。特養からだった。男性入所者が退所したので、来月から入れるというものだった。健康診断を受け、証明を取ってくださいというものだった。
相模大野校に欠勤の許可をもらい、老健で調整。いよいよ特養入所だ。
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サポセンにロッカー利用申請(継続)をしにいく。サインを求められるが、書類がところどころ霞んで見えない。視野検査で中央部分の視神経の濃度がますます薄くなり、左眼の外周部、右眼の中央部の大きさが変化していた。字の見える位置に眼球を動かして書面を書くとき、以前と違う距離感を保たねばならなかった。左右が違うので紙面が二重に見え、片眼で見た方が楽だった。書くときは紙面が固定する。微妙に紙面を動かせる「文を読む」ときと異なる違和感。そういえば「ペンで字を書く」という場面は少なかった。キーボード操作や、ホワイトボードペンで書く以外は、機会があまりなかったのだった。
書いている最中、**さんが今後の領収証に途中まで書いてある特別の自作領収証を使うと速いと、外枠をくれることになった。目の調子が悪い私にとって助かる話だったが、「あれ?なんで」とサービスの良さに、逆に居心地の悪さを感じてしまった。全く素直ではない偏屈爺ぃである。
サポセンで、いくつかのタイトルを作って帰る予定だったが、気分が落ち込んで、宿題は家に持ち帰ることにした。
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年度替わりは、忙しい割には、ことが停滞する。職業の違いも露骨に出る。私はこの時期、教科教育系と社会心理系の研究会の外野席が空いているぞという連絡が入る。ところが、塾屋やその他もろもろの仕事や活動は、始めで終わりのような非生産的なことに振り回される。行政や会社関係も人事異動があるから、この時期にことを進めると、4月以降にもう一度やり直さねばならない事態になる。だから来年度の準備に集中したほうがいい。
予備校や塾は春期講習で生徒集めにフル回転しているが、爺ぃは事情のある入校希望者の事情相談に回る。しかし、ほとんどが待機だ。研究会に出て、今回は「被災地の高ストレス下、発達障害を伴う若者の現場情報」と、分野からは番外編になるが、「高齢者の孤立に対する手立て」の意見を求めたいと思っていたのだが、今年もまた日程があわない。
帰り道、近所に桜が咲いているのを見つけた。言い方を変えれば、桜の状態に気がつかなかったのだ。忙しさではない、これからの方向に気が取られていたのだ。生業が決して順調であるのではないが、社会活動の実現打開策のことだ。
山田町のゲストの件は、返事を送らねばならないタイムリミットだった。第3回の++さん招待の件も、東日本大震災の退潮後の的確な被災地連携活動を作る上で大切だが、災害ボランティアが生活支援活動をどう実現していくかという発想を、共有できていない方が圧倒的な状況で、知名度の低い現場の方をゲストにする難しさが、先方の予定とともに,厚い壁となっていた。勇み足か、それとも時期遅延と時間を稼ぐかだった。
JR茅ヶ崎駅駅長さんとの懇談実現は、公的協力がないと難しい。結局、お百度参りを踏まねばならない。これは実行する。
さてどうする。時だけが流れていくのを無理やり、飲み込んだ。
夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)
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仙台市が3/18日付けで、東日本大震災についての全資料をまとめて公開した。本にして7百数十頁、PDFファイル総計80MBの量となる。取りあえずDLしたが、国への援助要請の基礎資料とすることと、仙台市の復興の中・長期計画を立てるための出発点を整理したということなのだろう。内容吟味は、とりあえずペンディング。
●「東日本大震災 仙台市 震災記録誌-発災から1年間の活動記録」
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岩手県医療審議会が精神医療とくに高齢者の認知症を意識した計画なのだ。過疎・高齢化・無医化が進む地域の対策を織り込んだ。これは答申を読む必要がある。
●「精神医療など整備へ 次期保健医療計画を答申 岩手県医療審」
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朝から慌ただしい一日。相模大野校で昼食をと、近くのバス停からバスに乗っていた車中で携帯が鳴りだした。特養からだった。男性入所者が退所したので、来月から入れるというものだった。健康診断を受け、証明を取ってくださいというものだった。
相模大野校に欠勤の許可をもらい、老健で調整。いよいよ特養入所だ。
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サポセンにロッカー利用申請(継続)をしにいく。サインを求められるが、書類がところどころ霞んで見えない。視野検査で中央部分の視神経の濃度がますます薄くなり、左眼の外周部、右眼の中央部の大きさが変化していた。字の見える位置に眼球を動かして書面を書くとき、以前と違う距離感を保たねばならなかった。左右が違うので紙面が二重に見え、片眼で見た方が楽だった。書くときは紙面が固定する。微妙に紙面を動かせる「文を読む」ときと異なる違和感。そういえば「ペンで字を書く」という場面は少なかった。キーボード操作や、ホワイトボードペンで書く以外は、機会があまりなかったのだった。
書いている最中、**さんが今後の領収証に途中まで書いてある特別の自作領収証を使うと速いと、外枠をくれることになった。目の調子が悪い私にとって助かる話だったが、「あれ?なんで」とサービスの良さに、逆に居心地の悪さを感じてしまった。全く素直ではない偏屈爺ぃである。
サポセンで、いくつかのタイトルを作って帰る予定だったが、気分が落ち込んで、宿題は家に持ち帰ることにした。
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年度替わりは、忙しい割には、ことが停滞する。職業の違いも露骨に出る。私はこの時期、教科教育系と社会心理系の研究会の外野席が空いているぞという連絡が入る。ところが、塾屋やその他もろもろの仕事や活動は、始めで終わりのような非生産的なことに振り回される。行政や会社関係も人事異動があるから、この時期にことを進めると、4月以降にもう一度やり直さねばならない事態になる。だから来年度の準備に集中したほうがいい。
予備校や塾は春期講習で生徒集めにフル回転しているが、爺ぃは事情のある入校希望者の事情相談に回る。しかし、ほとんどが待機だ。研究会に出て、今回は「被災地の高ストレス下、発達障害を伴う若者の現場情報」と、分野からは番外編になるが、「高齢者の孤立に対する手立て」の意見を求めたいと思っていたのだが、今年もまた日程があわない。
帰り道、近所に桜が咲いているのを見つけた。言い方を変えれば、桜の状態に気がつかなかったのだ。忙しさではない、これからの方向に気が取られていたのだ。生業が決して順調であるのではないが、社会活動の実現打開策のことだ。
山田町のゲストの件は、返事を送らねばならないタイムリミットだった。第3回の++さん招待の件も、東日本大震災の退潮後の的確な被災地連携活動を作る上で大切だが、災害ボランティアが生活支援活動をどう実現していくかという発想を、共有できていない方が圧倒的な状況で、知名度の低い現場の方をゲストにする難しさが、先方の予定とともに,厚い壁となっていた。勇み足か、それとも時期遅延と時間を稼ぐかだった。
JR茅ヶ崎駅駅長さんとの懇談実現は、公的協力がないと難しい。結局、お百度参りを踏まねばならない。これは実行する。
さてどうする。時だけが流れていくのを無理やり、飲み込んだ。
夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)