湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/21 セミナーのコンセプトが固まってきた/凍える言葉を抱える時代体験と

2013-03-22 06:36:08 | 引きこもり
2013/03/21 記
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セミナーのコンセプトがだいぶ固まってきた。役割は大きいが、その評価を果たして関係者がしてくれるか、ともあれ企画書を4月に持ち込むつもり。狙いなどの外郭は提案者の仕事だ。「すべて私が決めてしまい、やるかやらないかと迫っている」つもりはない。イメージが伝わらなければ、説得はできない。しかし提案は必要性と実現可能性の概要を指し示さなければ、プレゼンにはならない。求めているのが共同推進者であって、協力者に相手を押しとどめるものではないからだ。これから追加していくコンテンツは事例であって、外枠の評価とともに、対案をもとめ修正を加えていく。

あれこれ書くよりも、通信のメインタイトルを載せておくのでご覧あれ。

はじめは「被災者ケア・スタディーズ茅ヶ崎通信」としようとしたが、説明が面倒なので、いかめしいが「懇談会」を使うことにした。主催に「支援」がつくといちゃもんがつきそうだが、態度を明らかにしないのが公平なのかと問う。

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昨日は墓參の帰り、塾に寄る前に、近くにある社会活動の挫折で命を絶った友人の墓にまわった。墓参は寄り道禁止をいう宗派が多いが、私はどのみちろくでもない人間なので、人倫に反しない限り、自律基準に合致すればやる。

彼のご両親は亡くなっているだろう。すでに40年を経ている。しかし墓には生花があった。姉さんが受け継いでいるのだろう。彼の好きな煙草の燃えかすが落ちていた。

しかし、遠くまで来た。団塊の世代ではないが、彼もまた語れない世界を抱えて、言葉を失って三途の川をわたってしまった。墓苑が閉まるので、ゆっくりもできなかったが、わからんちんと話すより、よっぽど話が通じると思って気がついた。彼と別れた時に、伝わらないからこそ、対話には意味があるのだと言っていたことを思い出したのだ。お前は馬鹿だと言って手を合わせてきたのに、凍える言葉にまだ振り回されている。

あと20年かな、30年かなと言いつつ水をかけたが、冗談ではない、いつ私の思いが絶たれても受け止めていかなくてはならないのがひとの命だ。いつでも首は洗っておく、それが矜持だろう。

母に準備しておいた「ほうとう鍋」を作って、遅い夕食を食わせた。時間が経ったまずい幕の内弁当をつまんで、「ほうとう」とわねと、使い古された冗談をつぶやいては、一日を終わらせた。塾長との缶ビールが誘い水になったか、酒が欲しかった。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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