湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/15 私事一段落。茅ヶ崎養護・手をつなぐ育成会を訪ねて

2013-03-16 05:37:22 | 引きこもり
2013/03/15 記
--------------

故・祖母もそうだったが、ひとが起きていると眠れない性を母も持っている。母の中途介入があったり、外出の用事が挟まって、まとまった時間が作りにくいから、昼間の作業はメールチェック程度に留めている。もうひとつは、最近は相手の人数が減り、綱渡りのような危うい子は年1・2回出会うかどうか紹介制夜間傾聴を続けていく意義が薄らいでいるが、これも継続したい。だから夜に作業するが、そうすると母もまた夜間作業に付き合っている。

今日で一段落付き、あとは18日の視野検査だけとなったが、詰めて作業した影響が母に出て、頭痛と下肢のつりとなって現れた。夕方まで睡眠を取ったら復活したようだが、私も食卓に頭突きしている。夜間傾聴は、休ませてもらった。

-------

税務署通勤3日目。やっと確定申告が通過した。教材屋の最終稿も送って、ほっとしている。明日から東日本大震災関連の分科会に出ようと思っているのだが、どうやら私が一番爺ぃのようだ。(発表側が若い。)

実のところ、私の活動の地元学生協力者探しなのだが。なぜか関西勢が強い。

--------

茅ヶ崎養護の教頭さんに面会を求めた。2/18の飛田レポートと資料を提供してきた。黒田裕子氏講演の概要と地元勉強会の接点について、具体例として語り、専門職の活動の自己完結の世界にNPOがどう連携するかということや、外出時被災の安全避難誘導協力者(特徴的には親御さんなどの随伴者がいることが多い。)の具体像をどう考えているかということ、避難所生活サポートのあり方等の議論の所在など、実は問題は浮かび上がっただけで、なかなか次の持ち帰りまでの水準まで、持ち上がらないのは、会のファーム的役割が伝わっていかない悩みがあるとぶつけた。教頭さんは、静かに耳を傾けてくれたが、どこでどう接点をとるかが難しかったのではないかと思う。

茅ヶ崎手をつなぐ育成会は、8回目のお留守。午後の遅い時間は時間外なのかもしれない。メモを添えてポストに資料を投函して駅に戻った。

柳島の防災リーダーの方は、お留守。

少々疲れている。民生委員の**さんと来週早々お宅にお邪魔することに。

金がかかる。陸前高田に行きたいが、今回は車がいる。大船渡でレンタルしても目の悪い私には同伴者探しをしなくてはならない。地元に問い合わせをしているが、前回と異なりなかなか協力者が出てこない。最悪徒歩で3泊だが、中古自転車を送ることも考えている。5月か…。

茅ヶ崎養護の教頭先生には、JR茅ヶ崎駅駅長さんや、大店舗会防災担当者さんとの非公式懇談も考えていると伝えた。さてどこから再度アクセスするか。

夜間傾聴>なし


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/14 年度がわりで少しいい報道が…

2013-03-15 06:33:45 | 引きこもり
2013/02/14 記
--------------
いつも思うのだが、税務署の相談員は癖が強い。私に負けず劣らずなので、相性が悪い相談員にぶつかると、重箱の隅をつつかれる。結局数回書類不備や、複数収入なのでもつれがあって、相手が決めつけた話と違うと修正を求められ、説明すると元の記述でよかったりする。今年は塩を持っていった。机の上に小さな盛り塩をしておいた。

「なんですか、これ」
「塩です。」
「ちらかるといけないので、しまってください」

これでいたずらは終わるのだが、江戸の仇は長崎でではないが、「同じ印鑑はだめですねえ」ということで、家で修正印押して、最終日の明日提出することに。

明日、市高齢福祉介護課に立ち寄ることに。どうも市役所は知人が多いので、確定申告はやりにくい。藤沢税務署は藤沢遠藤が昔の私の塾の発祥地だったこともあって、習慣化しているというのが実のところなのだが、高齢福祉介護課とは、なんとも二度手間のような話なのだが。

忘れないうちに、記事3つ。

●「成年後見選挙権訴訟:裁判長「堂々と社会参加を」」
●「精神障害者の雇用義務付けも必要…労政審意見書」
●「発達障害支援を拡充 大阪市、新年度から」

流れとしては前進?内実がこもることを。

-------

教材屋の仕事が一段落した。来週火曜日まで気が抜ける。そんなこともあって、今夜は少し手をかけて「ほうとう鍋」を準備した。ところが母も主婦の沽券が関わっているのか、大きな生牡蠣を買ってきた。暑苦しいと中途まで作った野菜類を片付けられてしまった。親と地頭には勝てぬとぶつぶつ言っていると、今の子にそんなことを言っても通じないとご指摘をいただいた。ごもっとも。どうせ爺ぃである。

18日に年2回の視野検査がある。慈恵医大病院にいく。私は右目中央と、逆ヨの字に右目視野がやられている。左目も全体に薄く厚手ビニールを通して世界を見ているような状態で、やはり中央部分が欠けている。数m先の人が誰だかわからない。隙間から覗いて誰かを認知する。右側に人が立つとわからない。横断歩道を右側から自転車が来ると、近づく音がしていないのでぶつかりそうになる。秋冬の陽や、夕日・上に光軸をあげたヘッドライトの光はハレーションを起こし、前が全く見えなくなる。右側においたものを忘れる常習犯で、ハンカチ・傘・買い物袋を置き忘れる。

それなのに静物は隙間から眼鏡越しで1.0を超える。ひとの目は見損じたものをもう片方の目の視野で補うので、たとえばテーブルを台ぶきんで拭いたとする。完璧と思い首の向きを右にふると、右側がゴミだらけということも起きるが、確かに全体は綺麗に拭いたはずなのだった。そのように見えているのだ。

パソコンのカーソルが突然消える。画面端にカーソルを移動させ、再度慎重にカーソルを追い直す。緑内障に似ているが網膜色素変性症という難病指定の病だ。主流は遺伝性だが、私のは非遺伝性で網膜色素変性症の3分の1ほどしかいない。

辻堂駅ホーム藤沢寄り歩道橋の藤沢寄り上り線側は、自転車置き場を遠景に軌道わきに白線が引いてある。片目だと立体視できないせいだが、どうみても50cm高の盛土をしたプラットホームに見えて、修正がきかない。覗いてみてほしい。凹凸が逆に見えるのだ。

本は20分おき位に部屋をきょろきょろと眺めて眼球を動かさないと、緊張で目が焼ける。白内障のような白濁がでたり、眼球に血管が浮き出たりというような外見でわかる状態ではない。注視するので、強い近視・乱視の方と同様眉間にたて皺がでる。ひとを無視したり、怒っているようにみえるが、相手が分かるまでのわずかな時間差が、誤解を生む。対面対話していると、視線の流れがおかしいことに気がつくだろう。目を動かして、見損じたものの再確認を自然にしているのだ。

じんわりと不安がある。すでに押入れ程度の闇でも鳥目状態で外ではつまづくし、無灯火自転車は驚異となる。車のライトで私は立ち止まらざるをえない。ハレーションを起こして前方が全く見えなくなるのだ。視覚障害5級、視覚障害の入口に立っている。

早く太陽の高度があがってくれるのを待っている状態。

明日は時間が合えば、帰りに茅ヶ崎てをつなぐ育成会にいってくる。

飛田レポート配達。

私事ばかり、失礼。

夜間傾聴>橋本3君(母親)
       ---ひどい話。アスペは犯罪者予備軍なのかと聞いてきた。当人前にして、こんな言葉を語った方がいる。18日明けたら、母親と会う。白金の学会、16日から分科会もぐりこみ追求。白髪頭が目立ってしまう。

(校正2回目済み)

p.s. S君、18日明けに連絡する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/13 私事ばかりですみません

2013-03-14 06:19:21 | 引きこもり
2013/03/13 記
--------------
待機していた特養から連絡が入り、先日、入所している老健に特養のケアマネが出向き、私と3者で父の心身の状態を確認した。これをうけて特養の判定会議が開かれて、父の受け入れ順が上位にあがった。数百人待ちから十数番目になった。この背景には、老健は機能訓練を行う場所であり。入所2年目を過ぎると、特養への転出を求められる。父はすでに二年半入所生活をしているので、行き先が決まり次第、父は引っ越すことになる。昨日は、転出が近いぞというお知らせだった。

よりによって、ごたついている最中に弱ったなと思いつつ、書式を特養に出向いて受け取ってきた。しかし順番が来るということは、入所者が亡くなって席が空くということだから、高齢者の場合これがいつも気にかかる。

今の老健もそうだが、一層婆さん比率が高く、爺ぃは部屋の隅にかためられている感じだ。女性が生き残るということだ。

帰りにペットレスキュー支援紙掲示協力してくれている動物病院に立寄り、柴犬の問い合わせがあるとのこと。少しことが動くかもしれない。これでNo.15は、すべて配布し終えた。

その足で、手をつなぐ育成会の事務所に向かうが、また空振りした。七回目である。行く時間帯がいけないのかもしれない。

北茅ケ崎から相原に出て、町工場の専務さんと会う。もしかしてと思ったが、やはり農業まつりのときのNPO代表だった。チラシ印刷から封筒に入れて発送、社の郵便物の発送・受け取りを行う仕事。労働時間が短いので、福祉労働の枠だ。

塾長に連絡をして気がついた。社会的企業としての協同農園の話が面白かったので、そちらの方ばかり気が取られていた。成人枠の後釜なので、年齢層が高い求人だった。風が強く相模線が止まるといけないので、酒の誘いを断って直帰。塾の方は春期講習外部参加者の説明会の最中。毎年私は教材屋仕事とかち合うので、講習レギュラー講師不参加で在宅作業となる。

家に戻ると、岩手PSW関係の郵便物。講師候補者の件。なかなか目的が相手に伝わらない。個人宅に電話ついでに、陸前高田の自動車学校の重機免許取得推進運動の話を聞くが、専門違いは隣人話でも通じない。NPOなら、これほど情報が狭くはないのにと思う。しかし自動車学校の支援は面白い。活用は求人があればの話だが、これは良い被災者就労支援になる。別途、社会的入院の情報が少し入った。

明日は税務署をうろうろする予定。あと一件解決すれば終わるのだが。来年は墓地取得のことで、もめるのだろうなと思う。

朝が来た。どうも調子がでない。
先ほど、瞬間家が軋んだ。千葉県北西部震源の地震があった。活断層上のようだ。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

p.s.
●「社会的孤立問題への挑戦―分析の視座と福祉実践」

注文済み


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/12 茅ヶ崎市役所保健福祉課・障害福祉課に飛田レポート&資料を届けて

2013-03-13 06:43:17 | 引きこもり
2013/03/12 記
--------------
家業の調整で東京に行ったあと、返却期限が来ていた辻堂・茅ヶ崎の図書館に寄り、ビッグイシュー誌のチェックと書籍の更新。時間にゆとりがないが、茅ヶ崎市役所に回った。

2/18 の黒田裕子氏セミナーの飛田レポートと追加資料を持って、保健福祉課と障害福祉課を訪ねた。日が経ってしまっているが、新年度に、正規の審議会ではない、もっとラフな勉強会的な災害時要介護者関係の担当者セミナー(カフェ)のようなものを作りたいので、来年度の打診をしていたからだ。

レポートの内容の一つは、専門職の仕事についてだ。自分に与えられた任務をそのチームの中だけで解決する志向が強く、それが激甚災害の際、決定的な人手不足が起きる。救命医療・看護の世界では、対応が高度な専門性が要求される。全国からの支援を要請して応援が始まるまでの数日の急性期空白をどうするか、避難所運営の段階に入って半年・年間スパンの保健医療活動を仕切るとき、全国NPOの長期逗留支援では、パーソナル・サポートの長期活動者を育成していかないと、仮設生活相談員として専門職のアシスタントは即得られないし、人手不足はやがて孤立死のようなエアポケットを作ってしまう。

だから、仕事内容を事前に吟味し、地元の社会活動(市民活動)に連携を依頼していく、協働の場を生み出していくべきである。また、保健所のように県の管轄と、市の管轄とは別々の展開をしていたり、防災担当者医療保健看護とラフな意見交換をおこなえる場を手間暇かけて企画することができるだろうか。

もうひとつは、地域で生まれるNPO生活支援ネットワークとの結びつき方を考えていく。

つまり専門職担当者にとっては、市民に仕事の一部を開放し、パートナーを育てることになるし、NPOにとっては、新たな生活支援の形を得ることになる。

ボラセンの災害対策本部とは重ならない、医療生活支援活動の要援護者支援に特化したネットワークが対策本部・ネットワークのセクションとして接続していく。

その発火点が畑の種まきとしてのセミナー。そういう話ですと話すと、徹底して私的なロビー(カフェ)で、新たな視座の持ち帰りと自己表現の場なのだ。

だからJR全体を代表する必要はないから、JR茅ヶ崎駅駅長さんと非公式な懇談したり、介護タクシーや医療薬品販売業者の事業者や薬剤師、茅ヶ崎養護学校の教頭先生と話したりというような、活動を積み上げたいと話した。

きょとんとしているというのが反応。やっていけば、被災時何がどう動き出すか、予測が白黒からカラーになるような見通しが育つ。これが大事な芽となる。

セミナーの中心は、立ち上げは飛田がやっているが、これは積極的な方のもちまわりにしていけばいい。ただ約束事は、自分の仕事と直接関係ない領域の話にも耳を傾ける道義的な義務がある。それがどこかで、自分の仕事と接続していくはずだ。

この内容をふたつの課で話した。実際小さな役場などでは試みられていることだ。23万数千人の自治体の中で、出来ないという明快な理由はない。

「わかりました。お預かりして、読ませてもらいます」と相変わらずの応答だが、しっかり中を覗いていた。

-------

家に戻り、メールチェック。淵野辺の日だが、仕上げの話なので、日を送らせた。白金の学会分科会覗きができるか調査。いや、正門は高い。

4月の頭、法事がふたつ。金が出る。遠方の方は塔婆代だけにすることに。卒業生へのプレゼントはしない。小言だけを残そうかなと。


夜間傾聴>橋本3君(スリリングな話)



(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/11 東日本大震災から二年/18日まではスランプかなと

2013-03-12 06:07:18 | 引きこもり
2013/03/11 記
--------------
相模大野校の会議を終えて、帰りに税務署に相談しにいく。待ち時間の方が長い状態だったが一応は解決し、書類を一度持ち帰ることにした。東日本大震災発生時の黙祷は、藤沢駅の地下道の入口で迎えることになった。私の黙祷を見て、数名のご婦人集団が私の横に並んで黙祷を行った。私は昨年のような不条理な死に対する向けどころのない怒りのようなものは消え、ただひたすら悲しかった。細い連携の糸が無策のまま断ち切られる寂しさのようなものだった。社会活動の中に要援護者連携支援の芽を育てることをやめるつもりは全くない。黙るつもりもない。構想の実現可能性をどう高めていくか、それが私の仕事だと思っている。夜行直行バスの闇と匂いがして、目頭が熱くなった。情緒に流されまい、呪文のようにつぶやいて一分が過ぎた。

予想していたので帰りは辻堂で降り、ペットレスキュー支援紙No.15を6部配布した。動物病院の午後診療開始時間よりちょっと早かったのが幸いして、**医師と話すことができた。今回の号にも載せたが昨年度、福島第1警戒区域内でペット犬猫992匹が保護され、その3分の2が飼い主や新しい飼い主(長期一時預かりを含む)の元に返され、3分の1が官民のシェルターの中にいる。

ペットレスキューの活動の現場では、立ち入り禁止区域への立ち入りを拒まれて、ゲートでペットレスキューの抗議の断食があった。そういう情報は流れず、マニアの酔狂のようなレッテルを貼られている。医師とは、教育現場で飼育することはできないかというものだった。

昔と違い、衛生観念や飼育の責任・動物愛護意識の拡がりがあるうえ、噛まれた時の責任追求を恐れる空気があるから、難しいなあとの応答。津波避難のとき、愛犬を首に巻き、高齢の親の手を引いて走った、逆だという話に笑ったが、それは保護されたペットの半数、全体の3分の1以上がペット・レスキューの仕事と告げたら驚いていた。しかし、若い賃貸家屋に住んでいたり、60を超える方には飼い主資格なしとなるのは厳しいのですよと伝えた。

両手に袋の買い物を済ませ帰宅したのだが、いつもなら小さなアイデアが浮かぶのがこの車内。ところが今日は眠気ばかり。やはり被災地に行こう、ガス欠かもしれない。

近々「舫(もやい)」に行く。大船渡の大関さんと話したい。

p.s.15日までは、おそらくぱっとしないのだろうなと思いつつ、カレンダーを見てびっくり。某学会、白金だった。18日が慈恵医大の眼科検査。右目の視野、ここ半年で狭くなっている自覚あり。月末まで出かけられないかなと目玉焼きを作る。

夜間傾聴>久しぶりの**君


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/10 「津波そして桜」上映と加藤孝明准教授の講演会に参加し

2013-03-11 06:42:19 | 引きこもり
2013/03/10 記
--------------
母がどこもかしこも震災の話ばかり。いい加減にしてよと怒り始めた。今日は茅ヶ崎市の避難訓練が行われた。夜は湘南茅ヶ崎地震津波防災フォーラム 2013春SP があった。私は私で、2/18飛田レポートと資料を、参加者以外の渡すべきひとの分を増刷整理していた。結局母は、母の青春期の東京大空襲体験を比較に出して、結局自分が生き延びていかなくては、誰も助けてはくれないという持論を曲げないのだった。

私は複数収入者である。だから毎年3月上旬は、さぼっていた経理をまとめて、確定申告しなくてはならない。大半はできあがっているのだが、質問が何点もあり、それを早く片付けて欲しいというのが母の意見でまあ正論である。毎年残る質問は、申告時の相談で、その日のうちに解決し、申告できる程度のものなので、心配はしていない。それが母はいらつかせるのだ。60過ぎて、この指図には、うんざりもする。

誰もが生活に忙しい。定年退職をした男たちは逆に、仕事の世界を除いて地域社会を眺めたことがないから、つながり方をしらない。そういう生き方への批判として、日常を破壊するように磐石の大地が揺れて、旧約聖書のノアの洪水のような津波を目の当たりにしたとし、人生の危うさを引き出すステレオタイプの語りに出会い、何かを言ったような気になっている知人に、私と同じ60才にもなって、どこに目をつけているんだと言って、相手を怒らせた。

そんな口喧嘩は、十年に数回あるかないかだ。それがここ十年、独立行政法人や、社会福祉法人、そして不発だが彼に対し3回やってしまっている。いずれも自己完結的な語りに、幻滅を感じたからだが、そんなときは、大概自分もうまく進んでいないときだ。だから「もやもや」を抱えて夜のフォーラムに出た。

大きくは、今、自然災害の恐ろしさを反復啓蒙する時期なのだろうか。東日本大震災の支援活動の退潮期にたち、それでは、次は自分の地域の防災だと、東北を教訓化して捨て去っていいのだろうか。大枠では災害理解ができていない初心者に防災活動の必要性を説くというスタイルで、支援活動の退潮に棹さす気にはならないのだろうか。東北の継続支援の話は片言も出てこない。

防災・避災の語りは出てきても、災害時要援護者の安全確保の話は出てこない。車椅子外出中、ビル上階でエレベータが動かなくなったとき、駅前歩道橋にいるとき、彼はどうしたらいいのだろう。これは都市工学との接点がある話だ。

最後の高価な防災グッズの抽選会も、寄付の発想は無かったのだろうか。

もやもやを抱えたまま家に戻った。

陸前高田の障がい者被災調査データは貴重だ。前回のバリバラ(ETV)は、被災した障がい者の特集は、かなり実情をとりあげている。(テーマを持て余しているのは、仕方がないか。)かなり具体的な被災後の避難生活のイメージが見えてくるので、両者を使って企画がたてられないかと考えている。映画とのカプリング企画は無理かと思案中。この企画も同意を得られず、無人の会になるのかなとも思いつつ、誰が始めてもいいから動き出せと念じている。

夜間傾聴:なし


(校正3回目済み)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/9 立川上映会参加を諦め…

2013-03-10 06:02:04 | 引きこもり
2013/03/09 記
-------------
不安はもろにあたってしまった。昨夜の煮付けを置いて帰った来客は、朝10時前に現れた。父の在宅介護のとき、無理難題を頼み留守番や、父の移動補助を頼んだ浜見平の友達だった。父の老健まで乗せていくから、覗きにいこうというのだった。老健にいく場合は、母だけに任せておくわけにはいかず、立川上映参加は見送らざるを得なかった。朝、母はダンピングを起こしていたので、母を乗せずに私が案内して老健に出かけた。

立川試写会に行けなかったので、「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」のビデオを買うことにした。個人鑑賞用\3,000-,
団体・ライブラリー価格(上映権つき)\10,000- さてどちらが得策かと考えている。

状況がわかっていないから仕方ないが、高価なお見舞い佃煮セットをいただいたが、嚥下障害がある父には、これでは無理。説明して、母が預かった。家に戻ると、すでに佃煮は消え失せていた。そのまま、別の知人のお礼に使っていた。こういう機転は男には無理だ。しかし早い。呆れている。

JR相模原のあてにならない授業の準備をしていると、メールが入った。全員欠席。この時期、当たり前といえば当たり前。徹底して横道にそれた授業をやるつもりでいた。とんでもない人との出会いは機会を逃すなという話だった。私が高校在学中、故・荒畑寒村氏と南湖院の近くで出会い、食事をした。とんでもない人とは後で知ったが、そのころから白髪頭の集まりに出ることが許されて、とんでも情報が入るようになっていった。まもなくその会は横浜へと移動し、私は私でべ平連という活動に参加しだしたのだが、それらの話に魅力を感じたのは、私が社会と接続する参加の回路を見出したことだった。自分なりに世界を理解していく端緒を得たように思えた。

こういう出会いは、事に踏み出すことによって到来するもので、大学は自分が探れば機会が多い場なのだが、大事なことは、自分が求めたから世界が広がるということだ。これを語りたかった。沈黙した瞬間から降り積もる塵に埋もれて、消えていくことを引き受けることになる。

卒業式の送辞ではあるまいし、空転するよ、やめときなというジャワ帰りの塾長のメールコメントがついていた。脱力。

結局、今日はペットレスキュー支援紙No.15を配布するだけの一日になっていた。今日は6部。3分の1かなあ。週明け,残部を撒ききる。3.11を前に、急に関連番組が増えてきた。現地に無性に行きたくなった。目のことから車の運転ができないから、中古自転車を送り、預かってもらえるところを探す。

私が陸前高田市の広田半島エリアの高齢者に、通院・買い物の付き添い外出ボランティアを提案し、現地滞在ボランティアに中古車を仲介したのも、この活動のテストをお願いしたからだったが、それも私が出かけないことで、動かなくなっていた。2月にタクシー協会の後押しもあって、オンデマンド交通が広田半島を走るようになって、私は愕然とした。提案して1年半。私との電話・メールともに、協力者は何も中途の経過を知らせてこなかった。私からの指摘で、最近オンデマンド交通ができたと応答してきた。全く連絡協力は有名無実、結局は出向かねばならないのだった。地元の受け皿、被災地の折衝ともに支える活動をせねば、連携活動は作れない。既知の活動があって、それをつなぐのではなく、新たに必要な運動を作り出していくこと、その道筋をどうたてていけばいいのか。

このとき、私は塾生になんと答えるだろう。まずは空転をするために現地に行くべきだ、なぜなら災害はなにも終わってはいないし、私は見逃すべきではないと考えるからだ。最低限の私の節操は守るべきだからだ。ひとのせいにしない。行くべきなのだ。走りながら考える、そのことなのだ。

空転の一日。要援護者支援の流れを作るために、「そのために、なにをしたの?」これを問い続けることだ。しかし、この感覚は、要援護者支援・ケアの連携活動を立ち上げたいと考える者の包容性のある言葉ではない。しかし双六は振り出しに戻ってしまった。地ならしは厳しいものだ。

--------

明日は午前中、茅ヶ崎市内の避難訓練だ。夜、「津波。そして桜」の再上映会がある。12月に上映し、1月にはETVで放送した作品だ。3.11を忘れないための前日上映と思い、参加する。

新年度、災害時要援護者救護セミナーの会員を募る文章を考えている。湘南のように被災時人口流動性の大きな地理条件の活動は、災害施策の多様化が望まれる。東日本大震災の東北3県の太平洋沿岸地域の街のあり方と違う。阪神淡路大震災との比較もやらねば。

夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/8 ペットレスキュー支援紙No.15配布 他

2013-03-09 06:35:00 | 引きこもり
2013/03/08 記
--------------
春本番のような暖かさ。

昨夜の話は区切り。これから厳しい状況がやってくる。

気持ちの切り替えを兼ねて、地元医の通院(糖尿病)のあと、懸案のペットレスキュー支援紙No.15を仕上げ、配布に入った。改装中の湘南動物愛護病院からぐるり中海岸・東海岸北・駅南口のアップル動物病院まで、ぐるり10箇所に支援紙を届けた。

河北新報によると、福島県は昨年度内の福島原発立ち入り禁止区域内の被災犬猫の保護数は「992匹」だったという。その結果を話題にして回ったのだが、992匹のうちボランティアを通じて、新しい飼い主さんにつながった数は、ざっくりその4分の1だったという。

馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないか、被災初期、避難所に犬猫を連れて行けないために、車の中で生活を続けるひとがいたという話や、私の知る藤沢の特養の月に2回のペットセラピーの企画の中で、認知症が進行している言葉を忘れた婆様が、犬と接しているうちに表情があらわれ、その犬に対してだが、言葉が出てきたという現場に居合わせた。ただの愛玩動物ではないことを実感していた。

レスキュー支援者の中には、(犬の)○○ちゃん、かわいいから…どうこうという話に夢中なグループもいるが、被災地の中でも、飼い犬・飼い猫が保護されて、元の飼い主さんに戻すことができた場面で、被災のショックで涙を失った子どもが、犬を置き去りにした父親から犬を奪い取ったとき、涙が一気に吹き出したというエピソードが隠れている。市内40箇所に通信を貼らせてもらっている。途中低血糖を起こしたが、低糖缶コーヒーで解決。

話さなければならないことがあるから、言葉が詰まる。橋渡しの言葉がない無力さを痛感する。

明日は立川の「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障がい者」の試写会に行き、帰りにJR相模原の塾で授業。対象者がいなければ、湘南バイパス側の配布を行う。時間があれば柳島在住の連続セミナー参加者のHさんと駅前で会い、2/18飛田レポートを渡す。

飛田レポートは、今日は市社協・トレイン・みらまーるに届けた。動くこと。鬱積しているものが消えていく。

NHKの番組にふたつ関連番組が放送された。録画しておいた。
両者とも今後の社会活動の大きなヒントが隠れている。


ひとつは「バリバラ」だ。
「今までのバリバラ:から選択

再放送:3月13日(火)深夜0:30~
●テーマ「震災」
 東日本大震災から2年~被災地の障害者はいま

---------

もう一つは福島県立医科大教授葛西龍樹氏の被災地の一次医療の課題の話だ。

●「視点・論点 東日本大震災二年(5)大災害から学ぶプライマリ・ケア」


昨日、S君の後、話をしていた**さんから診断書をもらってきたとのこと。全く気が早い。来週に入ってから、日程調整をすることに。

母を外食に呼び出し、やけ気味の天ぷら。家に戻ると金目鯛の煮付けがあった。留守中、母の友人が届けたもの。嫌な予感がした。立川の試写会は早く出ないと、来客につかまる。あと4時間。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/7 仕上がった企画に乗るか否かですか、え?

2013-03-08 06:30:29 | 引きこもり
2013/03/07 記
--------------
暖かいが風が強い一日。

昨夜、私の活動がひとの不快感を起こしていること。それはひとの了解を築かず先走りしている、カバーしきれないというものだった。面食らわせず、対話の技法を身に付けコミュニケーションをという親身な忠告だった。

その話に入る前に、この例を聞いて欲しい。

発達障がいが疑られる不登校・引きこもりの青少年と接するとき、この人間関係の不器用さと向き合うことになる。類似の課題が私に向けられることになるとは、しかし、それは意外でもなんでもなかった。私が若者に向かうとき常に注意していることは、認知の偏りから生じる歪みであるのか、関係性のねじれなのかという識別だった。

満腹のひとに飢えの話は耳に入らない。必死に戦っているひとに詩歌の感動を伝えることは出来ない。そこにひょっとしたニュートラルな空白をおくことができれば、話は対話の前提に立ち入ることができる。ここに対話の技術が入り込むことができるが、それは本質ではない。契機を生み、開いた心を逃さないための技術である。ここで語られている互いの隙間は、認知の偏りによるものではない。

私の教えた子のなかに、学校の友達に三角定規で斬りかかった子がいた。猿とあだ名されていた子だった。家が貧しく、遠足に出なかった。担任もその可能性を配慮し、遠足貯金をさせていた。遠足当日、彼は腹痛を理由に遠足を休んだ。しかしその子は、遠足の格好で、当日私のところにきて、図鑑をひっぱりだして夕刻まで時間をつぶして帰って行った。遠足の格好をしているので、何かあると思い、黙って彼と弁当を食べた。

この日を境に、貧乏を嘲る彼へのいじめが始まった。たまっていた違和感が噴き出したかのようだった。「親には私のところにきたことを絶対にいうな」と彼から釘をさされていたが、いじめの件で学校の担任と話すこととなった。親御さんは遠足に参加しているものだと思っていた。

担任は、彼が遠足の費用を、家への金銭的負担の配慮をしたものとして、彼の心を尊重しようとした。親御さんは遠足に行けなかったのは、担任のクラス経営がまずいからいじめを生んだのであり、金を返せと担任に迫った。彼は無口になり、不登校になった。

彼と話したとき、その原因は意外なものだった。遠足当日、彼のベルトが切れたのだった。彼は1本のベルトしか持っていなかった。親は忙しい。生活保護世帯であることを彼なりに感じ、自分から必要なものも買ってくれとはいわなかった。親も子の細かい状態に目がいくゆとりがなかった。私はそういうとき、仲介者が必要なのだという意味で、私に相談しなと彼を諭した。

担任は遠足不参加はいじめのためと生徒を叱り、更に問題なのは「別のベルトにとりかえればいい」と、こともなげにいい、当時やっと知識が伝わり始めた発達障がいを疑り、検査を勧めた。

この「別のベルトにとりかえればいい」という言葉と彼の悩みとの落差。ここに言葉の無力を感じる。担任との話の機会があり、親に2本目のベルトを要求できなかった彼の気持ちをわかってあげて欲しいと、私は担任に話した。結果は、担任が親御さんに「もう一本ベルトを買ってあげてください」とダイレクトに頼み込んでしまった。親御さんの悲しさ・虚しさは、彼への折檻となり、彼は部屋から出なくなった。

ここには、ねじれた関係性や、言葉の通じない空転が多重に横たわっている。この担任に罪の意識はない。ベルトがなかったのだとクラスの子たちに語って、事態は解決するだろうか。

親御さんから深入りするなと私は断られ、彼とは暑中見舞いと年賀状だけの付き合いになって3年目、「親のいないときに来てくれ」というしわがれた彼の声で電話がかかってきた。会うと彼は、精神科から薬を盛られて酔いつぶれたような、いわゆるしゃぶ漬けになっていた。部屋から出ない彼を中学校養護教員の勧めで精神の病として精神科に連れて行った結果だった。診断は鬱病とされていたが、発達障がいが併行して疑られるというコメントがついていた。

通じない言葉があること、ひとはそれを抱えていきていくのだということ、善意はときに刃となることがあること。結局彼が状況を脱したのが、更に二年後、ベルト一本がひとの五年を破壊していた。

今、彼は一児の父として、路線バスの運転手をしている。これは一例だが、悲しみや憂いという感情を伴う人の危機は、丁寧にもつれた糸をほぐすような作業を経るか、直感的なバイパスに飛び込む以外、日常生活を送る人々に理解されることはない。前者は時と場面が保障されなければ、解き明かすことは出来ない。後者は初めから出会いの可能性を期待するわけにはいかない。

認知の偏りの例は、そのすべての場合に不適格な場面理解が登場するので、私の側で寄り添い方を変えていかなくてはならない。前者の例は、彼から見れば、あらゆる周囲の人間は対話の道を封じて彼を型にはめてくるように見える。

私はこうした引きちぎられた断面を持つ子に出会う仕事をしている。PSWの資格を持っているわけではないから、教育者としての環境や関係の整備の限定付きで関わっている。

しかし、「馬を水辺に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない」その共感を得るところで、この子の担任に感じたような、特異な経験が伝わる回路を持たなければ、2本目のベルトが常識の壁を超えることはない。馬は水を飲まない。

3.11があって以降、ひとの絆の大切さを説く場面が多くなり、いつの間にか家族の絆が礼賛されるようになった。それはまた別の話だというのに。しかしそれが判然一体となって納得されているなかで、DVの狭間で苦しむ子はどうなっただろう。片親ゆえの負担の大きさに、周囲の無理解が伴う子はどうしただろう。さるぐつわをかまされているような気になっても、身を守る沈黙に入っても、それは異常だとは思わない。社会はそういう雑駁な刃をちらつかせているものとして、飲み込んでいく技量や、ひとの多面性を論拠に場をいなすいい加減さを身にまとうことが、プラグマチックな仮の解決法なのだと思う。

しかし、ひとの隙間を眺めるがゆえに、持ち込んだ提案に響くものが相手の辞書に無い場合、翻訳が解決になるだろうか。
駅頭で3.11関連のチラシを配布している最中、声をかけてくれたひとは、九割方関係団体の所属のひとだった。累積6~7万枚のチラシの応答して話した方も、初期の頃のカンパのように、その場では対応してくれたものの、会合への参加は全くなかったし、かかってきた電話連絡はどの議員の支持者かという探りでしかなかった。相手を諭すような対応が戸惑いや迷惑を引き起こしているならば、私は営業マンの知恵や話術を駆使することはできないだろう。しかし思いの塊は文章として残しておくこと、その上で、語らなければ、対話のキャパは超えてしまうだろう。相手にこれを読めばわかるということではない。「二本目のベルトを買ってやってくれ」と親御さんに言い放ってしまう表層なだれのような悪意のない悪意を止める力が私にはない。火急の課題を私はとり上げる。私抜きで一向に構わないから、課題解決を始めて欲しい。

今回の話合いは、私なりの改善の努力をすることを約束した。同時に、板挟みにしてはならない人々もまたはっきりしてきた。提案はとどけるが、それ以上の要望は断つことにした。この指とまれ型活動の原則であり限界である。いつも協力して下さり、間に立ってくださっていることは、言葉にならないほどに感謝している。しかしどんなに軽蔑されようと、その方々が動き出すまで、生涯をかける以外ないと思っている。自分の課題としてひとりでも動き出さない限り、それが私との連携を拒否したものでも、私はその動きを待っている。講師を口説くときの背景のなさに呆れるか、訝り遮断することは、うんざりするほど経験している。今まで私が招待したゲストは、そういう悪戦(苦闘とはいわない)の結果呼び寄せたのだ。ここへの援軍が欲しいが、協力ならばいらない。

ときのタイミングを過たぬ、見通しが開ける提案、皆が結集しうるような提案を練っていく。私の提案はたたき台であり、完成形ではない。ただそれを即座に廃するようなレッテル貼りには、先封じをしてある。QRカードで言えば、「個人情報の塊ではないか!」という批判に対してだ。しかし「QRカード」はパッチにすぎない、要援護者支援に至るひとつの切り口だ、しかし、それでも助かる命も見込めるのだ。

要援護者、特に障がい者と高齢者のテーマについては、ねちっこくやっていく。これからのチラシは通信紙の形式になる。また配布時点の対話への努力は重ねていく。また板挟みにさせかねない方の支援からは離れる。孤立は引き受ける以外ないだろう。対話への努力はするが、内容吟味の必要性が伝わるまで、可能性を探っていく。


夜間傾聴>ひとり(遠方ゆえ後日メール応答・今回限り)



(校正2回目済み)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/6 映画「障がいのある人の3.11」レポート(続)/他

2013-03-07 05:43:20 | 引きこもり
2013/03/06 記
--------------
日本財団と日本障害フォーラム(JDA)主催の東日本大震災・報告会(含:試写会)を終えた。昨日は、ドキュメンタリー映画「生命のことづけ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」の感想を書いたが、私には会全体が中途半端な印象を持って終わったように思う。

私は、
1)「生命のことづけ
   ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」
   湘南上映のための下見

2)新年度企画の講師候補探し

という2点で参加したのだが、1)については、私が認めようが認めまいが、いずれ湘南上映は、災害ボランティア活動の見通しの中に置くような発想なく単発で行われるだろう。内容がいけないというのではなく、お粗末。あらすじのスチル写真をみているような印象なので、「別の講演とのリンク」のような企画の中で上映できないかと思案していた。

現在、被災者にお願いして生の経験談を語ってもらうという企画は、被災時の凄惨さを伝える語りであるかぎり、間が抜けたものになってしまう。災害を切り抜け、始まった長い避難生活と日々の抑える思いをぶつけてもらったほうが、私たちがどのような連携を図ったらよいかが浮かび上がる。

つまり、被災健常者の活動の影になっている「要援護者の今」を語りうる人物を探すことだ。

今ひとつ考えているのが陸前高田の大洋会の共同作業所関係者の方を招待したいと考えている。消えようとしていた北限の椿油精製や、新たに始めた食用ほおづきの生産の話の裏側、買取先の流出による新規販路拡張の課題のようなことに、マーケットの小さな分野に舵を切った話など、考え抜いた被災と戦う事業所の話がある。ところが昨年「椿油の買取り」を進めないかと、私が湘南の関係者に話して思ったことだが、「椿油」を食用にすることができることを知っていた方が皆無だったことが、話を塞いだ。NHKオンデマンドを使えば「キッチンが走る ~伊豆大島~」後半を見てもらえばわかる。その予備知識の違いも手伝って、話の空転もあったが、特殊なものの生産による事業収入の活路を拓く、大胆な試みの事例。これを語りつつ、被災した障がい者の家庭の現状など、話す内容の打ち合わせをしっかりやれば、その語りの背景に被災地・成人障がい者の現状が透けて見えてくる。

しかし、映画とのマッチングがよくない。

もうひとつが、大船渡や陸前高田の生活・医療介護ネットの現状と今後の課題について、連続セミナー第三回と重なるがCSWの方の語りを、連続セミナーだけでなく、お願いする方向だ。これは、今回のJDFのシンポジストの中から、JDF関連の方の中に、候補を見つけたこと、これはちょっとしたおみやげだった。

しかしこれも、日常的な災害ボランティア活動を向かい合わせないと、被害と取り組む被災者にどのように連携するかは見えてこないだろう。そしてまた、その体験談を読み解き防災に厚みを加えていくという論点だ。被災者に、ただ体験談をお願いすると、結局被災時の強烈な体験談になってしまい、今手を結ぶべき、「避難生活の中の連携・要援護者の支援」がなかなか語られないという状態が生まれてしまう。

映画と組み合わせるには、かなり事前の綿密な打ち合わせが必要だ。ここを映画監督の早瀬憲太郎氏の招待で、お茶を濁してはならないのだ。なんのための企画なのかが見えない、なまくら企画になってしまう。

カプリングが難しい。宿題が残った。

---------

S君の前では強がったが、朝、橋本で面談を済ませたので、流石に眠い。

S君に連れ添ってというか、繊細なS君にはちと困った痛し痒しの同伴だった。面談に立ち会わせてくれたのは、ちと嬉しかった。今手元にある可能性を引き寄せる、いわば「わらしべ長者」流の対応を勧めたい。

しかし取調室風の真っ白な部屋はいただけなかった。

----------

眠気から節々が痛み出し、大船のカウンセラーの**氏とは、実務上の話。S君より5歳上の方のお願いだった。今日の用事はあと一つ、無愛想飛田の弊害是正の話(すみません)。

ラーメン食べつつ、丼に顔を突っ込んでしまいそうになるので、茅ヶ崎図書館で休んでいた。弊害是正の話は明日に。


夜間傾聴>ひとりいたが、お願いして早く切り上げた。


(校正2回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/5 映画「生命のことづけ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」試写会に参加して

2013-03-06 04:58:49 | 引きこもり
2013/03/05 記
--------------
今日は日本財団と日本障害フォーラム(JDF)主催の活動報告会と試写会が、参議院議員会館講堂にて行われた。参加者は公開募集によるものというより、関係者が大半。

この会では、改めて

「生命のことづて~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」
(30分監督:早瀬 憲太郎)

というドキュメンタリー映画が公開された。東日本大震災の被害は、障がい者にも襲いかかった。ところがどれほどの被災者が命を奪われ、被災後二年、今はどうしているかその把握データが全くない。陸前高田市に至っては、住民台帳を津波で喪失し、それもあって、昨年10月に、障害者訪問調査を行った。個人情報の守秘の壁を団体指定と目的限定の上、開いた。南相馬市と並んで二市が条件付き公開をしたのだった。この結果から推測された値が「死亡率2倍以上」という数字だった。

災害ボランティア活動は、被災健常者(奇妙な造語ですが)を対象にし、環境整備と産業復興、被災者激励を行い、要援護者への関心が薄かった関係で、元気な高齢者はいるが、歩行困難になったり、心身に不調を抱える高齢者や、障がい者の姿が忽然と消えたかのような、不思議な光景を生み出していた。

この障がい者の消息を追い、被災時どのような状況が訪れたか、または現在どのような生活をしているかを拾い出して点描を行う活動がやっと表に出てきたのだった。障がい者と支援者を結びつけ、全国支援の退潮の中、孤立化を防いでいく役割を担っていた。(高齢者の場合も、引きこもったり寝たきり状態の方の現状を、埋もれさせない同様の試みを期待している。)

その意味で、このドキュメンタリー映画の意味は大きいのだが、手話・字幕・読み上げ音声などに配慮したわりには、内容が浅く、スチール写真を過剰に積み上げ、ライブ感に欠けた、まるであらすじをみているような印象を受けた。費用も制作時間もかけていないことが顕わになってしまった。その割には、多くの障がいを網羅して紹介するために、改めて無関心という差別の影を知ることになる。あまりにも多くの出来事が起きた。しかしいずれもが、障がい者の居場所がないという現実だった。

私は、ふと引きこもり・不登校の青少年が田舎には少ないということをめぐる議論の彼方に、「家族の絆礼賛」の合唱だった。学校の人間関係だけでなく、家族の離婚・死別・DVなどの原因で、学校社会からはみだしてしまった子に「家族」の歪みに蓋をするような結果を生んでいることのきな臭さを感じていた。

避難所で知的障がい者が暴行を受けた例をきく。発達障がいの子を避難所の健常者の非難の目から避けるために、車の中で避難所生活をしてきたという話など、沈黙を強いられてきた実態が浮かび上がってくる。避難者にしてみれば、深刻な事態と疲れた心身を癒したいときに、「非常識」な行動は許せないとなってしまう。障がい特性を知らない結果だというのに。

この高ストレスな圧力のもとで、姿が消える悲しい状況。しかし、沈黙する障がい者とその家族は、被災しているのだ。

そういう空気のようなものは、この作品から感じることができる。だから、関連講演と組み合わせて使用するような使い方をすれば、価値が上がる。主賓にはならない。

上映権込みのBDディスクが¥10、000ーで、申し込み販売となり、一般販売は秋口からだという。

考えてしまった。テーマはタイムリーであり、日本財団とJDFとくれば、湘南上映は確実だろう。ただ上映会というには、役不足だ。

そんな思いでパネルディスカッションのパネリストたちの話を聞いていたが、絞れば果汁の出そうな方は、遠方。

発達障がいや、精神障がい、知的障がい、聴覚障がい、内部障がい等、外見から判断が難しい障がい者がすごした被災の日々を描く作品が必要だ。これを劇でやると嘘くさくなる。特定の障害者の家族を追っていくことで、他の障がいへの想像力をかきたてていく描き方がある。図鑑のように並べるだけが方法ではないだろう。

パネリスト関連のレポートは、あすに。

明日は朝、橋本面談。S君の就労相談に連れそう。お守りみたいなものだ。(疫病神かもしれないけれど。)


夜間傾聴:**子に連絡したら、父親が出た。
     夜に電話がかかってこない、遮断されたかなと。


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/4 マイナンバー制とQRコード医療情報カード 他

2013-03-05 06:23:01 | 引きこもり
2013/03/04 記
--------------

「マイナンバー制」が国会に提出された。タイミングの悪さに少々落ち込んでいる。個人情報は一元化すると危険だ。しかし甚大災害の時、傷病者・病弱者の健康管理は少人数の医療関係者が救護にあたるとき、以前のカルテが治療現場にあることは少ない。状態をつかみ、服用薬を探り当てる作業は、膨大なる労力を要する。

例えば、看護師が「医者からもらっている薬の名前」を聞くとき,どのくらいの割合で、被災者は薬品名を答えられるだろうか。意識を失い、または幼いために、答えられない者もいる。「胃の薬と、アレルギーの薬です。赤いつぶと粉薬です」とは答えられても「○○マイシン5mg」という風に答えられるだろうか。たとえ自分の治療中の病名を答えられても、アナフィラキシーショックの経験者と、確実に答えられるだろうか。

消防署などでは、茅ヶ崎では「安心カード」という紙製手書き医療メモが配布されているが、これをQRコードに置き換えた電子メモを健康保険証の注意書き部分に貼り付けて携帯する。そうすると、普及品携帯QRコードリーダーで、「カンマ区切りテキスト」として読み取れ、エクセルなどの表アプリに直に転送することができる。もの言わぬ者・傷病者の医療基礎データが、ICカードリーダーのような特別の機器を持ち込まずとも、停電の現場でデータ処理できるのだ。

またこのカードは、避難所などの集団生活を送るときの配布チェック(衣類・食物等)や、生存証明、母センター機によるメールチェック等のIDカードにもなる。制作も安価だ。

記録項目は多岐にわたるが、項目自主選択制とし、カードも希望制を守る。入力者は他地域障がい者の仕事とし、行政と民間の共同管理の室内で入力を行い、入力後は申請書をデータ部分を焼却処理する。

カード申し込みは、地域拠点病院と市行政窓口が受付ける。まずは市立病院から初め、民間拠点病院、さらには個人開業医院に広げていく。情報回収とカード返却も障がい者の仕事とする。制度上も情報の転用を禁じる。

体調の変化という情報の更新は、紙製やICカードも同一の問題を抱えるため、QRコードカードだけの問題ではない。

シールの耐久性や更新重ね貼りや、剥がし交換も実験済みでクリアしている。しかし、このアイデアが市民権を得るには、「マイナンバー制」が論議される中では、カードを落としたら問題ではないか、マイナンバー制の水先案内となるのではないかという議論に耐えなければならなくなった。

たとえば、病院の受診カードには、堂々と生年月日が入っているし、ポイントカードの中には、住所が書かれていたりする。運転免許証などは、いわんやおやだ。紙製安心カードは冷蔵庫保存が主としているが、これは昔の火災風水害モデルによるもので、家屋はもとの位置にある。しかし津波の経験をした私たちは、家が流され、倒壊したことを知っている。救急医療には、個々人の情報携帯が基本となる。津波で流されなくとも、冷蔵庫の多数は蓋側に倒れ、冷蔵庫が開かないとか、倒壊家屋に入らねばならない危険を伴う。流された冷蔵庫の中身は無事でも、その捜索に時間がとられる。

携帯電話は連絡用だけではない。その機能を使えば、特殊読み取り機や、停電時の利用が可能ということで、役に立つはずの提案が、大局的な個人情報管理論争や、政治対立の渦中に投げ出されるのだ。だから、このかーどはNPO管理のもとに置くのだ。タイミングが悪い、まいったなと、方策はないものかと思案している。

-------

父の入所している老健も二年半になるために、特養への移転を勧められている。空き待ちという状態。そんな中、特養の空き待ち更新の時期となり、依頼していた特養から調査員がやってきた。家族の立ち会いと、家族への調査もあるということで、老健で、現在の老健のケアマネさんと、調査員さん(先方のケアマネさん)と3者で話し合った。しかし空かない。順位が上位になったとはいえ、もう二年半たっているのだ。

明らかな老い、認知の後退、死の影が忍び寄っている独特の印象が、心に重い。

調査員さんの元気な高齢者向けの声かけが、いっそう虚しく。つい現状を口にして、検査中という険しい顔に会う。父は元気な頃「さくら・猫・電車」を暗唱していた。だから単語を変えろと言っているのに、「さくら・猫・電車」を反復する。今は応答の言葉のない父に「さくら・猫・電車」を試みている。教条的というか、この硬さが入所者に向けられるのだと思うと、うんざりする。

まずは、話が終わった。私が×いちの理由を求められた。まったく失礼な話。きっと人間失格なのかもと言おうとして、老健のヘルパーさんが飛び込んできて、場面が代わって終わった。経験不足、ケアマネがこれでは…。

-------

糖尿病だというのに、厄払いでスパゲッティナポリタンが食いたくなった。店の前を行ったり来たり。電車の時間だと言い聞かせて、ホームに降りたら、電車が行ってしまった。

少し時間が空いているので、茅ヶ崎で下車。黒田さんの講演会に参加してくれた行政関係者3課を周り、追加資料と飛田レポートを置いてきた。

岩手県庁から資料が届いていたので、それを見ながら出勤。運転手が欲しい…。気持ちは陸前高田に飛んでいた。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/3 両手を上げて交差するサイン・メモを持ち歩く等々

2013-03-04 05:17:13 | 引きこもり
2013/03/03 記
-------------
ワイワイまつり(3/2)の企画で祭りに参加した健常者向けに「障がい者の避難訓練番組」を資料にした話合いを行った。実際は当日になるまで全く反応がなく、会場のチラシ配布が鍵になっていた。災害ボランティアの視野は被災健常者の範囲を出ていないことを痛感している。

ビデオ上映には、聴覚障がいの方や手話通訳の方が参加してくれた。手話通訳をやってくださり、感謝に絶えない。

サポセンにはDVDプレヤーしかないので、買い込んだBDプレヤーを持ち込んだ。しかし、二日前の予備実験では、すんなり接続できたプレヤーが、5分間の交代時間内で、接続したものの音が出ないで混乱した。市民自治推進課長の**さんが、慣れた介入をしてくださり、時間内に設定を正常に戻すことができた。感謝です!

この映像は、住居から外部に脱出する場面と、津波を想定して車椅子を階段から上げる場面、トイレの確保をめぐる問題が出てくる。しかし、ここでも「外出時被災」は登場しなかった。

電動車椅子は、階段を協力してあげるときよりも、下ろすときの方が不安定になる。臨時の椅子改造のトイレを披露していたが、女性用の囲いテントのことや、案外下に置くダンボール箱が、ダンボールは他方面で便利に使えるので、入手できなくなるので、行政の備蓄倉庫に、実は廃品回収で回収した古新聞とダンボールの新しいものを備蓄していくべきなのである。これは行政に対して提案すべきものなので、会場では語らなかった。

話し合いの時間が短かったので、意見交換も滞りがちだった。そこで、外出時被災の際、対策としてふたつの提案を紹介した。この提案は、特別なものを持ち歩かなくても、避難保護を求める場合や、災害弱者を保護したというアピールのサインに、

両手を上げて左右に振って交差させる

というものだった。混雑した場で助けを求めるのに音声は不向きであるから、視覚的にサインを出すというものだった。

これは「災害時初期誘導員制度」の提案の中に組み込んでおいたものだ。このサインによって、保護が必要な方の存在確認・相互確認の役割を果たす。

ただこれも問題がないわけではない。両手の万歳の体制は、胸元が空き、重心も不安定になることだ。この辺の改良の余地が残っている。

もうひとつは、メモと筆記用具を持ち歩こうという提案だ。メモはできたらポスト・イットのような紙がいい。聴覚障がい者の方との対話や、場を去る時のメモ書きに使える。重いガラス瓶に貼り瓶を固定する。

この二つを市民キャンペーンに載せていくのだ。

●枕元に靴と携帯電話(充電器付き)・懐中電灯を
●外出時、救護した、または救護して欲しいという
 「救護サイン」を活用しよう
●メモと筆記用具を持ち歩こう

こういうミニマム・キャンペーンを実行することだった。これならやれそうという内容の提案だった。

次に、外見ではわからない困難を抱えた障がい者の外出時被災は危険なものになるために、その場の管理者、駅長・大店舗会災害担当者等との関係者懇談を実現すること。来年度は、この辺にもアクセスし、会合をつくると公開した。

協力がなければなかなか実現できない。しかし、今回はそのネットワークを一歩進めることができたように思う。

------

朝、**子の家族から連絡が入った。長期は無理だが同じ生活圏にある、一時預かりしてくれた地元菩提寺が、緊急避難ならバイト名目で宿泊可能という状態を継続してくれることになったという連絡があった。本人嫌がらずに出かけていったとのこと。住職が親御さんの同級生なのだとか。まずはよかったと思うけれど、**病院には連絡をしておいた方がいいと応答した。また、親切を当人が負担に思いやすいから、話し相手になってくださいとお願いした。

月曜日、老健に行って、待機希望特養の担当者と父の今後のサポートについて話し合う。このあと相模大野まで来ていただく方と面談。専門家につなぐ。

今、母と同年代の知人の甥子さんが母親の欝発病から養育放棄となり、2歳児発育に異常が出ているという相談で、都内某区の担当者に相談をかけている。この方の息子さん(つまり母親の父)に言って行政相談に行けと行っているが、公開を拒否しており、どうしたらいいかと、ぐるりまわって私に相談に来ていた。状況だけ区の担当者に紹介したが、母親が娘である父親と会う。連れ合いは実質離婚状態だという。このケースは、私が長く介入するケースではないが、いつも思うのだが、こういう環境下の子どもは小さい。写真を見せてもらい、ため息がでた。是非、解決して欲しい。

火曜日、参議院議員会館にいくので、この父親(私のふたつ下)と午前中会い区役所へ。夕方に**子の家族に会い、橋本で夜、仕事の方の面談。

参議院議員会館講堂では、JDFの「東日本大震災~障害のある私たちは訴える」の試写会。内容が発達・知的・精神の各障害にもしっかり評価できる内容があるかチェック。よければ湘南上映の芽を持ち帰ってくる。

------

時間が間に合えば、明日、2/18参加者に飛田(厄介)レポート付き追加資料を行政関係者に届けに行ってくる。

------

ひなまつりなり。お婆相手に「あられもない」か、母をつついて仏頂面解消。と、青色申告いついくのかと責められ、雰囲気もく*もない始末。消滅していく家庭の末路なり。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/2 ワイワイまつりに 障がい者避難訓練の話の場 他

2013-03-03 04:56:08 | 引きこもり
2013/03/02 記
--------------
朝、橋本3君(『飛田、ぶっ殺してやる』の本人)から電話が入った。すぐに橋本に来てくれとのこと。塾長がジャワから帰ってきていて、疲れたから明日にしてくれといわれたという。困ったなと思った。今、橋本に行けばワイワイまつりの企画遂行は無理となる。結局1時間ほど話して、睡眠時間3時間のまま、会場に入った。

TAJ(タージ)の被災地体験談話は、外の演奏行事と時間が合ってしまった。話が聞き取りにくい状態。チラシを50枚作ったが、結局20枚残ってしまった。

バリバラの障がい者による被災避難訓練を資料に、健常者向けで、話を立てていたが、参加してくださったのは、聴覚障がい関係の方や、手話通訳の方など。それに市民自治推進課の課長さん。会場は満席という状態。

詳細は明日にまわすが、健常者向けに作ったのに、聴覚障がいの方が多かったのに、健常者の関心の薄さを改めて知った。

横浜で大森くん(仮名)と会った。BDプレヤーをかついだまま、**子の様子を聞く。家が荒れているから、家に戻らない方がいいとの話。大丈夫だろうか、不安が高まる。

夜間傾聴:睡眠不足。ひとりで中止。

(校正1回目済み)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2/28 黒田裕子氏講演会レポートをまとめていました

2013-03-02 04:20:44 | 引きこもり
以下は、既にブログで流した記事をまとめ、来年度のセミナーをさぐったものです。修正を加えてあります。

------ ここから --------

~被災者支援と防災の連続セミナーの種 災害看護の講演会を実施して~

今回の講演会(2/18)は、医療・福祉の目で防災・東北被災者の有効な生活支援の見通しをたてていく、その素地となる先進活動と情報を提示し意見交流を行うというノード(集積交差点)作りの活動だった。

第一回講演では、県茅ヶ崎保健福祉事務所の保健予防課の講演をお願いした。この話を口火にして、今回の黒田裕子氏の「要援護者の保護と医療・生活支援」を焦点にした

「被災地の災害看護活動から考える生活復興期の支援~災害時要援護者の支援を中心に~」

というテーマを語ってもらった。

ー☆ー☆ー☆ー

~災害看護と「地域トリアージ」から見える論の隙間~

黒田さんは、訪問災害看護活動の視点に「地域トリアージ」という概念があるという。限界ある人材の中で有効性と効率を考えた、飛田の使い慣れた言葉で言えば「パーソナル・ケア」の「パーソナル」にあたる個々人の状態、個別性を、「適切に分類して対処しやすくする」という、いわゆる「優先仕分け」のことで、これを地域に適切に対処できるように処理情報をファイリングしておくという、徹頭徹尾「施療者のための」行動基礎情報なのだった。

福祉の立場からは、「共感と伴走」というケアの視点が入ってくる。しかし、これは安全避難の後に活きてくる概念だ。災害看護の場では、保護と安全確保ということが第一となる。これは「被災から避難・治療生活、生活再建」という時間軸のどこの論議なのかということで、内容の重要性の比率が変わる。災害を一括して語ってはいけない。常に時期と場面を意識して考えていかねば行動を見誤る。

黒田さんの説明は、被災時の住民の保護に携わる方の話にシフトしていった。防災構想の大局の中で、「どの組織がどのように対処し連携していくのか」という点に概括的に触れて、セルフチェックの手法を使って、「あなたは的確な行動をとれるように準備していますか」と問う。あなたとは「災害救護・看護・介護の関係者」である。この部分の話はさらりと流れたのだが、この論法は基準となる構想をバイブル(真理)としているので、臨機応変さを価値とする社会活動(市民活動)畑からみると、硬直化しているように見える。

社会活動は基本は「探り当てていく活動」、「ひとや現象と対話しながら解決に導く活動」だから、実践と企画更新は一体のもの「試みつつ、過ちを活かしていく活動」ともいえる。いわば「過ち組み込み済み」論、臨機応変性が、組織の遂行論を超える独自の命のようなところである。

ところが災害の場合は過ちは命に関わることであって、やり直しは効かない。被災後、企画は改良企画で見直しをされていくが、基準更新のスパンは長く、経験の固有名詞は消し去られ一般化される。

日常的に訓練を受けた者が災害対処法を啓蒙し、迷える子羊を領導するという基本線に沿って、防災活動は展開されている。

~「要援護者」とは~

ところがそこに、はまることができない事情を抱えた方たちが「要援護者」なのであって、それを無視して効率と有効性のなたで「ひと」を整形すれば、「ひと」の全体性は失われ、削ぎ落とされた体幹がただ残るだけということになりかねないのだ。「要援護者の保護・支援」とはそういう「ひとの多様性・個別性に丸ごと寄り添う」ということだ。

抜け落ちていくひとたちを保護するために「地域トリアージ」が行われる。そこに「自助・共助・公助」という論が日常待機の枠組みとして登場してくるが、この「自助・共助」が難しいひとたちの防災論、自分らなりの「自助・共助」論が成長しうる防災論はないかと私は考える。

発想は「被災前・被災時・避難生活時・生活再建時」という時間軸を意識しないと、ひとを丸抱えした防災論はありえなくなってしまう。災害が去った「避難生活時」について考える場合、救急医療の観点は退き、治療と保健の福祉に近づいた視点が重要性を増してくる。

黒田さんの話は、この後、避難所生活と看護の話へとシフトしていく。茅ヶ崎の避難所は現在8箇所、福祉避難所は3カ所だとの市行政担当者から話が出て、避難所の数について黒田さんから「比較的進んでいる地域」という評価があり、それでもまだ「被災者を収容しきれないだろう」という行政担当者の悩みのコメントが参加者から入った。

阪神淡路大震災のとき、この「地域サポート」と「地域トリアージ」が行われていなかったために、単身者の孤独死は700名強に及んだ。自殺者も増えるが、生活破綻・病死によるものが主だった。そのことについて、私は意見をはさみ、東日本大震災の被災者の中から既に「孤独死」が始まっているが、阪神淡路大震災のときと同様、「孤独死」が際立ってくるのは被災後数年経ってから、つまり二年目以降の現在の課題ではないかと黒田さんに問いかけた。

「孤独死」は「地域の絆の問題」だと応答する黒田さんのその視野には、どのような人々が写っていたのだろう。ローカルの集落の場合、地縁・血縁の結びつきは濃い。日常生活のプライベートな部分まで、互いに明け透けに見えている社会。一方、分譲地やマンションのように、広域から集まった「ひと」で地域ができている場合は、隣人を知らないことが珍しくない地域である。一般に後者の現状としての地域は否定的に扱われ、「ローカル・モデル」の地域の絆作りがすべての地域でも必要という論のもとに、都市・都市近郊地域の防災活動が空転する。それは住民の公共意識の浅さなのだろうか。

黒田さんの応答は、教科書通りの「防災・防犯の必要性に基く地域コミュニティ作り論」だった。ある家庭は高齢者の介護を抱え、ある家族は週半分は仕事の関係で家を留守にし、ある家族は三交代勤務で夜勤がある。ある家庭は水終売を営み、ある家族は宗教に夢中である。またある家は事情があって単身生活を行い、ある家族は10人家族である。ある家族は、せん妄を伴う若年性認知症の方がいる…という具合に、家庭生活は多様であり、そこには噂や差別による傷つけあいや無理解が潜んでいる。

「人間、早起きはいいことだ」式に、防災コミュニティの鋳型を当てはめていくのだろうか。民生委員や地域自治会役員によるプライバシーの集中管理おこなわれても、それは相互理解・相互扶助というひとりひとりの自覚的行動育成には直結しないだろう。

この従来型の防災シフトは現在の防災構想が、都市型の特徴である「外出時被災」の、いわば「地域コミュニティの手の届かぬところの防災」というシステム的な穴を持っていることも、新たな防災ネット論が検討されるべきなのだ。集落の地域コミュニティは、農漁業の社会的生産の背景や、地域が同一職種に属するというような歴史が生み出したものだ。それを安全避難の都合でコミュニティ像を社会にかぶせていくことに、疑問を感じないだろうか。

被災直後、黒田さんはそのコミュニティから独立した職業として、人命救護や安全確保にあたる。避難が済んだ時点からの看護ケアと避難所運営スタッフつぃて、災害コミュニティを立ち上げる。地域まるごと避難の避難所でない限り、避難所は見ず知らずの家族も混じった「仮想コミュニティ」である。

「外出時被災」については、「通勤者の一時避難」以外、誰も生活圏の研究経過を語るひとがいない。見知らぬ他者に囲まれた時の被災は、生活圏といえども、要援護者には過酷な状況となる。

指示が聞こえない聴覚障がい者や、私のような見かけからは健常者に見える網膜色素変性症の視覚障がい者、指示が理解困難な知的障がいや、発達障がい、精神障がい、外国人、指示通り動くことに困難のある妊婦さんや乳幼児連れの親子、高齢者や身体障がい・病人の方なども、場の集団にシャッフルされてしまう。こうした方を安全避難させ、次に家族と再会させる活動が方法論を持っていないことがあるにも関わらず、みごとにこの「外出時被災」については、論じられることもなく、無視されていくのだった。

災害看護の立場からは、急性期(被災直後)、地域に派遣され地域住民の命を守るという立場からすれば、「外出時被災」は守備エリア外にはみ出してしまう。その意味で、今回の会で数回「外出時被災」について、私は黒田さんに水を向けたのだが、すべて空振りに終わってしまったのは、災害看護の組織的対応を仕事とする対象を明確にした活動であるがゆえの、範疇外の質問だったと理解している。

結局、講演は、被災時の「救急医療と災害看護」「避難生活管理の留意点」を紹介することで、災害時の看護師の活動の重要性は語られたが、それは関係者向けの会という意味では、全体像を語るには、漠然と全体のシステムを語るのではなく、逆にピンポイントの具体的場面の、場面カンファレンス型の論議(針の穴から世界を覗く。)、テーマの立て直しが不可欠だった。黒田さんには、研修型の語りから経験紹介の語りへの誘いが必要だった。

参加された方(13名)を満足させる内容であったかと問われれば、いささか心もとないのだが、「要援護者の救護・支援」が喫緊の課題として、今問われているという感触は、改めて感じ取ってもらえたのではないかと思う。

-------

~災害発生時の救護活動への社会活動連携~

黒田さんの講演は、在宅被災者の救護を出発点として、救援者のネットワークへの説明へと話を拡張していく。

黒田さんにとっての救援者とは、消防団とか町内会・防災リーダーや、自衛隊とか警察・赤十字という救護のプロ集団のことで、市民活動のような自発的即席運動体は位置づけや、連携のスケッチすら見当たらない。被災時活動は訓練された者でという常識が通っている。隣人の急場の保護や連れ添い避難が自然発生的集団行動になっても、その力とは防災論上接点を持たない。綱渡り的に見えるが、実はこの協力に立ち上がる人々・正しい災害リテラシーを持つ人々の自発行動を、平常時如何に増やしていくかが鍵になる。その行動が危険行動であるか否かは綱渡りであるが、東日本大震災の津波避難行動の場面では、この人たちが当人を含む隣人の命を大きく左右したのだ。

時間が経てば、全国の災害ボランティアが集まってくる。この段階でボラセン等が対策本部の形で集まってくるが、退職看護師の会のような有資格者以外は、蚊帳の外に放置される。実際には救護場面では、障害物撤去や死傷者身元確認等の限定的な連携が行われるが、救援の公的団体の指導下の動きとなる。しかし、救急医療から災害看護に引き渡された傷病者は、介護の枠の中で、ボランティアの連携の場は広がるのだ。ここでさえも、地域の絆からはみだした市民活動的介護ボランティアが働き出すのであって、地区社協・地域自治会の管轄外の動きが意味を持ってくる。予測の難しい自然発生的な協力者のファクタを動的に組み入れておく災害論が望まれている。

「外出時被災」のようなシャッフルされた状況の中で、災害弱者の保護という課題は、混乱した集団から安全確保して避難させる自発的な「準・防災士」のような活動が必要になる。研修と資格試験を受けて、防災士になるという道も大事なことだが、いわば活動の裾野、「自発的保護の社会活動の登場」が期待されている。

地付き援護者育成の枠組み外の、都市型災害対策の社会活動を考えたい。その思いが初めて登場したかのように黒田さんに聞こえている現状こそ、専門職の横断カンファレンスというか、情報と発想交流のロビー活動、実践的な検討会が必要なのだ。

-------

セミナーの個性・目的・予定などまとめたメールを書いたので、その抜粋を以下にのせます。まだ来年度のラフスケッチ段階ですが、ご覧下さい。

----------------------

セミナー育成の目的は、ざっくり言えば、

1)被被災地後方支援の立場から、東北被災者の継続支援のエネルギーの水路をたてていくか。

2)生活・就労・居住にシフトしていく被災地のニーズによりそう、現地長期滞在型ボラの活動の質の焦点(生活支援)化。

というような「東北被災者継続支援の内容検討」という社会活動の必要に応じる論議。

「孤独死」や「自殺」というような矛盾の頂点にある対策課題に連続して広がる、生活破壊・生活苦に対する生活再建連携支援の骨格作り。

これらは、東北の次は防災という水をかけられてしまった焚き火の再燃にふんばる災害ボランティアのニースに答えるものです。その中に「災害時要援護者の救護支援と生活支援」が出てくる。

-------

もう一つは、

3)東日本大震災の状況報道などにもブラインドまたは無視されてきた災害弱者の支援と、それを通じて自分たちの防災の予防対策作り。東北の災害弱者継続支援と災害弱者防災の一体展開。

これは、災害ボランティアと行政・議会の共通課題で、セミナーの中心課題となるものです。

「東日本大震災の災害弱者と生活再建支援」
「災害弱者の地域防災」

のふたつ、「災害時要援護者の救護と支援」という個性を持った災害ボランティア活動の補完支援活動なのです。報道にブラインドされてきた高齢者・障がい者被災実態と避難生活を見失わず災害対策活動を作っていくこと。ここにあります。

支援活動が退潮期に入る中、一般向け活動でそれを成すには、ステレオタイプ化した支援活動の説得という時間のかかる問題が控えています。逃げるのではなく、時間的余裕の無い喫緊の課題だからです。

第一に、拡散している支援活動に、このような大上段ふりかぶった見通し立て活動を一般向け活動に託すのは無理だと思います。

だから「要援護者・災害弱者」を支援する関係者が議論となるにこしたことはないですが、それは、まず無理なので、関連ゲストを呼んで、話の口火を切ってもらう。リアルに論点を掴ん
で考えるという懇談型講演会を作りたいのです。

行政関係者にも入ってもらいたいので、路線化の志向は各自の所属団体に持ち帰ってもらって活かしてもらうという「野球のファーム」のような場を作りたいのです。内容は、災害ボランティア全域に及ぶ必要は無く、補完的(実はまったく補完的というより扇子の要)領域の講演会です。

できるだけ現場の関係者を頼み、視界がクリアになる内容を仕掛けたいんです。だから、いわゆるお偉いさんに限ってはいない。ただ被災地や阪神淡路の関係者から呼ぶことが多いので、
交通費がかかります。また少人数(3~4人)ですが、長期休暇を利用して、ピンポイントの見学会を年1回入れたいので、ガス代、車調達費、1泊宿泊費がかかる。全額参加者負担では、
怪しいので、民泊含んで宿泊費はセミナー負担で行きたい。

現場が見えるひとが育って欲しい。




来年度は

JR茅ヶ崎駅駅長

大店舗会災害担当者

包括支援センター担当者

医療介護機器販売レンタル業者

民生委員等

地元関係者との懇談も視野に入れているので、交通費は一概には言えないが。なかなか成立するとは思わない。

災害と災害弱者をめぐる活動をあちこちで活性化させていく、チャージの活動の感じだ。ただ、切れ味だけは、通していきたい。

実施回数は地元ものはできるだけ多く、それとは別に、遠方からの招待・1回の見学交流小ドライブを入れて、年4回かっちりしたものを実現したい。

被災地の訪問介護・看護業者
被災地の障がい者施設関係者
被災地の行政職員(または社協)
被災地滞在高齢者支援研究者

一般向けよりは少し難しくなるが、A4両面版通信を、このかっちりした4回企画ごとに発行する。

運営資金がかかるのは、被災地関係の話は、現地に行って口説いてくる資金が要るからだ。行き先は東北に限らず、阪神淡路大震災関連で関西にも行く。

-----------

私は黒田さんの講演と以下のような(すれ違ったが)バックアップ資料提供を行った。

----------------------------------
より状況を読み取る大事な記事「☆」
注目すべき記事は「★」
----------------------------------

<講演会当日配布分>

☆「被災地の75歳以上の女性、仮設でこもりがち 厚労省調査」(2/10)
☆「仮設暮らし一層厳しく 仙台の入居世帯、不安くっきり」(1/21)
☆「震災後、けいれん増加 気仙沼市立病院患者」(1/29)
☆「被災地支援センター 岩手県陸前高田市における障害者訪問調査 第一次報告(速報)について」
★「要援護者対策に遅れ 災害時全体計画、策定54.3%(宮城)」
★「震災時の周産期医療の実例を報告 岩手・遠野でフォーラム」(2/4)
★「障害者働く場、念願の再建 被災地女川町のNPO、4月にも」(1/23)
★「陸前高田市 デマンド交通スタート 広田・小友気仙町対象 自宅と病院・商業地結ぶ」(2/2)
★「「陸前高田の在宅療養を支える会」震災1年11カ月、念願の発足 ケア充実へ連携強化」(2/11)
●「郡山から避難の男性 都内の宿舎で孤独死 死後約1ヵ月」(2/1)
●「被災50代男性2人、雇用促進住宅で昨年暮れに孤独死 八戸

●「福島へ介護支援 参加を 府中の有志PR」(2/3)
●「「避難の手助け受けた」は48% 陸前高田の障害者ら」(1/12)
●「東日本大震災二年目の検証と インクルーシブな復興」

-------


<追加資料分>(河北新報を中心に)

☆「焦点/福祉避難所、進まぬ指定/被災3県・既存の利用者優先」(2/18)
☆「焦点/福祉避難所どう運営/地域との連携カギ」(2/18)
☆「焦点/要介護、3県沿岸1.2万人増/仮設長期化、体調崩す」(8/17)
☆「焦点/要介護認定者が急増/自力生活に不安、拍車」(8/17)
☆「焦点/要介護認定者が急増/支える家族、苦悩深く」(8/17)
☆「焦点/障害者の避難・介護/医療機器、運び出せず」(9/24)
☆「焦点/岩手、宮城、福島3県 障害者1655人犠牲」(9/24)
☆「被災地の医師 「震災で在宅医療が広まった」と語る」(3/23)
☆「焦点/中高年女性、再就職進まず 被災3県」(9/26)


★「焦点/お産、震災機に役割分担/津波で閉院続出 拠点に集中、負担軽減」(8/27)
★「焦点/石巻・お産の役割分担進む/妊婦の安心、目配りを」(8/27)
★「焦点/福島県、県内自主避難の家賃補助へ 子どもや妊婦いる世帯」(11/6)


以上

----- ここまで ----
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする