2013/03/19 記
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先週の白金の学会でラブコールを仲介してもらった**さんからメールがあった。「茅ヶ崎に%%という団体がある。紹介するから、連絡を取るといい。」という内容。2つ団体が書いてあり、両者とも私が古くから接点を持っている団体。
「そのことを調べるなら、地元に図書館があるから本を借りてくるといい」というのに等しい「いろはの"い"の字」の話だった。「市民活動サポートセンターがあるから、募集チラシを貼ればひとは集まるよ」という話とでもいうか、それは間違いではないが、そのレベルのアクセスは何十年とやっている。そこを如何に超えるかというところが問題なのだが、その壁のことを**さんはわからない。
この前、私は新しい活動が生まれていく道筋にはふたつあると説明した。ひとつは自分のもともと所属する母集団があって、新しい活動の中身とはあまり関係なく、「++さんのお手伝い」というようなひとのつながりから始まり、生み出され外部を取り込んでいくという活動のつくり方だ。もうひとつは「このゆびとまれ」型というか、主旨が全面に立ち、共感するものが結束していくという、今ではオンライン型の活動だ。
この後者については、たとえばサポセン現場では、チラシをメールボックスに入れたとする。それは数ヶ月経ってもそのままということが多い。ポスターを貼ってもその問い合わせはない。見るのは少数の人間だ。市の広報は登録団体ならば頼むことができるが、それを学生層の募集に使っても、効果はない。
私は東日本大震災以降、そのの関連活動の募集チラシを茅ヶ崎駅頭で何回か行い、朝夕の通勤客ではなく買い物客と高校生に渡すということを繰り返し、地域投函を含んで累積6万枚は撒いている。その場で私に声をかけるのは、関係団体所属の方が圧倒的で、おばちゃん、たまに高校生というところで、スーツ姿の通勤客と学生は皆無に近い。その声をかけてくださった方に私の電話番号と集まりの日程を伝えても、それ以降の反応は全くない。募金や署名活動のような場合は、その場の協力は得られても、そこで関係は途切れてしまう。つまりオンラインのしかもアクセスの多い場で表現を行うような、場の母集団が大きいときに、共感の発火が起こる。
つまりオフライン、地域社会で社会活動を行うときは、前者、もともとあった所属集団から核が生まれるということが決定的に影響力がある。しかし、例えば差別や個的体験の課題の社会サポートを求める場合のように、従来の「縁」を一度断ち切ったところからスタートさせる活動を生み出すときは、呼びかけへの共感を得やすい中身と、お試しステップが見え、見通しが情緒的であろうと感じられ、そのあとに重要性がついてくる。この課題を一緒に考えていこうという提案は闇の彼方に消える。
出発点を明示しても、例えば「ホームレスへの津波避難警告巡回を」としても、なかなか人はあつまらないだろう。レッテルが貼られている上に、実情を知っていなければ人は動かない。それなら気づいた者がまず動き出すこと、結果的にあいつにやらせておけばいいという発想を含んで、空転は活動の前提と割り切って動き出すべきだ。これがなければ、何も動かないだろう。
**さんは、某大学の講師だ。彼にとってみれば、学生の協力が得られないということ自身が通じない。私が私塾を運営していた頃や、教科研究団体に所属していた頃と、明らかに違う。遡って学生時代にあれこれ社会活動に飛び込んだとき、それは実に容易だったことを覚えている。私が教育活動をしていた頃は、その団体の一員という手がかりから、私は取り敢えず次の場を得ていた。つまり参加の仕方の前者に含まれる。ところが所属団体が一般的なものではなく、目的の立ち上げたい活動とは領域が違う爺ぃのとき、初対面団体は、かきまわされると思うのか、面倒と思うのか丁重に門前払いしてしまう。
私は2000年に交通事故入院二年を経験し、活動の場面では一度死んでいる。だから生涯通そうと思っている活動と、ひとの深部に通底している活動に絞って活動をたててきた。このことは人類が死に絶えてもやっているのではないか。冗談だが冗談ではない。つながり方の前者、意識・無意識を問わず、人脈から活動をたてる方法は、茅ヶ崎は固着しているので、外側にいる私が提案する活動にはなじまない。
やりたいひとがやる・個人は拒否権を持つ
これが「このゆびとまれ」式の限界承知で、活動時間がこれ以上わりふれないと判断して突っ込んでいなかったオンラインの活動にも踏み込んでいく。
「防災・保健医療セミナー通信~専門職と市民団体の協働を(仮称)」
を新年度から発行し、手渡していく。記事寄稿依頼を含んで編集する。これがセミナー開催に加わった。
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明日は新しい墓地に墓参する。
気分からすれば、祈るべきことは別のところにあるのだが。
夜間傾聴:ひとり(単身生活を始める不安相談・PSWの友人を紹介した。)
(校正2回目済み)
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先週の白金の学会でラブコールを仲介してもらった**さんからメールがあった。「茅ヶ崎に%%という団体がある。紹介するから、連絡を取るといい。」という内容。2つ団体が書いてあり、両者とも私が古くから接点を持っている団体。
「そのことを調べるなら、地元に図書館があるから本を借りてくるといい」というのに等しい「いろはの"い"の字」の話だった。「市民活動サポートセンターがあるから、募集チラシを貼ればひとは集まるよ」という話とでもいうか、それは間違いではないが、そのレベルのアクセスは何十年とやっている。そこを如何に超えるかというところが問題なのだが、その壁のことを**さんはわからない。
この前、私は新しい活動が生まれていく道筋にはふたつあると説明した。ひとつは自分のもともと所属する母集団があって、新しい活動の中身とはあまり関係なく、「++さんのお手伝い」というようなひとのつながりから始まり、生み出され外部を取り込んでいくという活動のつくり方だ。もうひとつは「このゆびとまれ」型というか、主旨が全面に立ち、共感するものが結束していくという、今ではオンライン型の活動だ。
この後者については、たとえばサポセン現場では、チラシをメールボックスに入れたとする。それは数ヶ月経ってもそのままということが多い。ポスターを貼ってもその問い合わせはない。見るのは少数の人間だ。市の広報は登録団体ならば頼むことができるが、それを学生層の募集に使っても、効果はない。
私は東日本大震災以降、そのの関連活動の募集チラシを茅ヶ崎駅頭で何回か行い、朝夕の通勤客ではなく買い物客と高校生に渡すということを繰り返し、地域投函を含んで累積6万枚は撒いている。その場で私に声をかけるのは、関係団体所属の方が圧倒的で、おばちゃん、たまに高校生というところで、スーツ姿の通勤客と学生は皆無に近い。その声をかけてくださった方に私の電話番号と集まりの日程を伝えても、それ以降の反応は全くない。募金や署名活動のような場合は、その場の協力は得られても、そこで関係は途切れてしまう。つまりオンラインのしかもアクセスの多い場で表現を行うような、場の母集団が大きいときに、共感の発火が起こる。
つまりオフライン、地域社会で社会活動を行うときは、前者、もともとあった所属集団から核が生まれるということが決定的に影響力がある。しかし、例えば差別や個的体験の課題の社会サポートを求める場合のように、従来の「縁」を一度断ち切ったところからスタートさせる活動を生み出すときは、呼びかけへの共感を得やすい中身と、お試しステップが見え、見通しが情緒的であろうと感じられ、そのあとに重要性がついてくる。この課題を一緒に考えていこうという提案は闇の彼方に消える。
出発点を明示しても、例えば「ホームレスへの津波避難警告巡回を」としても、なかなか人はあつまらないだろう。レッテルが貼られている上に、実情を知っていなければ人は動かない。それなら気づいた者がまず動き出すこと、結果的にあいつにやらせておけばいいという発想を含んで、空転は活動の前提と割り切って動き出すべきだ。これがなければ、何も動かないだろう。
**さんは、某大学の講師だ。彼にとってみれば、学生の協力が得られないということ自身が通じない。私が私塾を運営していた頃や、教科研究団体に所属していた頃と、明らかに違う。遡って学生時代にあれこれ社会活動に飛び込んだとき、それは実に容易だったことを覚えている。私が教育活動をしていた頃は、その団体の一員という手がかりから、私は取り敢えず次の場を得ていた。つまり参加の仕方の前者に含まれる。ところが所属団体が一般的なものではなく、目的の立ち上げたい活動とは領域が違う爺ぃのとき、初対面団体は、かきまわされると思うのか、面倒と思うのか丁重に門前払いしてしまう。
私は2000年に交通事故入院二年を経験し、活動の場面では一度死んでいる。だから生涯通そうと思っている活動と、ひとの深部に通底している活動に絞って活動をたててきた。このことは人類が死に絶えてもやっているのではないか。冗談だが冗談ではない。つながり方の前者、意識・無意識を問わず、人脈から活動をたてる方法は、茅ヶ崎は固着しているので、外側にいる私が提案する活動にはなじまない。
やりたいひとがやる・個人は拒否権を持つ
これが「このゆびとまれ」式の限界承知で、活動時間がこれ以上わりふれないと判断して突っ込んでいなかったオンラインの活動にも踏み込んでいく。
「防災・保健医療セミナー通信~専門職と市民団体の協働を(仮称)」
を新年度から発行し、手渡していく。記事寄稿依頼を含んで編集する。これがセミナー開催に加わった。
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明日は新しい墓地に墓参する。
気分からすれば、祈るべきことは別のところにあるのだが。
夜間傾聴:ひとり(単身生活を始める不安相談・PSWの友人を紹介した。)
(校正2回目済み)