湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

Q子と夜間傾聴/横浜・磯子区役所カフェからソーシャル・ファームを考える

2007-02-13 06:34:56 | 引きこもり
早朝、Q子から電話が入った。簡単には引継ぎできないぞとは思っていたが、正直言って困った。1時間弱、話を聴いていた。Q子の語る学校の寒々とした様子は、誰かひとり、学校につながっていける友人がいたら、世界は変わっていただろうにと思わされる。今日、私が紹介した精神科に行くが、いやなのだと語る。それはそうだ。初めて会うひとに、心許して語れということ自身が無理だ。しかし、君のこころのわだかまりは、カウンセリングで楽になれるはず。今の私は、電話であなたのことを受け止めているだけだ。

次第に言葉が少なくなり、電話の向こうの相手の存在を確かめるような合図へと変わり、やがて音がしなくなった。眠れたのだ。おやすみを言って受話器を置いた。

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弟は中学校の教員をしている。突然、我が家にやってきて、自分の子どもの話をして、私の居間の、本の山をあさっては、的外れな注釈をつけて帰っていく。今回はひとの予定も何も無く、本を数冊とりあげていやな顔をした。雑多な領域の書は、私の構想の糸で束ねられているから、他者にはそれがわからない。弟はコメントをつけようにも、私が何を考えているのかが、わからない。困って部屋を出て行った。

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連休を使ってメールを出す方がいらして、数通有益な情報をいただいた。企業が関心を持ってくれれば、運用が楽になる。確かに助成金を出しているところではないが、当たってみる必要がありそうだ。デモができたら、持ち込もう。

2/12朝日新聞湘南版に「区役所カフェ 企業が運営/障害者が接客・調理補助」という磯子区役所にある喫茶店のリニュアルの話が出ていた。ファンケルスマイルが運営にあたる区の経費を民間企業が負担することで、補助金の削減につながるというものだ。

これから、このような形の企業参入が増えていくだろう。その流れに乗れば、障害者の就労は進むだろう。だが果たしてこの方法をそのまま受け入れていいのだろうか。

私の頭の中には、引きこもりやニートの青年がいる。この流れは障害者自立支援法を基礎に、手帳を持つような障害者たちが就労の場を確保することを企画しているわけだが、グレーゾーン、または器質・機能的にとらえられた障害像からはみ出した社会的弱者は素通りされてしまうのではないか。採用基準は障害者支援団体の自主基準に委ねられるのか、それとも企業が想定して、当てはまる人のみ採用とするか明確ではない。いいかえれば、当事者と企業が手をたずさえる関係を育てており、その中で登場させたのかどうかというあたりが、企業の質を問う鍵になる。

特例子会社設置の流れに中では、このような試みはもっと広がるだろう。注意しなくてはいけないのは、当事者と企業の相互の連携が取れているかということ。さらに加えれば、行政はどこにいってしまったのだろうということだ。行政の社会的責任は、運営費を企業に移したことで済むはずが無い。懐具合の困窮をかわしただけになるのではないのか、この辺のことなのだ。

コミュニティ・ビジネスと言った場合、企業参入または活動の企業化ということについて、前者なら企業戦略として利潤を直接・間接(対行政ビジネス)考えて参入してくる。後者としても個人企業の商売の芽を作る目的を見分けにくいというようなグレーゾーンが付きまとう。当事者は解決を求めた動きを育てる。その延長上にビジネス手法が登場するという線にいかないのは、資金が無いからだ。資金を企業に求めるというとき、助成金・補助金のように、活動バックアップの範囲で協力してもらうのか、CBとして一歩踏み込んで、企業参入してもらうのかという線が現実的なのだろう。

ソーシャル・ファームの形は、当事者活動にビジネス手法を取り入れる形で、社会的不利益を自助克服していく線を模索する。行政・企業へもバックアップまたは第3セクター的に当事者・行政・企業の協議体が運営する形を探ることになる。就労の場の確保と同時に社会的不利益の克服という目的を持つ活動がソーシャルファームなのだ。

私の提案している「わーく」紙は広告紙のため、売り上げを期待できない。そこは企業広告や行政支援を使いながら、当事者がプレ就労の場として、就労意識を高める探索の場として、当事者が会費負担しつつ運用していくことになる。特徴は資本が少なくて済み、会員数に応じて伸縮自在であることだ。身の丈の活動を作ることができる。こういう手法もソーシャル・ファームの芽には必要なことだと思う。加えて言えば、「わーく」は感染源だということ。ここからさまざまな起業やプロジェクトが生まれてくる。そういう種にあたる活動なのだ。コミュニティ・ビジネスというより、ソーシャル・ファームとの親和性を感じている。



(参考)
●「ソーシャルファームと障害者の雇用- 英国の経験」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20050116/kouen1.html

●「英国における知的障害者のためのソーシャル・ファーム -木の頂上からの景色-」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20050116/kouen2.html

●基調講演 「ソーシャル・ファームの普及・拡大の戦略」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20060115/kityo.html

●「障害者にとって有意義な雇用の創出」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20060115/kouen1.html

●「身近なところにヒントを探してみよう」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20060115/kouen2.html

●ホームレス事情
http://www.goethe.de/ins/jp/lp/prj/obd/exp/ja1513552.htm

以上

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コミュニティ・ビジネスとソーシャル・ファームの違い/働か「ねばならぬ」か?

2007-02-12 07:14:52 | 引きこもり
父のハプニングがあって、都社協ボラセン主催の「ボランタリー2007フォーラム」の「ワーキング・プア」分科会に参加できなかったので、最終日は、今の私にとって集中的に関わるべきテーマの分科会が無かったのは残念だった。

当初「ぼくらも人生の主人公!~障害児・者のきょうだいの思いと、必要な支援とは~」に参加を予定していたが、寝坊。…途中の講演になんとか滑り込んだという具合。午前中企画苦手は引きこもり青年なみ。旧知の○さんにフロアーで偶然出会い、昼食をご一緒した。親の会を長年支えてきた方だが、Δさんの姿がなかった。Δさんは一昨年亡くなったと聞き愕然とした。心労が症状を加速したのだとのお話。資金繰りである。○さんも白髪が目立つようになっていた。

午後は○さんとふたりで助成金関係と、コミュニティ・ビジネス(CB)の分科会を飛び込み参加で覘いてみたが、CBは私の考えている活動とは、似て非なるものだった。私の活動はソーシャル・ファーム(SF)の方がしっくりくる。

コミュニティ・ビジネス(CB)は、
「市民が地域の資源を活用して行う社会的事業」、

ソーシャル・ファーム(SF)は、
「障害者あるいは労働市場で不利な立場にある人々のために、仕事を生み出し、または支援付き雇用の機会を提供することに焦点をおいたビジネス」

という具合に、後者(SF)は「よりよい社会」を求めるというより、「必要」を根拠に受益者が社会的弱者自身であり、雇用から疎外されている者の雇用獲得活動であるという主体構造の差がある。

○さんの地域ではSFの動きは、従来の授産施設・共同作業所からの雇用拡大のそれである。一方、市民活動の継続・発展として「豊かさ・より大きな課題実現」をめざすCBも、議論として地域で活発に展開されている。しかしCBが雇用創出をも謳っているが、提案者がかならずしも当事者ではないという意味で、焦点とは言い難い、千葉と神奈川の違いはあれ、湘南の市民活動もまた似た状況であると思った。SFは○さん、初耳だった。障碍者の領域の活動と市民活動とが、接しつつも違うことが、明らかになってきた。

私は考えてしまった。一昨年末から協働まち研で追及してきた「市との協働事業」の私の提案の底辺でわだかまってきたこと、それが姿を露にしたのだった。私はCBの言説の隙間に、市民の名前を借りた営利業者が入り込む余地への疑いと同時に、市民という定義のあいまいさも気になっていた。社会はあらゆる階層・階級・職業の人々の利益や情熱の雑煮のようなものと思っている。それを「社会のために何かしたい、地域課題を自ら解決したい」「地域にある資源をもっと活かしたい」とCB解説に語られると、翻訳言語を聞くかのような歯がゆさを感じる。「したい」というあなたは何者なのだろう。自由意志に基づくという応答に、のっぺらぼうのような不気味さを感じるのはおかしいのだろうか。

○さんにその質問をぶつけて困惑させてしまった。要求が特定の利害者集団からだされたものであっても、その内容が社会に通底する場合、それは公共性を帯びる。差別撤廃、格差是正のような場合である。内容を抽象することで適応層を拡散させて公益性を確保しているわけではない。変だよCBというのが、今回の結論。

「…しかし、金がないなあ」という私の独り言に、「そういう問題じゃないだろ」と自答するのを、○さんは、「貧乏性にもなるよねえ」と当たっているのか、はずしているのかわからない応答をして、夕闇の神楽坂で別れたのだった。

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帰りの時間が予定より早かったので、東京シューレに通う◇君に会うことにした。新宿に出て話した。*君の就職活動の関連情報を得るためだった。◇君は自営業の家のひとりっ子だった。お店を継ぐのかを聞いてみた。自分のやりたい世界とまったく違う職種のお店なのでいやなのだ、でも…と迷いは、相変わらずだった。◇君は*君より若い。親御さんも若いからまだ問題は焦点化していない。しかし継ぐには専門性を要求されるから、最低専門学校で学ばないと、仕事は実質無理なのだ。

彼の親戚が横須賀にいるので、私はたまに大船で彼と会っていた。結構アクティブな奴なので、*君に会わせてみたかった。4歳年下だ。

私は彼がもつPCの技能を「わーく」に活かしてもらえないか聞きたかったのだ。彼は「就労支援」に抵抗をもった。大人社会にある自活自立不可欠論、迷惑をかけず生きる論の香りが「就労支援」には染み付いているからだった。「働かない」「引きこもる」も選択のうちと聞いたとき、そこに罪悪視の厳しい視線が注がれるのは必至だ。「ひとの金で食うのはとんでもない」ということから、自己言及的に「人の負担を避けるために」「働かねばならぬ」が引き出されていく。◇君は私の発想の中に、この強要の論理がないか確かめているのだった。

「働かない」「引きこもる」これも選択のひとつという言葉は、障碍者の活動にとっては異様なことではないのだった。「就労」はむしろ「社会参加の形」という視点から拡張する形で語られる。私は引きこもり青年にとって就労は、社会との関わりの再構成なのだと思っているので、「社会参加の形」という考え方は自然に伝わってくる。だから自己実現の延長上の話として「就労」を考えるから、「働かない」「引きこもる」よりは「心身の状態に応じて働き」「他者に心開いてみる」ことを薦める。

そうなのだ「就労促進」という言葉もあるが、この語など「国民皆兵」と重なって見えたりする。しかし以前、労働行政畑の+さんに応答したように、「働くこと=受苦」とは思っていない。現代の労働は分業に侵されているが、「働くこと=自己実現」という側面もあるから、すべて「働くこと=必要苦」とは思っていない。「働かない」は「企業就労限定の枠内では『働かない』」だし、「消費文明に流されないために『引きこもる』」なら賛成の立場だ。勿論、反対の立場ではない。

引き止める◇君と再会を約束して、湘南新宿ラインに乗り込んだ。

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ここ数日、*君やご両親からぴたりと連絡がなくなっていた。こういうときは何かが起きていた。家に戻って、両親の夕食の補完をしてから、ありあわせのミカンを袋につめて再び茅ヶ崎駅に戻った。*君のアパートを訪ねてみた。すると*君がきょとんとした顔で出てきた。

取り越し苦労とわかり、お邪魔して、お茶を飲みつつ話をした。音沙汰無いと不安になる私の困った傾向は、親に諫めていたことなのにと、*君の後姿を見ながら自嘲した。*君は連休明けに携帯を直し、新機種を手に入れる。こちらから連絡できなかったから化け物(憶測)が出たのだ。これで一息つきつつ、彼と連休明けにハローワークに一緒に出かけることを約束した。

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夜間傾聴:1名。 レギュラー男性。
電話:  1名。 支援者

マイクロソフト助成金書式書き込み中。
生業、入試期間中の不登校・引きこもり青少年の憂鬱軽減巡回許可申請。
品川裕香さん・著「心からのごめんなさいへ」メモ。


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「ワーキング・プア」分科会は欠席してしまった 他

2007-02-11 06:34:16 | 引きこもり
父がまた転倒した。今回は後頭部を打っているので、冷や汗をかいた。畳の上の新聞紙を踏んだのが原因。骨折はしなかったものの、狭い部屋で転倒したのであちこち身体を打っている。念のため、近隣の病院の緊急外来に押し込んだが、当人が持ち込んだバッグから、アナログTVチューナーが出てきたから、呆れて父を放置して家に戻った。

チューナーは、安物DVDプレヤーを見境なく通販で買うのを寸前でとめたら、ヤマダ電機で液晶画面・アナログチューナー付のDVDプレヤーを買ってきた。損な買物と注意し、自分専用のデスクトップにつなぐDVDプレヤーに交換させたところ、機器設置にと社員が飛んできた。無駄遣いを指摘したら、忠告を聞かずにアナログTVチューナーを追加して買い求めてきたのだった。まもなく茶の間のTVセットを丸ごと買い換えるというのに、見境が無いというより、説明してもわからない。

そんなやりとり直後に転倒。しょうもないと思っていたら、意地になって商品交換をするつもりで、父は病院にチューナーを持ち込んだのだった。だめだ、Bフレッツが入っているのに、TVアンテナも買うつもりだとあきらめて、病院に父を放置して一度家に戻った。
案の定、私の留守にまたヤマダ電機の社員を連れて帰ってきたという。地デジ対応チューナー中級機とTVアンテナがセットされた。このPCは月数回しかSWが入らないというのに。

今日は*君と、東京ボラセンの「ワーキング・プア」分科会に出る予定だった。*君が不参加を選択したこともあって、少々気が抜けていた。そこに父の件が重なったので、結局分科会参加はあきらめた。書かなくてはならないものが山積しているので、PCをバッグに詰めて大庭図書館に向かった。家にいれば家事に拘束されるからだった。

こういうときは何か失敗をするものだ。マウスを持っていかなかった。タッチパッドは苦手なのだ。PC室の席が窓側満席、壁側に座ったが、今度は@FreeDが接続しない。作業効率があがらないまま、べた打ちを進めた。文教大に有った

●「Adaptive Technology アダプティブ・テクノロジー」
  ジョセフ・ラザーロ著 慶大出版会刊 9/'02 ISBN:476640954X

のCDを覗いて時間切れ。藤沢北保健センターの★さんに会って、引きこもりネットの話や、*君のアルバイトの予備情報を得て、湘南ライフタウン経由で茅ヶ崎に戻った。私の町医者に立ち寄って糖尿病検査の結果をもらった。すべて正常。食事の買物を済ませて、山のような買物袋をぶらさげて帰宅した。

作業再開20:30
01:25頃、傾聴申込1人。29歳社会人男性失職中。
04:18頃、レギュラー1人。20歳引きこもり中。すぐに回線を抜けて終了。

障リハ協のIさんに、DAISY のデモ版追加と、DAISY 製作ソフトのシグツナ送付に督促をかけた。マイクロソフトの助成金に応募することにしたが締め切りが2/20。体制根回し、資料作り、間に合うか…。

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*君に持ち込む出汁を買った。なんともヘルシーな。

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父は早々に夕食を済ませて、むっつり腕組みをして、壊れかけた茶の間のTVを睨んでいた。母から店員がやってきた話を聞いた。我が家のご近所@さんは、FAXが壊れたと電気屋を呼んだ。原因は紙が無くなっていただけだった。父の場合も然り。デジタルデバイドは、こんな形でも出てくるのだった。

今日は、ここまで。

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東京都社協ボラセン・ボタンタリーフォーラム「自殺!悩まないでひとりでは」に参加

2007-02-10 07:40:48 | 引きこもり
朝、障害者リハビリテーション協会からメールが届いた。DAISY のデモDVDだった。これではDAISYの目的がわかるだけで、その様子がわからないが、作品と再生ソフトに加えて提供すれば、DAISYの価値が見えるように思う。月曜日に養護学校巡回のとき持ち込もう。現物デモつき。

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"The Big Issue"販売員の竹村さんに茅ヶ崎の歩道橋上で出会う。"The Big Issue"を購入したが、売り上げは伸びているようだ。冊子を図書館(3館)・市保健福祉部・茅ヶ崎保健所生活福祉課(ここ、本来は寒川町在住者向けなんですが)に寄贈できると、もう少し伸びるが、辻堂図書館入れて5冊かかる。東京事務所やHL奉仕会(カトリック)で、やらないかな。まあ竹村さん、長期販売なのかわからないから、それを承知でということになるが。

しかし、歩道橋は知り合いが増えた。竹村さんが話していたバス券販売員さんも私の友達だ。

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本校に添削資料を持ち込んで、遠回りして飯田橋セントラルプラザの都社協ボラセンへ。

昨日は「市民社会をつくるボランタリー2007フォーラムTOKYO」という3日間続きのイベントに参加してきた。「自殺!悩まないでひとりでは ~求められるボランティアの役割~」分科会に参加してきた。

精神障害領域の方が圧倒的だが、三宅島ボラセンの方がいらしたのはびっくり。

清水康之さん(NPO法人自殺対策支援センター”ライフリンク”代表)
西原由記子さん(NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター代表)

のふたりの講師の講演を聞いた。

清水さんは元NHKディレクター。クローズアップ現代を担当されていた。死に急ぐ子どものメッセージが痛々しかった。子どもにはなぜ耳を傾けないのでしょうか。自殺者3万人時代、年齢層も下がっている。主に遺族のケアを行っているとか。

一方、西原さんのお話は、いままさに自殺しようとしている方からの電話が日本全国からかかってくる。中には排気ガスを車内に引き込んで電話してきた方への緊急介入など、夜間傾聴を中心に活動されている。今、私が再開した活動に似ている。私の活動は引きこもり青年が主、西原さんは多重債務者なども含んでいる。連日夜間30~35人の方から連絡が入り6・7人のスタッフが2回線の電話に交代で応じているそうだ。

私のところは、もと勤務していた塾の「学習困難な青少年」の学習相談から、引きこもり青年が来始め、やがて重症の方が入り始めたという経過がある。連日異なる1・2名の方からさまざまなアクセスがあり、年数回、際どいことがおきる。

ただ西原さんが指摘されていたが、傾聴と介入は、本当にひとりで行うものではない。危険すぎる。情況に飲み込まれてしまうことが多いのだ。共感は同感ではないとか、相手のエネルギーを信じること、ビフレンダーズ(横並びで居続けること)など、なるほどと思うところも多いが、西原さん自身が、こちこちに張り詰めていることを感じ、ネットワーキングを申し込むことを見送った。微妙なものである。

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サポート校に行く前に、茅ヶ崎サポセンの「市との意見交換会」申し込み担当をしている杉村さんと話をした。この間、私たちの構想を取り囲む活動環境は、どんどん変わっている。その環境の話も含んで語ったのがいけなかった。杉村さんは福祉畑の人間ではないから、前提をつぎつぎ遡って話さなくてはならなかった。(わからなかったろうなあ。)ただ私の現状は、活動を直線的に成長させてくれるような人も環境もない。だから詰め将棋やジグソーパズルをするように、可能性を引きよせ、つなぎ合わせる。「構想力」の勝負となる。人がつながらなくては、行政はうごかない。声が届かない…ひんやり冷えてサポセンを出た。

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*君はどうしただろうか。携帯が入れば連絡してくることになっているが。

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東海道線車中で「国際セミナー・世界の障害者インクルージョン政策の動向~ソーシャル・ファームの経営と障害者支援活動~2006」(障リハ協)を読んでいた。「ソーシャル・ファーム」のヨーロッパの広がりには感心する。イタリアの生活協同組合型の規模はどのくらいなのだろう。資金繰りなど具体的な事例を知りたい。来年度講演会予定には、関係者を必ず入れよう。

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夜間傾聴、1件。(受験生の進路相談。)
40分済み。

(参考)
●NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター
http://www1.odn.ne.jp/~ceq16010/hp/top.htm
http://volunteer.yahoo.co.jp/category/health_and_welfare/588604944/

●NPO法人自殺対策支援センター”ライフリンク”
http://www.lifelink.or.jp/

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*君は新居にいた、じんとくるのは歳のせいか/駆け抜けた一日

2007-02-09 06:39:11 | 引きこもり
Q子さん宅に近い@クリニックを訪問。母子と@さんを仲介。
完璧に睡眠不足なので、某インターネットカフェで仮眠。

相模大野で巡回指導を終えたあと、藤沢でボーイスカウトOBのSさんに会う。半年ぶり。小学校の放課後指導員をされていた。ともかく「わーく」のオンライン・サポート・スタッフ不足を吐露。また、テレコムを活用した近未来像を描く大きな講演会を開かないか誘う。DAISY関連の話だ。以前、ミニ・ミュンヘンの話で誘いをかけて、直後にテーマパークが開園してなにやら話が拡散した経過があったので、またまた奇妙な話を持ち込んでと思われるかなと思っていた。その心配は無用だった。あれやこれやと語り交わすうちにタイム・リミットがすぐにやってきて、プロバイダ協会の情報をいただいて終了。

その足で藤沢から茅ヶ崎に戻り、*君のアパートを訪ねた。巡回指導中に2回、彼から電話連絡が入っていた。彼はアパートに戻った。正直言ってほっとしている。対立と陣地のような発想は間違いだ。彼の再出発拠点は同時に仮別荘のようなもの。週ごとに通いの予定をたてて、行き来すればいいのだ。大事なことは自分でたてた週予定を守ること。生活が慣れてくれば、彼の本拠になっていくだろう。そのときも、別に実家に帰ってはいけない障壁などない。要(かなめ)は生活にめりはりをつけて生活を形作ることなのだ。

*君は落ち着いていた。彼が孤独の泥沼に再度はまらないよう願うばかりだ。そのときは、いくらでも私を利用すればいい。できるだけの応援はする。

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帰宅後、1時間ほど爆睡。両親の夜食を作って、ダージリン茶を片手にサポセンのニューズ・レターの2次校正を仕上げ、メール。DAISY のデモDVDを特注。通信添削5人分レポート。今日の茅ヶ崎市の意見交換会参加申し込みをしに、午後、茅ヶ崎サポセンにいく予定。今夜は東京都社協ボラセン主催のいのちの電話系の交流分科会に、夜間傾聴の話で参加予定。レポートを本校に届けてから、飯田橋会場へ。

(参考)
●ミニ・ミュンヘン研究会
http://www.mi-mue.com/top.html
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神山さん、ありがとうございました/Q子君・*君の話

2007-02-08 06:03:45 | 引きこもり
Q子君から早朝電話がはいって、まさに「傾聴」を行った。いじめの加害者は痛みの自覚が薄い。Q子の親御さんをけん制する動きがあって、学校は「調査中」を振り回し始めたとのことで、Q子の父親が切れた。告訴すると校長に告げ、周囲はあせってQ子さんのご両親に示談の道を歩み始めた。Q子は自分の頭ごなしに、ことが進んでいることに反発。加害者のいる学校には戻らないと、怒りを電話に叩きつけていたのだった。

ご両親を含んでQ子と会ってきた。詳細は書けないが、あまりにも微妙な問題が介在していた。ただQ子は時間をとめて、しばし静かにして欲しいと願った。私はADHDの関係で知っていた精神科医をペースメーカーとして紹介した。法的な手続きについては、親御さんの仕事柄、私などよりもずっと詳しいので、先方との話は釘を刺す方法を考えて、急な展開を避けるように確認した。私はQ子が求めたときの傾聴屋として動くが、それ以上の動きは自制する旨を伝えた。

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*君が実家に帰っている。彼氏の実家である。戻るのは一向に構わない。しかし、痛みの切り分けをし、彼の出発点を取り直したことが、なしくずしになること。実は他の例の大半がこれになる。体調の不調を訴え、しかも実際に不調になる。これが契機で崩れていく。こころの不安が病を作り出してしまう。大事なことは、新居と実家は切れているのではなく連続していること。そういう行き来のリズムを自分のなかに作ることだ。敷居の高さを親子相互が作ってしまう。そこがこだわりの種をつくる。実家で骨肉の争いを再開するのは愚かだ。そこには自分の存在を確認できる実感はあるが、自分を食いつぶしている。どう「離れ」を生かしていくかを考えていくべきなのだ。

一昨日、私は「ヤングジョブスポットよこはま(YJSY)」にお邪魔して、責任者の眞さんの重いお話を伺った。YJSYは3月で任務を終えて閉鎖となる。同じビル4Fの横浜市か管轄する「よこはま若者サポートステーション(YYSS)」が、機能をリメイクして中心メンバーが移動して運営が始まるのだ。YJSYの若者のたまり場的な雰囲気はなくなる。就労を希望する個人に長期的に寄り添う相談が個性となる。

*君を担当してくださった方々が、YYSSに引き継がれていることにほっとしつつも、就労意識を作れないでいる若者たちの状況打開の鍵(当事者活動…ミニ講座)を捨ててしまう行政の愚かしさを感じる。ばらばらの個人が適職企業にはまっていくのが、すべてではないということを知らなければ問題は解決しない。なぜ自分は働くのか、何を得ようとしているのかを友を通してつかんでいく作業が大事なのだ。その養成の場として「ミニ講座」があった。私はその部分を「わーく」紙発刊活動に初源の時期を担わせようと考えている。窓口が発足すれば、中に会議(講座)を埋め込み、セフティーネットの実務者ネットを官民協働の第三セクタとして、窓口の委託管理を行う。つまりNPOサポートちがさきが、市民活動サポートセンターを受託運営することに似ている。違うことは若者の就労支援が社会政策として実行されるがゆえに、民間委託していくのではなく、官民協働の事業となることだ。

その湘南モデルの源流が消えてしまった。眞さんとスタッフの皆さんに重ね重ね感謝すると同時に、無念でならない。当事者活動を内包した窓口拠点作りは今年、姿を修正して茅ヶ崎市への共同提案・政策提案として行う。

*君は、このYJSYからYYSSへの移行に腹をたてた。正直言って私も納得していない。しかし家で暴れてはいけない。ひとりでは食事も味気ない。だから通うスタイルを作ればいい。君のいわば出撃拠点は新居なのだ。君の世界を形作ることの中に就労がある。

私はQ子と会い、午後筑波大大塚の学習論の研究会に割り込んできた。当事者活動とくに「わーく」の中に生じる就労のまなびを磨きたいがゆえだった。一度家にもどり父の食事を作り、*君のお宅にお邪魔した。君の顔に優しさが戻っていたことに安心しつつ、それが実は強さのもとになるのだとつぶやいていた。

*君、今度は君が私を食事に誘ってくれ。私の好みは「やすくて・うまい」まるで某*野屋みたいだが、これが注文。あの新居の長ねぎを工作用はさみで切るサバイバルな環境でいい。私の分は実費で払うから。週に一度はやろう。慣れてきたらしんどくない招待客をつくろう。

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私は×1だから実家にいる。家事分担があって、毎日二食の炊事と買物・洗濯・親の通院介助をやっつけて、仕事周りをしている。安月給だから仕方ないが、おかげで調理は結構覚えた。そうそう、*君、君の新居でお初のフライパンでチャーハンを作ったね。私の家では中華なべでやっているものだから、攪拌中、飛び上がった飯粒がフライパンからはみ出して、床に散ってしまった。少々恥ずかしかった。でもその米粒を元に戻さなかったことは合格にしてほしい。(笑)食べた後もそのままだった。次回から洗う、君の手のことがあるから、洗うのはまかせろ。

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今日はおそらく茅ヶ崎サポセンで広報の編集会議だろう。その後、この前日送りしていた藤沢保健所に行く。帰りに藤沢推進センターに知人に会いに行く。間があくから「わーく」を作って待つ予定。相模大野の巡回は日送り。夜間傾聴予約者1名。

2/10(土)都社協ボランティアセンター(ボラセン)主催の「ワーキング・プア」のフォーラム分科会がある。行ってみよう。面白い奴がいるかもしれない。\1,000-必要。飯田橋だ。

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岐阜養護学校の神山忠教諭から、ありがたいメールをいただいた。神山さんはディスレキシア(読み書きの障害)を中心とした軽度発達障害のどのような困難に対してツール有効であるか直感的に掲示する優れた解説画像を開発された方で、DAISY の有効性をからめて今年招待したいと思っている。中邑賢龍氏が機能的にツールの可能性の世界を提示してくださる(予定)であるのと同時に、神山忠氏には現場の場面のリアルさをおさえて、そこに何が生成しているかを描いてもらおうと思う。後半は「わーく」の中に組み込まれる世界だ。神山さんは、まだ日取りが決まっていないものの、講演に快諾をいただいた。感謝します。

以上

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ハローワークとの連携を求めて、ジョブコーチ研修講座にお邪魔

2007-02-06 05:57:12 | 引きこもり
*君の許可のうえで、就労支援のチームをハローワークと協力して作ることになっている。そろそろスタートさせようかと準備をしている。求人情報を皆で検討するわけではない。話し合って、適職を複数見つけたいと考えているのだ。スローステップで長期継続的に話せる状態をつくる。就労後も職場の相談に乗れる「彼専属のチーム」である。障害者の一般就労を進めるために春から始まる制度を、手帳を持たない*君が先取りする形になる。ただここが彼の中央司令部になってしまうのも、またおかしなことだ。主導権を彼に置くための内実こもった工夫が必要。

そんな中、彼が危険なドロップアウトを繰り返しているために、足踏みせざるを得なかった。親子相互の危険回避のために別居。生活費の一部を稼がなくてはならない必要もあって、彼のストレス軽減が出発点だった話し合いが膨らんだ結果の適職探しチーム作りだった。焦る必要は無い。彼に自信を取り戻してくれる機会を積み上げていく。今その日々の接点を求め続けている。

しかし今日、彼は独立に迷い自宅に帰った。彼の葛藤が続いている。どうか今夜、自暴自棄な爆発をせずに朝を迎えられるようにと、術もなく、ひたすら念じ続けている。

私にはもうひとつの準備があった。ハローワークとのチームを組むにあたって、それが効果的に運用できるには、どのような手立てをかけていけばいいのか整理する必要があった。昨夜は、第2回JC-NETジョブコーチ養成セミナー(職場適応援助者養成研修)の関係のある一部に参加してきた。「障害者雇用制度の基礎」東京労働局:根岸栄子さんの講演だった。

障害者就労、とくに企業就労の環境を経年変化のなかに見ていくこと。次に自立支援法施行を境に始まった自立就労への流れに沿った新制度を整理していくこと。特に精神・発達障害関連の可能性を追求しておくこと。この辺の問題意識の中、概論的ではあるがかなりヒントをいただいた。ただ、この就労支援の試みは、徹底してプライベートな選択としての就労である。自分の変域をつかみ、企業にあてはまっていく行為としての就労である。

そこからはみだしてしまうのは、自分の可能性をリードされつつ、互いの交渉を通して変化していく、たとえば起業への合流や自主起業、チーム就労のような場合である。今回の個人の就労支援チーム探求には、この視点は抜け落ちている。「やる気」なるものは、仕事内容の知的好奇心や個性に集約されるものではない。労働の中の人間関係や協働行動への共鳴が「やる気」を作っている。「やる気」といっても「興奮」や「熱意」を意味するものではない。「共感」「充実」から生み出される状態のことだ。「わーく」の運営は、これが託されている。

上大岡の会場は数十名のジョブコーチ研修生で埋められていた。小川浩さんが司会。やつれたおっさんは、私だけ。板書を見るには席が離れ過ぎ、手元を見るにはメガネを架け替えなくてはならない。代えると周辺が霞んで全く見えない。困ったものだと、手元は勘で見えないまま書き込んでいく。年だなあと思いつつ、私がやらなくては何も始まらないことをやっているのだから、やるしかないのだ。

講演が終わって、バッグの修理用接着剤を買いに、閉店間際の駅前ユザワヤに駆け込んだ。終われるように買物を握り締め、地下鉄へ。なぜかこういうときは、車両がホームに来ているのだ。怪我の右足を引きずりながら、体を左右に振ってドアに飛び込んだ。戸塚の地下街で家族の追加の昼食用惣菜と、*君の家を帰りに訪問するための電子レンジタイプのスパゲティを仕込んだ。東海道線は混雑のピークは当に過ぎていたが、パンのつぶれるのを防いで茅ヶ崎にたどり着いた。

*君はアパートにいなかった。電話をしてみると帰宅していた。緊張した親御さんの声で状況はわかった。この緊張が彼を暴走させてしまう。悲しい負のサイクル。彼を信じてと親御さんを説得。待機出動状態を作ったまま、PCに向かい夜を明かしている。私も矛盾しているのだ。

「わーく」の作業・協働事業提案資料作りの日程が迫っているが、なかなか進まない。明日はPC持ち歩きになる。*君の親御さんとの面談、彼の支援協力者との面談、藤沢市保健所の打ち合わせ、町田の巡回、*君のアパート訪問、★☆くんの通信添削、障リハ協への講師依頼メール、「わーく」マニュアル作成、飛び込み夜間傾聴対応、家族の二食炊事準備・洗濯・買物これが明日の私の一日となる。

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DAISY の資料を行きがけに、++さんに届けた。DAISY は、障害を超えたテレコムのツールになりうるか。単純に音声のみ・画像のみの受け皿をWEBに準備したほうが現実的か。そのモニターを御願いしている。新しいVer.3.0が出るためか、1月はじめに取得申請したDAISY のシグツナ(製作ソフト)がこない。慣れておかないとと思いつつ、足踏みを続けている。++さんの次は養護学校に持ち込む。「わーく」参加への誘いである。

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路上生活者自立支援誌「The Big Issue」のニュースがNHK10:30からあるのだと茅ヶ崎サポセンから連絡が入る。ビデオ収録を家族に頼んでおいたが、どうも妙。そんなニュースが入る番組ではないのだ。火曜日かなあと番組表を見るが違う。はて連絡はなんだったのだろう。

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障リハ協DAISYシンポに参加して(『わーく』SNSの可能性)

2007-02-05 07:03:34 | 引きこもり
(財)日本障害者リハビリテーション協会 主催の

「障害者への 情報支援普及・啓発シンポジウム~DAISY(アクセシブルな情報システム)を中心として~」に、

参加してきました。東京・青山のホテル会場は200名を超える参加者でした。

様子が変化してきているのは、視覚障害関係以外の障害者団体・養護学校関係者がはっきりと目立ち始めたことです。以前は出版関係・図書館関係・行政関係の関係者が多かったのですが、DAISY が、いよいよ開発から普及にシフトしてきたことです。

今回は

河村 宏 氏:経過と展望
岩井一彦 氏:視覚障害領域から
神山 忠 氏:読み書き障害を中心とした学習障害領域から
藤澤和子 氏:知的障害領域から
伊藤知之 氏:精神障害領域から
井上芳郎 氏:LD親の会(シンポ)
中村 芬 氏:ソフト制作 ひなぎく(シンポ)
成松一郎 氏:出版業界  読書工房(シンポ)
野村美佐子氏:障リハ協(シンポ)

主眼は

1)プライバシー公開せずに読書できる自由
2)ツールによる障害困難の克服
3)学習認知の促進
4)世界標準フォーマットによる交流促進
5)デジタルコンテンツの自主制作ツール開発
6)コミュニケーション表現媒体開発

というようなことにあるようですが、今回実践例報告が浦河べてるの家の「障害特性説明」と「防災マニュアル」以外は、明らかに練れている感じでした。特に「マニュアル」は内輪画像集の感じで、地図略図併記の必要がありました。神山・藤澤両氏の解説は注目度も高く、問題点もかなり具体的に立ち上がってきていました。

DAISY はW3C のhtml or xml(Web)+bmp & jpeg画像+MP3音声という極端に平凡な構成を特徴にして、それを統合表現するソフトとして開発されているため、根気があればフリーソフトのダウンロードだけでコンテンツ開発ができます。現在流通しているJAVAやFLASHなどの技術が特許のブラックボックスにあることに対しちょうどLINUXというOSがソース公開の形で、ボランタリーに開発されてきたように、スウェーデン&日本が言いだしっぺの様な形で公開で開発されており、特許化しないという国際取り決めの中で初夏にはVer.3.0が出てきます。

日本点字図書館がカセットをやめ、CD/DVD+DAISY に切り替えを始めた話とか、全米指導教材アクセスセンターNIMACが全米教科書のDAISY版を採用した話、今年マイクロソフトが参入した話などカセット以降の標準フォーマットとして定着していく流れができたと感じます。現時点で40カ国が参加しているそうです。

報告はいまだ「伝達のツール」としての域を出ていませんが、いわゆるマルチメディア効果を引き出す実践が膨らみはじめ、これは私の感想ですが、今回の会合はDAISY がブレイクした場面だろうと思っています。それほどに質が濃く、機能の利点の実感が伝わってきました。

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私がDAISY に着目するのは、現在、視聴覚「表現」を、より容易に手がけることができる時代に突入したこと。たとえばWord文書はファイル変換によって、そのままWebにすることができます。さらに画像を貼りこんだ画面を作るWeb作成ソフトは、やさしくなってきました。webには音声ファイルが貼れますし、それをCDやメール・HPなどで流通させることが、可能になってきたことです。その統合表現ソフトがDAISY 規格のLP-Playerとして無料配布されています。

私たちの「わーく」は、HPなどのURLを紹介するコンビニ冊子と、より安全なオンライン環境(SNS+DAISY)で障害の障壁を越えたコミュニケーションを狙っています。視覚表現(画像)や語り(音声)でも交換できる状態を作ります。DAISYはそれを容易にする技術です。

読み取り>Web携帯電話・PC
書き込み>Web携帯電話(text & 画像のみ)・PC

この「PC」のところにDAISY が入ります。DAISY 規格で作成したものは、携帯電話でも条件付で読み取れます。限界とは、ファイルの容量に限界があること、text・音声・画像単独の表現になることです。

携帯電話からの書き込みでは、「text」を送ることが可能です。「画像・音声」は、機種に制限がありますが可能。textなら掲示板書き込みも可能です。これらは普通のwebブラウザやDAISY用LP-Player で読み取れます。

今回デモCD「いや」(全国手をつなぐ育成会)をもらってきました。静止画像と自動読み取りのCDで、事前にLP-Player(読み取りソフト)を用意しておかなければなりませんが、

読みの位置にカーソル反転
読みの速さの選択

などの機能を見ることができます。

また「シナノケンシ社」のDAISY製作&再生機のパンフなどを受け取り、希望者配布されるデモDVD申し込みをしてきました。

「表現」ツールとしてのDAISY は、まだ実践例が薄く、初夏のVer.3.0(米国標準として先行)が出た段階で製作ツールも公開されるでしょう。視覚障害者にも製作可能なツールは、Ver.2版が出ています。

ツールを使えばテレコムに参加できる可能性が出てきています。軽度発達障害関係・知的障害関係のオンライン実践が次の会には登場するでしょう。

なお、品川裕香さんも、エジソンクラブの高山さんと組んで「ディスレキシアってなあに」「キミはキミのままでいい」の2編のDAISY作品を作っています。

今回、全国手をつなぐ育成会製作「いや」のDAISY版がおまけにつきました。ずっしり重い内容です。他にもいろいろもっていますので、2月22日は一部を紹介し、「わーく」のオンライン側の話の中で、DAISY を紹介します。(社協のC会議室ですからPC画面かなあ。)

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帰りに講師の神山さんに私たちの連続講演会の講師依頼をするかもしれないと不躾なお願いをしてきました。軽度発達障害の機能改善の可能性をかなり具体的に見せてくれたので、遠方ですが是非呼べるようにしたいのです。

(参考)
●Daisy Consortium(英文)
http://www.daisy.org/

●ノーマネット>ノーマネットDAISYファクトリー
http://www.normanet.ne.jp/

●デイジーにようこそ
http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/index.html

●Daisy Tokyo
http://homepage2.nifty.com/daisy_t/index.htm

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帰りに*君には迷惑だろうけれど、週に1度はお邪魔して食事を一緒に食べたいので、大き目のタッパウェアを買って帰りました。独立してひとりの食事は味気ないもの。許せ*君。

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神保町に立ち寄って、社会的企業関係の著作を立ち読み。本が高い。手が出ず、ISBNだけ記録して帰宅した。

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緊急出動帰りの空白感の中で

2007-02-04 05:16:27 | 引きこもり
*君、切れましてさきほどまで、アパートに出かけて刑事事件化直前制止の説得をしていました。なんとも不運な奴で、一緒に食事をして落ち着きました。こういう重症化している事例は、ほんとうに「雨後のたけのこ」状況というか「もぐら叩き」状況。個人を絶対に見捨てない活動が必要ですが、対症療法を超えて、政策的な対応が早急に必要なのです。

今日は巡回をかためて3箇所。相模大野2箇所・海老名、いずれも無難なキャッチアップ指導と通学復帰の勧め。ひとり高価なスウィーツを準備してくれた親御さんがいて、無念、糖尿病では甘いものを食べられず暇。学校教員の家庭訪問もお茶がでても、次々お茶なので付き合っていたら水腹になってしまうということがありますが、家庭訪問はこれがきついところ。海老名から香川に。そこで携帯が鳴った。*君だった。

作業は、まったくすすんでいません。明日は表参道でDAISY シンポジウムが12時半からあります。睡眠時間確保。今日はここまで。

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話は話を呼ぶのでしょうか、オーバーフロー気味ですが…

2007-02-03 07:16:26 | 引きこもり
3つの話が進行しています。ひとつは高円寺の方のお話。

やはり田無は高円寺からは不便ということで、東京23区内の場所探しとなりました。ところがお兄さんの件で、有名なところは回りつくしているらしく、むしろ集団の小さな塾を求めているとのこと。軽度発達障害の理解があるところをとのお話でしたが、診断を受けているわけではなく、お母さんの読書から判断されたこととのお話でしたので、そういう診断を踏まえないでも、個性をしっかり受け入れてくれる場所を探すことと、むしろ診断を基礎に似合った指導を受けるという線と両方の道を話しました。私の関わりは前者に当てはまります。といっても軽度発達障害の症例は踏まえます。対症療法とはならないということです。21世紀研を相談に訪ねることになりましたが、お母さんのこの間のご苦労が噴出したこともあって、まずははきだしていただきました。

次にQ子君から電話が再び入ったことです。「先生が迷惑なら行かないから」という怒りが爆発しました。「会おうか」ということになりましたが、異性のため、第三者のいる場所でということと、ご両親の了解の上でという条件をつけました。「ご両親の了解」ということに反発がありましたが、なんとか納得してくれました。しかしここ数日忙しくて間が取れないのです。来週自由が丘に巡回指導があります。新宿あたりで調整できないか探ります。新宿なら茅ヶ崎まで直通で帰れると言って、またQ子君に叱られました。どうもすみません。

次に*君の件。夜中にアパートの上の階の住人が大きな音を立てて安眠妨害をするということでもめました。まず当人に、熱くならずにまず相手を知ることを勧めました。喧嘩にならないよう第三者(家主)をはさむことを条件にしました。

会って見たら、耳の遠い足腰の弱ったお婆さん。座るとき尻餅をつくので大きな音がするのでした。朝が早いのもお年寄りの特徴。意外な相手に*君意気消沈。しかし問題は解決していないので、事情を話して、生活時間の調整と座り方の配慮を要請することになりました。しかし身体の状態ですから、そう簡単に解決するとは思えません。上下階の交換なども不動産屋・家主と交渉して解決する必要があります。とんでもない形でSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)が登場してしまいました。これは相談が現在進行形。

品川裕香さんの講演会の準備相談をしました。品川さんは教育再生会議委員の顔と、宇治少年院ルポを代表作とするルポライターの顔があります。両方とも興味深いお話が聴けると思いますが、両方を重ねると焦点がぼける気がします。私の関心は後者にありますが、社会的な意味合いからは、貴重な機会ですから前者の話しもということで心が揺れます。地元関係者の話し合いを至急持つように、まずは近々、相互確認をします。

2月は偶数月のため、連続講演会は内輪の調整話。「わーく」と新年度の予定が中心。その中で品川さんの件と市との協働事業提案(若年者就労促進実務者ネット形成提案)を準備することにしました。「わーく」は直接は官民協働の対象にはなりにくいため、市行政には「協力」を引き出せればいいと思っています。とにかく行政公開HPのURL記載ひとつにも許可が要り、活動実績を証明しないと記載不許可という状態では先に進めません。

生業1件。相模大野。面会済み。解決。

1月26日の路上生活者自立支援誌「The Big Issue」販売員さんとの懇談の様子が、タウンニュース茅ヶ崎版2月2日号に三段組記事で紹介されました。すっきりまとまっているのはさすが。ただ心配事があります。同誌に挟み込む販売員さんの冊子が宗教っぽいのです。これが同誌販売のマイナス要因になりそうなこと。別に渡せば少しは違うだろうと思います。しかし、抱き合わせは、やめたほうがいいと感じています。記事をとりあえず東京事務所にFAXして、今日の作業は終了。

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##さんのコメントの一部に答えます(3)

2007-02-03 05:58:44 | 引きこもり
##さんから2通目のご指摘をいただいています。
6点ありますが、まず言葉の問題が大きいようです。

言葉は専門用語といわれる、その分野だけに通用する言葉があります。しかしその中身は、表現しようとする対象が今までの言葉では表現しきれないために作られる場合と、ローカルな集団の中だけで流通しているうちに、略されたり飛躍したり茶化されたりして、新しい言葉が出来る「隠語」の場合があります。この後者は流行語にも登場するので、専門用語とはいわない場合も出てきます。私の言葉はちょうどこの中間をさまよっているようです。しかし、極端な言い回しはありますが、不登校・引きこもりそして青少年無業者へのとくに心理・教育からの支援活動をされている方の間で使われたことが無い言葉は、使わないようにしているつもりなのですが。

1)「インクルーシブ」について。「インクルージョン」という言葉はおかしいでしょうか。この言葉は流通していると思うのですが。直訳では「包摂的な」ということになるでしょうか。社会的な差異を個性として認め、お互いが不利益を蒙らないような関係を取り結ぶこと、または、取り結んでいる状態という意味に解しているのですが。社会的な差別に対する言葉として誕生してきたものと思っています。「差別なく皆一緒に受け入れて」あたりになるかと思いますが、「差別」ということが「社会的状態」「根拠の無い蹴落としの意思活動」の両面が入ってくるために、言葉がいき違う可能性が大きいのです。

2)・3)・4)は、初めて読む方にもわかるようにとのご指摘だと思います。これについては、前の記事をご覧ください。関係者同士以外の場合は、たしかに活動分野以外で使われる言葉は注意すべきですが、それには表現しきれないものが伴う、文に含ませる意味の捨て去りがあるということも事実です。話し言葉のようにということは、たとえば私の活動を語る場合、少なくとも数倍に文書量が膨らみます。書く内容が逆に量に制約されて読まれないことが出てくるため、特に全体像を語るようなとき、捨て去る部分が大きくなってしまいます。関係者間の場合は、書き言葉の力を借りることを認めて下さいませんか。

5)「げんき基金」があてにできないと書いたのは、市行政の話の中で「講演会」という活動が社会的影響をあまり期待できないという判断に振れているという話があったことです。私たちの活動の中の「連続講演会」は、ふたつの顔がありました。ひとつは若年者就労をめぐって、障害関係の諸領域(身体・知的・精神さらに横断的に発達等)と社会・教育関係領域(不登校・引きこもり・いわゆるニート等)の問題は、それぞれの中に散っていながら、お互いが接点を持って活動できていない現状があります。この領域を超えていくためには、お互いの抱えている課題を出し合い、それをお互いに知っていく活動が必要です。関係者間をつないでいく活動です。

もうひとつは、ひとつひとつの領域について、問題の所在を地域に訴えていく活動です。しかしこの後半の活動は、引きこもり関係の講演には障害関係の方が参加しなかったり、養護学校の先生の語りに引きこもり関係の方が参加し無かったりと、その領域の関心の中に流動するので、なかなか相互理解とはいきません。

実際、会としては前者のことが主眼になるため、活動が統合成長していく結果市民への利益還元ができるというような婉曲な効果しか期待できません。このことを基金が直接効果が薄いとして、「講演会」には資金を出すのは避けようという消極的な話が出ているということなのです。

私たちは「連続講演会」開催をお互いをつなぐ当面の実践として、お互いの共通項をまさぐってきました。いま私たちがぶつかっている「時代の壁」は、自立支援法の下で障害を統合して見る視点を要求されていること・フリースペース活動だけでは臨界点に達している若年者の孤立の諸問題のことという具合に一見ばらばらに登場しているものが、私たちの時代の歪みの共通性を通じて、ネットワーキング社会(電子的な情報網の狭義の意味にあらず)へと脱皮合流していく移行期の限界を意味しているのだと思います。

こういう時代認識が市行政には無い。目先の効果にしか関心が無い発想の貧困さがあります。

6)##さんには、個人メールとブログとのふたつの応答が届いていることと思います。これは、ブログに適さない内容のものを個人メールにしたつもりなのです。また個人メールの中の##さんのメールが「> 」を文頭につけて転載されていることは、メール慣行に反していることとは思いません。ビジネスの場合などはましてやそうでしょう。何の話の応答なのかを添付して送ることで、話の流れを確認できるため、担当が複数名いた場合も話の中に入れるという利点があり、慣行として珍しくは無いものと思いますが。##さんに何か差別的な含みを持たせたものでは断じてありません。



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##さんのコメントの一部に答えます(2)

2007-02-02 23:57:17 | 引きこもり
##さんのご質問への応答の続きです。
順が錯綜してすみません。

まず「わーく」が若者に面白いと受け入れられるかという点です。

私は前に茅ヶ崎保健所主催の講演会の講師Hさんと話しました。Hさんは、今の子は短期的な、希望大学合格というようなところを「夢」と語るが、それは違うと語り、もっと人生の目標になるような「夢や希望」を持って欲しいと語りました。私には違和感ありました。私たちいわゆる大人は「夢と希望」を抱いて日々生活しているでしょうか。

それは社会が悪いから「夢や希望」を持たずに、「必要」で日々を送っているという反論が出そうです。私は「夢や希望」を抱いて生活している人は一部の人で、大多数の人は別の生活価値のなかで生きていると思っています。極論すれば「夢や希望」は無いものねだりだということ。その別の生活価値とは、「かけがいのない人と共に生きていくこと」です。これが成り立つことが、生きていく上で大事なこと。これは仕事のこと、私生活を貫いて成り立つことだと思います。

なぜ遠回りの説明をしたかというと、「わーく」はその紙面の面白さとは別に、発刊していく工程の協業があります。社会と接する仲立ちとしてさまざまな場面が想定されています。このなかで、共に発刊する友と出会え、取材・営業の場面で社会を探索的に知ります。「わーく」が引きこもり青年が手に取ってくれる内容かという筋からすると、それは紙面が必要の論理で満たされているから、いわゆる面白いということにはならないと思います。しかし必要は担保しています。紙面の内容はリンク集であり、職業選択情報とオンライン交流への誘いであるわけです。職業ということの柱をアクセントとしますが、オンライン交流は本紙企画・編集や企画紹介、仕事関連の雑談であるわけです。彼らのセンスが反映できる場をタイアップさせているのです。

この意味で、自己表現と共感の可能性のある場を抱えているということで、発刊工程の協業とともに、「わーく」の魅力はあると思います。勿論運営は大変だと思いますが、よい循環が生まれれば、それも超えていけます。

ここで着目して欲しいことは、社会と仕事をめぐって、情報を取捨選択していく情報消費者のような立場(受容者)から、探る立場(主体)へと身の位置が変わっていることです。それを織り込んでいるがゆえに、「協業の経験」とともに「わーく」は面白さを秘めているのです。

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次に構想(若年者就労促進ネットワークの中の就労相談窓口『拡張版・ヤングジョブスポット湘南』作り)を夢物語に終わらせないために、その構想の「舞台」を知りたいと書きました。##さんは県労働行政の様子をよくご存知です。私は市民活動からの新参者として、関連行政各部局を探って、協力要請にまわっています。ただそれは、やみくもと紙一重です。この構想を実現の途に乗せるために、効果的な筋道がわかって回っているわけではありません。県労働行政について私は素人です。「舞台(県労働行政)」を知りたいのです。ご協力願えないでしょうか。

-----

次に「湘南オンラインフレネ日誌」がわかりにくいというご指摘です。ブログという世界は奇妙な構造を持っています。当人が価値あるものを整理蓄積している場を、他者が覗き情報を利用しあうという構造です。従来のホームページの情報宣伝機能とは場が違います。

典型的な例では、個人データベースがあります。類似のデータベースを作ろうとしている方が、トラックバック(リンク)を張り、情報を利用し合います。

私の日誌は情報宣伝のために書いているのではないのです。自分の活動の記録整理と関係者からのコメント期待のために書いています。ですから、後者のことでいえば、話が通じて欲しいですから、無理して難解な表現にするのはおかしいですが、私の場合は7割が自分のためです。その意味で包み込むような概念を持った言葉で語ったほうが、考えをまとめやすいのです。情報宣伝という場は、別に掲示板や告知板を作っていますが、正直のところ、効果をあまり期待していないのです。現場の活動の共感からしか本来は活動が広がらないのだろうと思っています。オンラインの世界は、情報共有とか意見交換とかを軸とした方が、実がありそうです。言葉はそのTPOに応じて変化させます。

-----

(つづく)

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すみません、対応中です

2007-02-02 05:48:40 | 引きこもり
今夜まとめて配信します。

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携帯電話が活躍した一日

2007-02-01 07:25:54 | 引きこもり
昨日は、日中、携帯電話が鳴りっぱなしでした。

Q子さんがいなくなったからでした。これはQ子さんの出身校の養護の先生にQ子さんが会いたくなって出かけたということで、無事解決しました。

一方、*君も困難な状況が生まれていました。当人と親御さんの双方からの電話でした。

昨日は「ヤングジョブスポットよこはま」の「2月のミニ講座案内」が届いたので、図書館に配りながら、必要な本を借りてきました。最後が要、文教大学図書館でした。ところがここで電話が鳴って、結局事前に調べておいた石川准さん関係の書籍を借りて、帰りました。取り寄せ依頼は時間切れ。

帰りに、しばし巡回していなかった++さん宅にお邪魔。鬱から回復状態にある++さんとお茶を飲んで帰ってきました。30歳になったとか。「わーく」をやらないかと薦めてあっさり断られました。

そこにまた、今度は塾生からの電話。私の同業者から相談依頼が入ってきました。今度は6歳と10歳なので、これは適役が東京田無にいるので、紹介するつもりです。

サポセンの原稿の件があったり、なにやら中途半端な一日でした。

==入手した本==

●「労働ダンピング」中野麻美・著/岩波新書


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##さんのコメントの一部に答えます

2007-02-01 06:59:50 | 引きこもり
私たちの活動の場にいらしてくださっている##様から、手厳しいご批判をいただきました。日記がわかりにくいということです。特に前回のメールのふたつの箇所について、ご指摘がありましたので、説明を加えたいと思います。

「*君の孤独/1・27養護学校進路指導の立場からの就労支援レポート他」

これの中の部分です。

「その凝視が固着にすぎないことが多いのだ。だから他者の眼差しが固着を際だたせてくれる。」

たしかに不的確な表現でした。

社会から切り離された個人にとって、社会は自分とは異質のものに写ります。空気のようにありながら、意識しないときは見えてこない、いわく「当たり前」のものが見えてきます。これが重苦しくもありますが、貴重な体験であり大切な視座なのです。>(差異が新たな世界をうむ)

不合理が情熱を生む。>これはいいのでは?

次の「その生成に目をそらさずに見極めていく強靭さ」が「その凝視が固着にすぎないことが多い」とは、しっかり物事を見定めていく(凝視)が、ともするとレッテル貼り(固着)にすぎないこと、「決め付けは思考の停止」ということで「固着」という言葉を使いました。他者と交流することによって得る他者のものの見方は、自分の見方がレッテル貼りであることを教えてくれるものだ、とまあ、こういう意味です。

-------

「ここで語られている対話は、従来の障害者の福祉的就労からの脱出の線上の話だった。集まった方々は、従来の枠を使い切って一般就労へ流れを変える関心の話だった。しかし、障害者の働く意欲は地域の新たな就労の場が出来れば、最賃以上の収入を生む場を描ければ、流れ込んでくるだろう。」

ここは不適切です。訂正します。「意欲」はあふれているのですからね。以下の意味で書きたかったのです。

「自立支援法施行以降、障害者関連団体の就労支援の関心は、従来の障害者の福祉的就労からの脱出の線上の話にあった。集まった方々は、従来の枠を使い切って一般就労へ流れを変えることへの関心だった。ところがこの発想には、企業就労という企業の枠の中に流れ込むことであって、起業のような方向には向いていなかった。障害者の働く意欲は地域の新たな起業就労の場が出来、それが最賃以上の収入を生む場を描ければ、選択肢を増して関心を示してくれるだろう。」

引きこもり青年と軽度障害者との協力が、社会参加的な要素の強い「起業を通した企業活動」を誕生させることが出てくるだろう。地域の有力な若い力に成長して行く可能性がある。

こういうことで説明になったでしょうか。

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