*君が切れた影響が隣人から出て、入居早々問題が起きている。彼がまた切れなければいいがと思う。この隣人の批判が到着する前、私は彼の切れた件について、親御さんと話し合っていた。彼が親御さんに抱く疑惑にも明快に答えていただいた。この直後問題が起きた。彼から「不動産屋に来るように」と手紙が来たとメールが飛び込んだのだった。簡素な文面が逆に対応の迅速さを求めているように感じられた。即座に親御さんに連絡、彼の家に向かうことにした。
立ち退き要求のような極論までは行かないだろうが、彼は当然の帰結でありながらも、大きな難関を迎えた。彼や親御さんには、私ら支援者が緩衝材として入りながらも、彼自身の冷静な応答が求められることになった。終バスを終えたバス停からタクシーに乗り込んだ。土産と称する救急セットをぶら下げていた。服毒自殺防止の胃壁保護剤であり、興奮する彼の心への落ち着き誘導剤だった。暖めてゆっくり飲めばいいのだ。
ところが彼はとうに落ち着きを取り戻していた。拍子抜けしたが、取り越し苦労は喜ぶべきことだった。
*君に私の分の豆乳を温めてもらい、話し合った。彼と今後のことを話した。どうか穏便に隣人関係が済みますようにと念じている。今日の不動産屋さんとの交渉は、親御さんが代行。月曜日に彼に付き添えるように、よこはまの「わーく」相談関連の予定を中止。生業巡回を日を入れ替え今日入れて、月曜日を空けるという日程調整をした。この動き、正直言ってしんどいのだが。
ストッパーをやっていると、三人以上が同時に火事を起こしていると、予定が成り立たなくなる。夜間チームは、担い手がいない。これがいつもの悩みだ。生業の間合いを調整しながら動きやすくして待機する。夜間傾聴は友人のフリースペース的な塾から紹介される「指導が難しい子」相手が大半。中には直接ブログを発見した飛び込みの子もいるが、珍しい。ほとんどの方は東京在住のレギュラーであって、湘南東部の活動の芽にはならない。それでも毎日1~2件は連絡が入る。加えて私の通信塾の子たちの学習添削が入る。だから余力がないので広告は出さない。他の活動ができなくなるからだ。時には傾聴は命にかかわることになる。その活動差し替えのゆとりは残しておかなくてはならないのだが…難しい。
23時すぎ、彼のアパートから帰宅途中、レギュラーの◎から転送電話が入った。彼らは私の巡回を知っている、だから事情を話すと協力して相談を中止してくれる。しかし彼らも問題があるからかけてくるのであって、孤立に耐えられなくなるからかけてくるのであって、だから、あとのフォローはしなくてはならない。
*君の件は「ぽれぽれ」の中西さんにも協力願っている。親御さんと携帯電話で話した後、作戦を手伝ってもらうために電話をいれた。これで一段落。歩けば30~40分の距離だがタクシーで帰宅した。足を骨折してから原付・車をやめていた。しかし移動に自転車は必要だろう。即応できないからだ。
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朝日新聞夕刊に「オールニートニッポン」の記事がでていた。爺ぃが作る活動だから「いかん」のだなあと思いつつ、思いは裏方「実務者ネット」へと飛ぶ。潮の満ち干に晒されないアンカー、先々の相談窓口に併設される「就労しゃべり場」の価値を磨く裏方、そんなことばかり考えているから、構想が飛ばないんだろうなと思う。一方で私は会場の熱気を紙面に感じつつ、その写真に写らない、会場をのぞきながらも壁際で沈黙している子たちが語りだせるような、それぞれの関わりをもてるような仕掛け(システム)のある活動にしたいと思った。
考えてみれば70年反博のとき、吉川勇一さんに、この雰囲気は好きで嫌いだということを語っていた。40年弱同じようなことを言っている自分が可笑しかった。高校生の頃から爺ぃだったのだろうか。
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進まない「わーく」の概説書を再び書いている。小見出しを書いて京大カード式に枠に流し込んでいる。これと「わーく」冊子を持って巡回したいのだ。形式優先の行政とも説得する形で、行政が逃げ出すURL転載許可をとりたいのだ。前の書き込み時の切れた記憶をつないでは、チャートにしたがって描いていく。
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(予定)
3月の講師選定の件、今日・明日中にアポ取りをする。
げんき基金報告書の準備。
DAISY電子出版テスト開始。
巡回2件。
オールアライブしゃカンパ金1名分届け。(日曜休みだった、月曜日に変更)
33歳Wさんを元町の家&オールアライブしゃにつなぐこと。
夜間傾聴:2名(レギュラー◎・伊勢原退院@君母親)
電話:*君関連・生業関係巡回調整・某サポート校
頂き物:*君宅家庭菜園からお野菜(ありがとうございます)
以上
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(校正2回目済)
立ち退き要求のような極論までは行かないだろうが、彼は当然の帰結でありながらも、大きな難関を迎えた。彼や親御さんには、私ら支援者が緩衝材として入りながらも、彼自身の冷静な応答が求められることになった。終バスを終えたバス停からタクシーに乗り込んだ。土産と称する救急セットをぶら下げていた。服毒自殺防止の胃壁保護剤であり、興奮する彼の心への落ち着き誘導剤だった。暖めてゆっくり飲めばいいのだ。
ところが彼はとうに落ち着きを取り戻していた。拍子抜けしたが、取り越し苦労は喜ぶべきことだった。
*君に私の分の豆乳を温めてもらい、話し合った。彼と今後のことを話した。どうか穏便に隣人関係が済みますようにと念じている。今日の不動産屋さんとの交渉は、親御さんが代行。月曜日に彼に付き添えるように、よこはまの「わーく」相談関連の予定を中止。生業巡回を日を入れ替え今日入れて、月曜日を空けるという日程調整をした。この動き、正直言ってしんどいのだが。
ストッパーをやっていると、三人以上が同時に火事を起こしていると、予定が成り立たなくなる。夜間チームは、担い手がいない。これがいつもの悩みだ。生業の間合いを調整しながら動きやすくして待機する。夜間傾聴は友人のフリースペース的な塾から紹介される「指導が難しい子」相手が大半。中には直接ブログを発見した飛び込みの子もいるが、珍しい。ほとんどの方は東京在住のレギュラーであって、湘南東部の活動の芽にはならない。それでも毎日1~2件は連絡が入る。加えて私の通信塾の子たちの学習添削が入る。だから余力がないので広告は出さない。他の活動ができなくなるからだ。時には傾聴は命にかかわることになる。その活動差し替えのゆとりは残しておかなくてはならないのだが…難しい。
23時すぎ、彼のアパートから帰宅途中、レギュラーの◎から転送電話が入った。彼らは私の巡回を知っている、だから事情を話すと協力して相談を中止してくれる。しかし彼らも問題があるからかけてくるのであって、孤立に耐えられなくなるからかけてくるのであって、だから、あとのフォローはしなくてはならない。
*君の件は「ぽれぽれ」の中西さんにも協力願っている。親御さんと携帯電話で話した後、作戦を手伝ってもらうために電話をいれた。これで一段落。歩けば30~40分の距離だがタクシーで帰宅した。足を骨折してから原付・車をやめていた。しかし移動に自転車は必要だろう。即応できないからだ。
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朝日新聞夕刊に「オールニートニッポン」の記事がでていた。爺ぃが作る活動だから「いかん」のだなあと思いつつ、思いは裏方「実務者ネット」へと飛ぶ。潮の満ち干に晒されないアンカー、先々の相談窓口に併設される「就労しゃべり場」の価値を磨く裏方、そんなことばかり考えているから、構想が飛ばないんだろうなと思う。一方で私は会場の熱気を紙面に感じつつ、その写真に写らない、会場をのぞきながらも壁際で沈黙している子たちが語りだせるような、それぞれの関わりをもてるような仕掛け(システム)のある活動にしたいと思った。
考えてみれば70年反博のとき、吉川勇一さんに、この雰囲気は好きで嫌いだということを語っていた。40年弱同じようなことを言っている自分が可笑しかった。高校生の頃から爺ぃだったのだろうか。
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進まない「わーく」の概説書を再び書いている。小見出しを書いて京大カード式に枠に流し込んでいる。これと「わーく」冊子を持って巡回したいのだ。形式優先の行政とも説得する形で、行政が逃げ出すURL転載許可をとりたいのだ。前の書き込み時の切れた記憶をつないでは、チャートにしたがって描いていく。
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(予定)
3月の講師選定の件、今日・明日中にアポ取りをする。
げんき基金報告書の準備。
DAISY電子出版テスト開始。
巡回2件。
オールアライブしゃカンパ金1名分届け。(日曜休みだった、月曜日に変更)
33歳Wさんを元町の家&オールアライブしゃにつなぐこと。
夜間傾聴:2名(レギュラー◎・伊勢原退院@君母親)
電話:*君関連・生業関係巡回調整・某サポート校
頂き物:*君宅家庭菜園からお野菜(ありがとうございます)
以上
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(校正2回目済)