私の生活は完全に夜型。授業後帰宅してから通信塾(オンラインフレネ)や夜間傾聴をこなしながら、巡回する子のレポートや、教材・ネットサーチ・メール・ブログ書き込み等をやっている。申し訳ないが、先方当事者の命や人生の岐路選択ではない余裕がある対話のときは、話しながら別の作業をしていることが多い。生業ゆえお許しを。
私が話や作業をやめて床につくのが、午前7時か8時。だから11時台まで寝ている。午前中電話をする方がいらして、電話が鳴らないように睡眠モードにしている。ところが、宅配便や生協の配達・庭師のWさんなどは、この午前中にやってきて、門のブザーを鳴らさず、私の寝室横の縁側のサッシ戸を叩く。何回門のブザーをとお願いしても無駄。この普通感覚という無神経な行動にやられて、毎週木曜日朝は地獄となる。
父も朝が早い。3度の定時米飯食事を要求。自分で作れないし、よほどのことが無いとパンを食べないので、結局作ってやらなければならない。この前は袋入りのアンパンを電熱オーブンにそのまま入れて、袋に火がついた。父は電子レンジと区別が無いのだ。電子レンジ加熱の途中でふたを急に開けて、やかんをかけわすれてボヤになったりととにかく危ない。何十年もまったく変わらない。言えば怒る。結局握り飯などを私が寝るときに準備してから寝る。それでも冷蔵庫をかき回したり、部屋を不安定な足取りで歩き回る。午後は食事後眠ってしまう。夜も0時には高いびきをかいている。
だからバスや電車の中ではとにかく寝ている。
しかし今回の生協の配達には困った。縁側のサッシを叩く上、しばらくして父が応答したのだった。商品と交換に次回の注文表を渡す。ところが慣れていないものだから配達員の方に渡し忘れたのだった。母の指摘ですぐに気づいた父は、大声で販売員を呼び戻し、おかげで私は起こされてしまったのだった。結局2時間睡眠の状態で一日が始まった。
朝型人間は絶対に夜型に配慮しない。最悪の人種と思っている。
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両親に昼食を食べさせ、文教大湘南にでかけた。借りている書籍の返却と依頼論文が到着しているからだった。休みに入りがらんとした図書館で手続きを終え、学食脇の自販機のところで学生さんBさんと待ち合わせして、「わーく」の応援を依頼した。どうもすっきりした返事ではない。同席したCさんは、さかんに「がんばってください」を連発。こりゃ脈が無いと、粘るのをやめて、湘南台経由で相模大野にでた。
今日の巡回は順調。通学復帰で今回で私の担当がはずれる。時間がとれたので東芝林間病院で仮眠。藤沢に戻り市議会事務局と市保健所へ。その足で香川の下宿屋さんを訪ねた。
湘南福祉センター下宿屋の牧野さんにアポなしで飛び込んだ。いつもこの調子で申し訳ないのだが、どなたか職員の方がいらっしゃる安心感から、つい飛び込んでしまう。こんなときでも牧野さんは、歓待してくれる。感謝しています。
今回は「わーく」がとんでもない記事収集トラブルで遅れていること。「DAISY」の就労支援・生活支援のインクルージョン・ツールとしての可能性を語り、「わーく」「DAISY」への参加をお願いしていた。
牧野さんから、連続講演会講師にとコミュニティ・ビジネスを展開されている方を紹介してもらった。「DAISY」のデモ版をかけ、学習支援としてだけではなく、書籍選択の自由を獲得する大切さを説明した。PCの利用やインターネットというだけで、新しいもの好きとか、機械マニアというレッテルを貼って、自分を切り離してしまう。「DAISY」は標準フォーマットであり、新規なブラックボックスではない。古臭くも感じるが長期に渡って使用できるマルチメディア統合ソフトだからだ。話に区切りがついたので、次回のお知らせをして、引き上げた。
帰りに夕食の買い物。夜の巡回の予定変更連絡。帰宅すると「職業リハビリテーション学」(改訂第二版)が到着していた。なんとも教科書的である。夕食を作って、一息ついたところで電話が鳴った。夜間傾聴の始まりだった。
今回はパニック障碍が長い30代の青年。以前、短期間だが授業をしたことのある方だった。投薬相談がまじったので、それは医者にと断った。その医者が信用できないのだという。この言葉がとにかく皆さんから出る。私は仕事との付き合い方法の場面にしぼって語った。一時間。幸い、以降電話が無いので、メールとブログをかいて3時終了。*君から電話連絡。内容の煮詰まった文は、今はかけない。ただ、「いのちの電話」と違い私のしているのは、引きこもり青年の生活支援と就労支援。即、命の綱渡りの電話は連絡数が少ないので、なんとか始末がつくが、家庭内の大騒動のときは、親子が命を失う可能性があるときだけ介入する。
今日はこれで終わる。明日は情報収集。育成会資料届け。巡回2箇所。間に合えば県サポートプラザ。
以上
p.s.就職情報系某企業に助成金をもらえないか打診。急にブログのアクセス数が3倍になって、今日ぴたりともとにもどった。何かが起きていた。分析は今日の夜にまわし。
沈没。
私が話や作業をやめて床につくのが、午前7時か8時。だから11時台まで寝ている。午前中電話をする方がいらして、電話が鳴らないように睡眠モードにしている。ところが、宅配便や生協の配達・庭師のWさんなどは、この午前中にやってきて、門のブザーを鳴らさず、私の寝室横の縁側のサッシ戸を叩く。何回門のブザーをとお願いしても無駄。この普通感覚という無神経な行動にやられて、毎週木曜日朝は地獄となる。
父も朝が早い。3度の定時米飯食事を要求。自分で作れないし、よほどのことが無いとパンを食べないので、結局作ってやらなければならない。この前は袋入りのアンパンを電熱オーブンにそのまま入れて、袋に火がついた。父は電子レンジと区別が無いのだ。電子レンジ加熱の途中でふたを急に開けて、やかんをかけわすれてボヤになったりととにかく危ない。何十年もまったく変わらない。言えば怒る。結局握り飯などを私が寝るときに準備してから寝る。それでも冷蔵庫をかき回したり、部屋を不安定な足取りで歩き回る。午後は食事後眠ってしまう。夜も0時には高いびきをかいている。
だからバスや電車の中ではとにかく寝ている。
しかし今回の生協の配達には困った。縁側のサッシを叩く上、しばらくして父が応答したのだった。商品と交換に次回の注文表を渡す。ところが慣れていないものだから配達員の方に渡し忘れたのだった。母の指摘ですぐに気づいた父は、大声で販売員を呼び戻し、おかげで私は起こされてしまったのだった。結局2時間睡眠の状態で一日が始まった。
朝型人間は絶対に夜型に配慮しない。最悪の人種と思っている。
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両親に昼食を食べさせ、文教大湘南にでかけた。借りている書籍の返却と依頼論文が到着しているからだった。休みに入りがらんとした図書館で手続きを終え、学食脇の自販機のところで学生さんBさんと待ち合わせして、「わーく」の応援を依頼した。どうもすっきりした返事ではない。同席したCさんは、さかんに「がんばってください」を連発。こりゃ脈が無いと、粘るのをやめて、湘南台経由で相模大野にでた。
今日の巡回は順調。通学復帰で今回で私の担当がはずれる。時間がとれたので東芝林間病院で仮眠。藤沢に戻り市議会事務局と市保健所へ。その足で香川の下宿屋さんを訪ねた。
湘南福祉センター下宿屋の牧野さんにアポなしで飛び込んだ。いつもこの調子で申し訳ないのだが、どなたか職員の方がいらっしゃる安心感から、つい飛び込んでしまう。こんなときでも牧野さんは、歓待してくれる。感謝しています。
今回は「わーく」がとんでもない記事収集トラブルで遅れていること。「DAISY」の就労支援・生活支援のインクルージョン・ツールとしての可能性を語り、「わーく」「DAISY」への参加をお願いしていた。
牧野さんから、連続講演会講師にとコミュニティ・ビジネスを展開されている方を紹介してもらった。「DAISY」のデモ版をかけ、学習支援としてだけではなく、書籍選択の自由を獲得する大切さを説明した。PCの利用やインターネットというだけで、新しいもの好きとか、機械マニアというレッテルを貼って、自分を切り離してしまう。「DAISY」は標準フォーマットであり、新規なブラックボックスではない。古臭くも感じるが長期に渡って使用できるマルチメディア統合ソフトだからだ。話に区切りがついたので、次回のお知らせをして、引き上げた。
帰りに夕食の買い物。夜の巡回の予定変更連絡。帰宅すると「職業リハビリテーション学」(改訂第二版)が到着していた。なんとも教科書的である。夕食を作って、一息ついたところで電話が鳴った。夜間傾聴の始まりだった。
今回はパニック障碍が長い30代の青年。以前、短期間だが授業をしたことのある方だった。投薬相談がまじったので、それは医者にと断った。その医者が信用できないのだという。この言葉がとにかく皆さんから出る。私は仕事との付き合い方法の場面にしぼって語った。一時間。幸い、以降電話が無いので、メールとブログをかいて3時終了。*君から電話連絡。内容の煮詰まった文は、今はかけない。ただ、「いのちの電話」と違い私のしているのは、引きこもり青年の生活支援と就労支援。即、命の綱渡りの電話は連絡数が少ないので、なんとか始末がつくが、家庭内の大騒動のときは、親子が命を失う可能性があるときだけ介入する。
今日はこれで終わる。明日は情報収集。育成会資料届け。巡回2箇所。間に合えば県サポートプラザ。
以上
p.s.就職情報系某企業に助成金をもらえないか打診。急にブログのアクセス数が3倍になって、今日ぴたりともとにもどった。何かが起きていた。分析は今日の夜にまわし。
沈没。