湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

携帯電話が活躍した一日

2007-02-01 07:25:54 | 引きこもり
昨日は、日中、携帯電話が鳴りっぱなしでした。

Q子さんがいなくなったからでした。これはQ子さんの出身校の養護の先生にQ子さんが会いたくなって出かけたということで、無事解決しました。

一方、*君も困難な状況が生まれていました。当人と親御さんの双方からの電話でした。

昨日は「ヤングジョブスポットよこはま」の「2月のミニ講座案内」が届いたので、図書館に配りながら、必要な本を借りてきました。最後が要、文教大学図書館でした。ところがここで電話が鳴って、結局事前に調べておいた石川准さん関係の書籍を借りて、帰りました。取り寄せ依頼は時間切れ。

帰りに、しばし巡回していなかった++さん宅にお邪魔。鬱から回復状態にある++さんとお茶を飲んで帰ってきました。30歳になったとか。「わーく」をやらないかと薦めてあっさり断られました。

そこにまた、今度は塾生からの電話。私の同業者から相談依頼が入ってきました。今度は6歳と10歳なので、これは適役が東京田無にいるので、紹介するつもりです。

サポセンの原稿の件があったり、なにやら中途半端な一日でした。

==入手した本==

●「労働ダンピング」中野麻美・著/岩波新書


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

##さんのコメントの一部に答えます

2007-02-01 06:59:50 | 引きこもり
私たちの活動の場にいらしてくださっている##様から、手厳しいご批判をいただきました。日記がわかりにくいということです。特に前回のメールのふたつの箇所について、ご指摘がありましたので、説明を加えたいと思います。

「*君の孤独/1・27養護学校進路指導の立場からの就労支援レポート他」

これの中の部分です。

「その凝視が固着にすぎないことが多いのだ。だから他者の眼差しが固着を際だたせてくれる。」

たしかに不的確な表現でした。

社会から切り離された個人にとって、社会は自分とは異質のものに写ります。空気のようにありながら、意識しないときは見えてこない、いわく「当たり前」のものが見えてきます。これが重苦しくもありますが、貴重な体験であり大切な視座なのです。>(差異が新たな世界をうむ)

不合理が情熱を生む。>これはいいのでは?

次の「その生成に目をそらさずに見極めていく強靭さ」が「その凝視が固着にすぎないことが多い」とは、しっかり物事を見定めていく(凝視)が、ともするとレッテル貼り(固着)にすぎないこと、「決め付けは思考の停止」ということで「固着」という言葉を使いました。他者と交流することによって得る他者のものの見方は、自分の見方がレッテル貼りであることを教えてくれるものだ、とまあ、こういう意味です。

-------

「ここで語られている対話は、従来の障害者の福祉的就労からの脱出の線上の話だった。集まった方々は、従来の枠を使い切って一般就労へ流れを変える関心の話だった。しかし、障害者の働く意欲は地域の新たな就労の場が出来れば、最賃以上の収入を生む場を描ければ、流れ込んでくるだろう。」

ここは不適切です。訂正します。「意欲」はあふれているのですからね。以下の意味で書きたかったのです。

「自立支援法施行以降、障害者関連団体の就労支援の関心は、従来の障害者の福祉的就労からの脱出の線上の話にあった。集まった方々は、従来の枠を使い切って一般就労へ流れを変えることへの関心だった。ところがこの発想には、企業就労という企業の枠の中に流れ込むことであって、起業のような方向には向いていなかった。障害者の働く意欲は地域の新たな起業就労の場が出来、それが最賃以上の収入を生む場を描ければ、選択肢を増して関心を示してくれるだろう。」

引きこもり青年と軽度障害者との協力が、社会参加的な要素の強い「起業を通した企業活動」を誕生させることが出てくるだろう。地域の有力な若い力に成長して行く可能性がある。

こういうことで説明になったでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする