言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ワクチン接種3回目

2022年04月11日 11時47分06秒 | 日記

 モデルナ、モデルナと打つて来て、3回目はファイザー。もはや打つ必要もあるまいと思ふが、長い物には巻かれて打つことを決めた。

 インフルエンザの予防接種も打つたし、ワクチン接種自体に特別抵抗感がある訳ではない。が、ウクライナやフランスの大統領選挙のヨーロッパの様子をテレビで見てゐると、誰一人マスクをしてゐない。それに引き換へ日本のこの熱狂。あまりに異様に思へて、ワクチン接種にも抵抗感が生まれてしまつたのである。

 それでも打つてしまふのだから、頽落した世人(ダス・マン)なのである。

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理想に逃げずに現実に流されずに

2022年04月10日 20時10分00秒 | 評論・評伝

 どう生きてゐるか。

 どう生きて行きたいか。

 どう生きて来たか。

 私といふ存在は、さういふ時間のなかで、他者によつて、評価され、批判され、承認されてゐる。

 理想を抱きつつ、現実を諦めない。その時間はジリジリすることの連続だ。いつまで待ち続けられるか不安だ。いや恐怖である。

 桜の散る景色に酸つぱいものが込み上げて来る。

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追悼 谷田貝常夫先生

2022年04月05日 22時38分26秒 | 評論・評伝

 

 

 國語問題協議會の谷田貝常夫先生が2月21日に享年90で亡くなられた。春の講演会の案内に同封されてゐた紙に、さりげなく書かれてゐた。厳しいところもあつて、私が関西事務局長を拝命してゐる折に開催した関西講演会ではピシャリと叱られる場面もあつた。

 最後にお会ひしたのは、昨年だつたか、一昨年だつたか、やはり協議會の講演会でのことだつた。お元気さうだつたが、久しぶりの再会に年月の流れを感じた。

 福田恆存先生の直弟子である谷田貝先生とは、福田恆存について語ることが多かつた。その中で今思ひ出すのは、「福田さんは、いい文章とは泣いてゐる文章だと言つてゐた」といふ言葉である。泣いてゐるとはどういふ意味かと尋ねたが、さう福田さんは言つてゐたといふことだよ、と仰るだけだつた。

 福田恆存と谷田貝先生との間にはその言葉を巡つて、それがどういふ意味かといふ疑問が生じる隙はなかつたといふことなのだらう。尋ねるなどといふことは必要なかつたといふことである。それに引き換へ、私と谷田貝先生との間には十分な懸隔があるといふことを知らされた瞬間であつた。

 言葉はやはり関係の中で意味付けられてゐるといふことである。

 羨ましい出会ひである。

 

 ご冥福をお祈りいたします。

 

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