言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 2022年4月号(第816号)

2022年04月25日 08時45分43秒 | 告知

今号の紹介です。

 1面の「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)批判」には、驚いた。もう20年近く前に筆者の吉田好克氏が聞いた講演会での話。当時のアメリカでは肥満体型を「fat」と言つてはならず、「horizontally handicappd」つまり「水平方向に難あり」と言はなければならなかつたといふのだ。看護婦を看護師に言ふやうになつたし、ビジネスマンをビジネスパースンに、メリークリスマスはキリスト教に限るから一般にはハッピーホリデイと言へ、といふのは聞いたことはあるが、デブと言つてはいけないといふのには驚いた。政治的な正しさとは、つまりはハラスメント感情を抱く人からの攻撃への対処法として正しいのは何か、といふことであつて、その場合の「政治的」とは、「誰にも批判されない」といふことである。聖書が語る「神のものは神に、シーザーのものはシーザーに」といふ時の「シーザーのもの」でさへない。神にしかできない救ひをシーザーは諦めたから二者を区別したが、ポリティカル・コレクトネスの立場では誰も救ふことはしないといふことである。誰も救はない代はりに、誰も救はれてゐないのだから「不公平はないですよね」といふことである。「皆で死んで行きませう」といふことなのである。

 ポストモダンの時代の生き方としては当然である。多様性の果ての無、持続可能性の果ての停止。排気ガスを吐くけれども自動車は進む。糞はするけど生きていく。さういふ当たり前のことを拒否するのが「政治的正しさ」といふことである。

  どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
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際限なき自由の追求 「ポリコレ」の背後にあるもの

  コラムニスト・元宮崎大学准教授 吉田好克

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コラム 北潮(三木清『戦間期時事論集』発刊 全体主義者の影)

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聖戦としてのウクライナ侵攻

  駒沢大学教授 村山元理

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教育隨想  「生命尊重」か、「生命尊重」以上の価値か?(勝)

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脆弱な岸田政権を脅かす野党無し

  ジャーナリスト 伊藤達美

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コラム 眼光
   性別は人為的に変えられない(慶)
        
 
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コラム
  人の心が決める(紫)

  ポーランドかと思いきやフィンランド(石壁)

  病の「自己肯定感」(星)

  平和主義といふ病(梓弓)
           

  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119    ファックス   076-231-7009

   北国銀行金沢市役所普235247

   発行所 北潮社

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