言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

山崎正和氏は、そろそろ文化勲章か。

2016年09月18日 13時18分44秒 | 日記

 アマゾンで山崎正和の新著を探ると、

『舞台をまわす、舞台がまわる-山崎正和オーラルヒストリー』

『山崎正和全戯曲』

といふ二冊が検索される。前著が3240円、後著が16200円といふ価格である。驚くほど高額であるが、一般で売らうといふより、図書館や研究者や一部の愛読家が蔵書の一冊として購入してくれることを期待してゐるのだらう。

 それにしても、これまでの文業の集大成と人生の振り返りとを二冊同時に出すといふことの意味はなんだらうかと考へてしまふ。健康を害されてゐるといふこともあるのかもしれないし、文化勲章をもらふといふタイミングでの出版なのかもしれない。

 独自の文明論は面白いし、「神」抜きで文明を現象学的にのみ考察していくといふことは、極めて近代的な論考である。今ではほとんど読まれなくなつたトインビーの『歴史の研究』は1960年から1980年にかけて読まれ続けてゐた。その文明論は、文明は誕生・成長・衰退・消滅

を繰り返すといふものであつた。しかし、その文明の衰退に関はらず残つてきたものは宗教であるといふ卓見を示してゐた。まさに「神」有りの文明史である。私は、山崎文明論と大学時代に読んだトインビー文明論は、好一対だと思つてゐる。いづれも大著であるから気軽に読めるものではないが、一万人にひとりぐらゐは読んでおいていい本だと思ふ。

 そして、文明の成長を長引かせ衰退を遠ざけるためには、さういふ人物ができるだけ多くゐてほしいと思ふ。


   2018年11月3日、山崎氏が文化勲章を受章することになつた。記者会見で「四足のわらじを履いて来た」と語つてゐた。冴えた人には色々なものが見え、それゆゑに発言もしたくなるのだらう。とげとげしさもない、人格の賜物でもあらう。

  おめでたうございます。

 

 

コメント (2)
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