言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

藤井聡『プラグマティズムの作法』を読んで

2016年09月28日 08時52分26秒 | 日記

 藤井聡氏と「プラグマティズム」といふのはつながらないなと思つて手にしたが、なるほど氏はプラグマティズムの体現者(少なくともそれを目指さうとしてゐる人)であつた。

  藤井氏が一躍有名になつたのは、3.11直後に「列島強靭化」を標榜し参議院予算委員会で3月23日に公表して、それをネットで全国に配信したことによる。

 京都大学土木工学科を卒業し、都市工学、経済学、心理学を研究し続けてゐる。イラチな感じはするものの、じつに誠実で真剣で真理だと思ふものには謙虚に振舞ふ姿勢は見てゐて気持ちよい。信頼できる文筆家=行動家である。

 さて、その方のこの本は新著ではない。2012年に出版されたものである。たまたま見た動画でこの本の出版記念イベントを見て、そこでの話が面白かつたからである。

 第一章から第四章までが特に面白い。閉塞感漂ふ組織や国家において、どこからどういふ手順で手直しをしていけばいいのかを考へるには最高の書である。知的にも、行動的にも刺戟的である。プラグマティズムといふと、その「道具主義」といふ翻訳によつて、いかにも二流の哲学であると思ひ込んでしまつてゐたが、それは誤解であることが十二分に知らされた。「道具」ならちゃんと手入れして整備しておくのが職人の作法である。道具としての正しい使ひ方を知らずに、道具なんて単なる手段にすぎないと言つては道具も生きてこない。

 プラグマティズムの作法とは、

「一つに、何事に取り組むにしても、その取り組みには一体どういう目的があるのかをいつも見失わないようにする。

 二つに、その目的が、お天道様に対して恥ずかしくないものなのかどうかを、常に問い続けるようにする。」

だと言ふ。この二つの作法に基づいて、さまざまな問題に処方箋を示していく。それが痛快であり、心が躍動してくる。とても力のある言説である。第四章の例話はとても説得的である。読んでみてほしい。

 社会学者マートンの「目的の転移」、ヴィトゲンシュタインの「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」といふ言葉に出会はせてくれただけで、私には十分によい本である。

 

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