ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(52) 古墳時代(19) 人塚被葬者は、西条廃寺の建造者か?

2019-09-22 11:19:21 | 大河・かこがわ

           西条廃寺と人塚

 神野町西条の城山(じょやま)から南に伸びる標高30メートルばかりの台地に西条廃寺があります。

 西条廃寺(白鳳時代)については、後に調べることにしましょう。

 写真は、西条廃寺の塔跡の一部から正面の森を撮っています。

 その森は、5世紀古墳の人塚古墳です。

 西条廃寺は7世紀に、人塚古墳に接して建設されました。

 古代寺院の側に古墳がしばしば見られる場合があります。

    人塚被葬者は、西条廃寺の建造者か?

 歴史学者は、「古墳の有力な被葬者が、この頃仏教文化を取り入れ寺院をつくった」と考えています。

 古代人は、基本的には、素朴な森や大きな岩(磐座)など自然物を神として崇拝していました。

 やがて、日本へ仏教が伝えられました。

 それとともに寺院や仏像が伝わりました。

 その煌びやかさに、驚きと、崇拝の気持ちを、仏教に衣替えした豪族も多かったようです。

 彼らは、古墳の近くに寺院を築造しました。

 人塚の場合もその代表的な例といえそうです。

 西条廃寺を建設した人塚の被葬者ではないかと考えられるのです。(no4751)

 *写真:西条廃寺の塔跡の一部から正面の森(人塚古墳)を撮影

 

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