ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(51) 古墳時代(18) 西条古墳(群集墳)と西条52号古墳

2019-09-21 08:32:46 | 大河・かこがわ

     西条古墳(群集墳)と西条52号古墳

    西条群集墳 

 山手中学校の北方、西条の丘陵地帯に、かつて約30基ばかりの古墳がありました。

 これらの古墳は、1963年(昭和38)にはじまった住宅造成工事により全て破壊されてしまいました。

 現在は、規模の大きな行者塚(ぎょうじゃづか)・尼塚(あまづか)・人塚(ひとづか)を残すのみです。

 現存する3基の古墳などから判断して、これらの群集墳の多くも5世紀古墳で、4世紀古墳の多い日岡古墳群より新しい古墳です。

 これらの古墳は、日岡古墳からの墓所の移転ではなく、異なる豪族墓所であったのだろうと考えられています。

 西条の群集墳の破壊は、宅地造成とはいえ残念なことです。

一度破壊された遺跡は復元することができません。

    西条52号古墳

 古墳の調査中、城山(じょやま)の西隅にある古墳は、他の古墳よりはるかに時代をさかのぼる、およそ3世紀の前半の古墳であることが分かりました。

「西条52号古墳」(図中の赤印)と命名されました。

 西条52号墳は径約15mの円墳で、わずかに盛り土があり、播磨地方でも発見例の少ない弥生時代の墳丘墓でした。

 鏡(内行花文鏡)・鉄・高杯・壷等が出土しています。(no4750)

 *『加古川市史(第四巻)』(加古川市史編さん委員会)参照

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大河・かこがわ(50) 古... | トップ | 大河・かこがわ(52) 古... »

コメントを投稿