ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

これから活躍!…栗柄ダム

2022-09-15 18:12:16 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県丹波篠山市栗柄(たんばささやまし くりから)にある由良川水系の栗柄ダムを訪れます。アクセスは県道97号沿いの「栗柄ダム」の看板のあるT字路を入って行くと到着します。

ところでダム名ですが、もちろんそこの地名に由来するのですが、さらに栗柄の起源を調べてみるとこの地名は同地にある不動の滝に祀られている「倶利伽羅不動明王」に由来するものなのだそうです(参考)。

じゃあ「倶利伽羅」ってなに?ってなるわけですが、これは古代インド語であるサンスクリットの「クリカ kulika」を音訳したもの。クリカはインドの八大龍王のうちのひとりの名で、『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』では鳩利龍王とも訳されています。倶利伽羅龍王は岩上に直立した剣に炎に包まれた黒龍が巻きついている形で表現され、その剣と炎で全ての邪悪や罪障を滅ぼすと言われます。倶利伽羅龍王が不動明王の化身として崇められるのはそういうわけなんですね(参考)。

…というわけで、栗柄ダムが見えてきました。あれですね。



左岸のダム横に到着です。そこで目にするのが「栗柄ダム管理所」の建物。





ダム横には栗柄ダムの案内板があります。これによれば、当該ダムは洪水調節、水道用水、流水の正常な機能維持を目的とした重力式コンクリートダムだそうです。







その案内板付近からダムを見ると、こんな感じ。



これが左岸から見たダム上。行ってみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな景色。



右岸、下流側から見たダムの様子。



同、貯水側からダムを見ると、こんな感じ。



ダム本体に貼られているプレート。ここには2014年3月と記されていますが、完成式は2015年5月24日のようです(参考)。ということはプレートの年月はダム本体が完成した時なのかな。



完成してまだ7年ほどのダムですが、今後地域のために活躍してくれることでしょう。
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データはバッチリ!…藤岡ダム

2022-09-14 17:08:24 | 兵庫(ダム/堰堤)
いや、どーも、ワシです。ちょいとサボってしまいました。すみません。で、今回は兵庫県丹波篠山市藤岡奥(たんばささやまし ふじおかおく)にある加古川水系の藤岡ダムを訪れます。アクセスは県道301号「熊谷(くまだに)」交差点を北へ進み、そのまま行くと到着です。

到着しました。これですね。



ダム横近くには案内板があります。篠山川の沿岸流域は古来より水に乏しく、そのため旱魃に備えて大小80余りのため池を作っていたそうな。でもそれだけでは足りず、人為的な湿田も用意して旱魃対策を行なっていたようです。ところが湿田を作ったことによりその地区全体の50パーセントが湿田になってしまい、農業生産は上がらずじまい。そこで総合的な農業基盤の整備を目的とした篠山川沿岸土地改良事業計画が立案され、写真にあるような4つのダム(佐仲、藤岡、鍔市、八幡谷)と2つの頭首工、そして約26kmにわたる幹線水路を新設したとのこと。



右岸の貯水側には取水設備の建物があり、その壁には水利使用標識が貼られています。





取水設備の建物の奥には「藤岡雨量観測所」がありますが、その上に「川代ダム」とも表記されています。ということはここと川代ダム(未見)は何らかの関係があるということなんですね。



その付近から見たダムの様子。



で、これがダム上。行ってみましょう。



右岸側には洪水吐があります。堅牢に作られた越流式ですね。増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



洪水吐の水路に架かる橋を渡るとすぐ先ほど案内板にあった排水事業が竣功したことを示す記念碑があります。



その裏には建設趣意書が記されています。これによると藤岡ダムは昭和54年12月に着工され、昭和58年(1983年)9月に完成したとあります。


ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸から下流側を見るとこんな感じ。



左岸から見た貯水側の景色です。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



県営事業により築造されたダムなので築造の経緯や完成年などがちゃんと記されていて見学者には嬉しい限りです。
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名称の由来は何かな…鍔市ダム

2022-09-11 07:04:12 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県丹波篠山市火打岩(たんばささやまし ひうちわん)にある加古川水系の鍔市(つばいち)ダムを訪れます。アクセスは県道301号沿いの「鍔市ダム→」の看板のあるところを入って行くと到着します。

さて、鍔市ダムの名称の由来はわからないんですが、地名の「火打岩」の由来については興味深い情報を見つけました。どうやら昔、この辺りでは珪石(けいせき)を採掘していたそうな。珪石はガラスや半導体の原料になるばかりでなく、その主体は火打ち石としても利用された石英なので、火打ち石になる岩が採掘できる場所というところから火打岩と呼ばれるようになったようです(参考)。

でも「火打岩」の読み方はなぜ「ひうちわん 」なんでしょうか。おそらくこれは古語の表記に関係があると思われます。つまり「岩」は現代の音読みだと「がん」ですが古語表記では「ぐわん」となります。それを踏まえて「火打岩」を古語表記すると「ひうちぐわん」となるわけですが、実際に声に出してみるとわかりますが、「ぐ」が「わ」に吸収される感じになって「ひうちわん」に聞こえます。その聞こえ方が今日定着したためそう読むようになったのではないと推測されます。もっとも、「ひうちわん」とタイプすると「火打岩」と一発で変換されたりするんですけどね。

まあ、そんなこんなで鍔市ダムが見えてきました。あれですね。



右岸に到着です。その奥には取水設備の小屋。



小屋の壁には水利使用標識が貼られています。



鍔市ダムの概要が書かれた案内板。昭和46年(1971年)11月に完成した農業用ダムだそうです。



そこからダムを見ると、こんな感じ。



右岸から見たダム上。車両通行可。



注意を促す看板。一番上の文字に注目。「鍔市太郎漁業組合」と書かれています。ん?もしかして鍔市というのは鍔市太郎さんという人がいて、その人の功績を称えて鍔市ダムと命名されたのかな?どうなんでしょうね。



洪水吐は右岸側にあります。増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



洪水吐の水路に架かる橋を渡ったすぐそこには小さな石碑が。「浮寝鳥 ツバ市ダムの 今朝の春」と刻まれています。昭和51年(1976年)元旦とも記されていますが、これは何を意味するものなんでしょうか。



その裏側には「昭和60年5月 火打岩建之」。もちろん火打岩の人たちがこの石碑を建てたのでしょうが、建立者が地名で示されるのは珍しいように思います。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな景色。



左岸から見た貯水湖の様子。



左岸、貯水側から見たダム上。



左岸から下流側を見ると、こんな感じ。



右岸へ戻り、その奥の「鍔市自然公園」へ続く道を少し進むと「岳水潤美田」と刻まれた石碑があります。文字通り訳せば「山岳から流れて来た水は肥沃な田地を潤す」となります。



その下部には鍔市ダムと、県営鍔市地区圃(ほ)場整備事業に関する説明が書かれています。


どうやらこの石碑は県営鍔市土地改良事業が竣工した記念に建立されたもののようですね。昭和57年6月建立。


それにしても「鍔市」の由来が気になります。
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みくまりダムを見まくり!

2022-09-10 06:59:12 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県丹波篠山市三熊(たんばささやまし みくま)にある加古川水系のみくまりダムを訪れます。アクセスは国道173号から県道702号(篠山京丹波線)へ入り、「みくまりダム」の看板のあるT字路を入って行くと到着します。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。



順に見ていきます。最初はダム下に行ってみました。これが正面から見た「ご尊顔」。



ダム下にある案内板。ダム名の「みくまり」とは篠山川の上流に住んでいたと伝えられる「水分(みくまり)の神」に由来するそうな。この神様は清らかで美味しい水をこの地に住む人々に分け与えていたと言われています。そこからここの地名が「みくまり(水分)」と呼ばれるようになり、その後「三熊」の字が当てられるようになったとか。



では、左岸のダム横に行ってみます。すぐに目に飛び込んでくるのが「みくまりダム管理所」の建物。





そして、「みくまりダム」と記された石碑。



さらに、ダム下の案内板よりも詳しい案内板。諸元のデータも記されています。これによると、ダム築造に着手したのは1993年4月で、2009年5月に完成したとあります。洪水調節、水道用水の確保、農業用水の安定化と河川流量の確保を目的とした多目的ダムなんですね。諸元表の位置の項目には「兵庫県篠山市三熊地先」とありますが、2019年5月1日に元号が令和になったのと同じ日から丹波篠山市に変わっています。





案内板にも書かれていますが、ダム湖名は「大芋湖(おくもっこ)」。これは公募で決定したもので、丹波篠山市の東端にある大芋(おくも)小学校の元気な子供達のことを「大芋っ子」と呼んだことにかけているようです。残念ながら大芋小学校は2016年3月に閉校となり、現在は宿泊施設になっています。(参考



管理所付近からダムを見ると、こんな感じ。



これがダム上です。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た「大芋湖」の様子。



このダムの高さは26mなので真下を見てもさほど恐怖は感じません。



下流側の遠景。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



「大芋湖」側から見たダムの様子。



右岸から見た「ご尊顔」もなかなか絵になります。



治水ダムということで派手なデコレーションはありませんが、必要十分な情報がちゃんと示されていて、さすが県営のダムという感じがします。
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県営事業による八幡谷ダム

2022-09-09 07:00:53 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は兵庫県丹波篠山市川原(たんばささやまし かわら)にある加古川水系の八幡谷(はちまんだに)ダムを訪れます。アクセスは国道372号(別名デカンショ街道)沿いの「←兵庫県立ささやまの森公園」表示のある交差点を左折し、突き当たりを右折。そしてすぐ左折してしばらく行くと到着します。

その道を来ると八幡谷ダムの右岸側に到着。そこから見たダムの様子。



ダム横にある表示。当該ダムは農業用に築造されたダムのようですね。禁止事項の「5.その他、危険な行為をすること」とありますが、危険な行為とは何ぞや?



右岸から見たダム上。このガードレールの下は洪水吐からの水路。



ガードレールから洪水吐を見ると、こんな感じ。越流式ですね。増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



「八幡谷ダムの概要」が記された案内板。それによるとこれは兵庫県による県営かんがい排水事業として昭和46年7月に着工され、昭和49年(1974年)2月に完成した中心コア型アースダムだそうです。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



左岸側には取水設備がありますね。あとで行ってみます。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。そこから見た下流側の様子。



左岸の貯水側の道を行くと取水設備の建物があり、その壁には水利使用標識が貼られています。





そこから見たダムの様子。写真中央に見えるのが洪水吐。



ダム名はおそらくここの谷の名称が「八幡谷」で、それに由来するものと思われます。農業用ダムではありますが、県営事業のせいか概要や諸元がしっかり表示されていて、見学者からすると「有益な情報をありがとう!」という感じです。
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たぶん…西ヶ谷ダム

2022-09-08 06:53:47 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府京都市右京区嵯峨越畑筋違(さがこしはたすじちがい)にある淀川水系の西ヶ谷ダムを訪れます。アクセスは国道477号から「花の里 越畑」という手書きの看板のあるT字路を入って行くと到着します。ダム名はグーグル先生の地図に載っているもので、国土地理院の地図には記載されていません。ダムのある場所が西ヶ谷というのかもしれませんが、詳細は不明。

右岸に到着しました。そこから見た貯水側の景色です。向こう側(左岸側)に洪水吐のようなものが見えますね。



下流側は、こんな感じ。



そして、これがダム上。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



ああ、やはり越流式の洪水吐のようです。



一方、下流側の景色。森、森、森…。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸から見た下流側の様子。



左岸側にある白いガードレールの付いた橋の下は洪水吐から流れ出た水路です。ただ、ご覧の通り木が水路に覆い被さるように生えていて、そこから洪水吐も下流側の水路も見ることはできません。



西ヶ谷ダムについては築造の経緯や諸元を示す案内板はありません。ましてやここが西ヶ谷ダムだという表示もありません。たぶん間違いないと思いますが…、うん、きっとそうなのでしょう。
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これが正式名称?…鴨川柊野砂防堰堤

2022-09-07 06:56:21 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府京都市北区西賀茂中島町(にしがも なかじまちょう)に淀川水系の柊野(ひいらぎの)堰堤というのがあるので行ってみました。アクセスは国道367号の「北大路橋西詰」交差点から賀茂川沿いに北上し、上賀茂神社(正式名:賀茂別雷神社[かもわけいかづちじんじゃ])を横目に見ながらさらに進んで行くと到着します。

賀茂川の左岸から見た「ご尊顔」。存在感が半端ないです。



左岸の堰堤横から見た様子。ん?「鴨川柊野砂防堰堤」と書かれていますね。名称が違うのか?



ちょい上流側から見ると、こんな感じ。



もうちょい上流から撮ってみます。



次に右岸へ移動し、パチリ。



右岸の堰堤横には案内板があります。ここの表記は「柊野堰堤(砂防ダム)」。左岸の表示板と違いますね。どちらが正式名称なんでしょうねえ。考えちゃうなあ。いや、それより堰堤なのにダムと併記するのはどうなんだろうか。ダムの定義からすると明らかにこれは堰堤なのですから、あえて表示するなら「柊野砂防堰堤」とすべきでしょう。あ、左岸の表示に近いじゃん。





昔から「かもがわ」は増水による氾濫を繰り返してきたそうで、特に1935年の豪雨では市街地が水浸しになり多大な被害があったという。これをきっかけとして「かもがわ」は改修工事が進められ、1941年にこの柊野堰堤が完成したとあります。


右岸、上流側から見た堰堤の様子。



【「かもがわ」の漢字表記について】
ところで、「かもがわ」の漢字表記ですが、賀茂川もあれば、鴨川もあります。これ、どちらが正解なんでしょうか。調べてみると1964年に公布された河川法によると、この川の起点から終点まで表記は「鴨川」で統一されているようです。国土地理院の地図もそうなっていますね。じゃあ「賀茂川」は間違いなのかというとそうでもないようです。つまり慣例として起点から京都御所近くで高野川(たかのがわ)と合流するまでを「賀茂川」、合流してからは「鴨川」と呼ぶのが認められているようなんです。グーグル先生の地図でもそのように表記しているのですが、おそらくその慣例に準じているのでしょう。だからどちらも間違いではないようですね。

こうして見てくると、この築造物の正式名称は右岸の案内板の表記でなく、左岸の看板にある通り「鴨川柊野砂防堰堤」ではないかと思われます。

ふふふ、なんだか発見した気分。
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山科音羽川の砂防堰堤たち

2022-09-06 06:56:13 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府京都市山科区大塚葭ケ谷(やましなく おおつかよしがたに)を流れる山科音羽川に砂防堰堤がありそうなので行ってみます。グーグル先生の地図を見ると「音羽川砂防堰堤」というのがあるらしいんですが…。アクセスは国道1号からフランス家庭料理bistrot Si・ba・kiを目指してください。その前を通り過ぎ道なりに進み山科音羽川沿いに登って行くと到着します。

さて、すれ違いができないほど細い道を進み、山科音羽川に架かる鎌研ぎ橋を渡ってしばらく登って行くと左側にこんな砂防堰堤が見えてきます。



堰堤の横には看板があります。でもロープが張られていて堰堤に近づくことはできません。



堰堤には「山科川砂防堰堤」と書かれています。1956年に京都府土木建築部が築造したとあります。



グーグル先生の地図に書かれている「音羽川砂防堰堤」はまだ上流のようなので、さらに登っていきます。

地図に示されたあたりの場所に来ました。確かに砂防堰堤があります。これかな?



その付近から山科音羽川の下流方向を眺めると、こんな感じ。



左岸、堰堤の横から見た様子。ここもフェンスがあって堰堤の上に行くことはできません。



少し上流側から堰堤を撮ってみます。



その付近から見た上流側の景色。



堰堤の少し上流側のところに看板があります。あれっ、この堰堤の名称も「山科川砂防堰堤」。「音羽川砂防堰堤」じゃないやん!先ほど下流で見た堰堤と比べると高さは2.5m高く、長さは14.5m長いことがわかります。そして完成は1970年3月とあるのでこちらのほうが後に築造されたようです。



これら2つの砂防堰堤から推測されるのは、最初に下流に砂防堰堤を築造したものの、その後この堰堤の規模では災害防止には不十分という判断がなされ(もしくは堰堤の能力以上の災害が発生した)、上流に少し規模の大きいもうひとつの砂防堰堤が築造されたのではないかということ。

本当のところはどうなのかはわかりません。でも確実に言えるのはこの砂防堰堤が「音羽川砂防堰堤」でなく、「山科川砂防堰堤」だということ! グーグル先生、ちゃんと確認せんかい!

ただねえ、確かにその表記は間違ってるんですが、上にも書いたようにこの川の名称は山科音羽川なんですよね。となると現場の看板の表記も厳密にいえば「山科音羽川砂防堰堤」じゃないといけないんじゃないかなぁ…ぬぁんて思ったり。

へへへ。
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川べりからドーンと見える!…天神川堰堤

2022-09-05 07:00:19 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は滋賀県大津市枝(えだ)にある淀川水系の天神川(てんじんがわ)堰堤を訪れます。アクセスは大戸川(だいどがわ)沿いに走る県道108号を草津方面へ行き、「里五丁目」交差点を田上小学校に沿う形で直進し県道109号に入ります。しばらく進み、株式会社アクスを過ぎたら左側に目的地が見えてきます。

ど〜ん。



でも、実は県道109号を走っていてもこんな風には見えません。上の景色を見るには県道から天神川へ向かって草むらを下りて行きます。なので、天神川堰堤の目印となるのは県道沿いにあるこの案内板。



説明によれば、天神川堰堤は二度にわたって築造されたもので、最初は1943年6月に着手し、1946年5月に完成。次は1958年5月に着工し、1959年3月に完成したとあります。でも、なぜ堰堤を築造しなければならなかったのか。かつてこの上流はスギ、ヒノキ、カシなどが豊かに茂る森でしたが、奈良・平安時代、各地で寺院や仏閣が建立された際その建築用材として乱伐が行なわれました。さらに戦による焼き打ちや山火事により、遂には山全体が「禿山」状態に。こうなると大雨が降ればたちまち洪水が起きます。

そこで滋賀県は明治5年(1872年)から数年間かけて山の荒廃を防ぐべく山腹工事を実施。続いて1878年からは国による山腹工事が行なわれ徐々に昔の緑豊かな山に戻りつつあるそうな。天神山堰堤はそうした山の復興工事の一環として防災的な意味で築造されたのでしょうね。

上にも書いたように天神川へ行くには県道から草むらを進んで行くと川べりにたどり着くことができます。左岸から堰堤の右岸側を撮ったのが、こちら。



そして、堰堤の左岸側は、こんな感じ。



実際、水遊びできるほど近くまで寄ることができます。少し上流ではファミリーが川べりにテントを張って遊んでいました。地元もしくは近県の人たちからすると、このあたりは夏の憩いの場なのかもしれませんね。
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かつて土砂災害が?…梨ノ木川砂防堰堤

2022-09-04 06:56:26 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県大津市上田上芝原町(かみたなかみ しばはらちょう)にある淀川水系の梨ノ木川(なしのきがわ)砂防堰堤に行ってみます。目的地の場所は龍谷大学 瀬田キャンパスの東側にあり、アクセスは県道108号の「中野町」交差点から入り、そのまま梨ノ木川に沿って進んでいくと到着します。

これですね。なんだかゴツいなぁ。



本体に嵌め込まれたプレート。「梨ノ木川砂防ダム」と記されていますが、高さが6.5mしかありません。砂防ダムとは高さが15m以上の築造物を言うので定義としては砂防堰堤になります。2012年12月完成。



左岸から見た、いわゆるダム上。中央まで行ってみます。



中央から落水部を見下ろすとこんな感じ。真ん中に溝がありますが、これは低い水位の時にその溝から排水されるようにしたもの。



そこから見た上流側の様子。水はありませんし、もはやグラウンド化しています。



一方、下流側はこんな感じ。一応、水が流れるようになっているんですね。



上の写真で向こうに見える橋から見た堰堤の様子。堰堤の両端は木に隠れていますが、落水部のみが見えています。



周辺の様子を見ると、とても土砂災害が起きるような場所でないことがわかります。でも2012年以前にはここに砂防堰堤を築造しなければならないような災害が起こったんでしょうね。
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1号はあるの?…桐生辻2号堰堤

2022-09-03 06:53:18 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日記事にした桐生取水堰から大戸川(だいどがわ)沿いに県道16号を少し下ってくると今回訪れる淀川水系の桐生辻2号堰堤に到着します。目安としては直線距離にして1.2kmほど下流です。住所は滋賀県大津市上田上桐生町(かみたなかみ きりゅうちょう)。

ただ、まあ、漫然と走っていると見落とすかもしれません。なので、県道沿いにあるこの看板を目印にすると良いでしょう。堰堤の完成は1956年3月。



看板には立入禁止と書かれていますが、遊ぶわけじゃないので堰堤に行ってみます。これが看板の向こうの「世界」。手前に見えるのは「大鳥居雨量観測所」。住所の欄に「上田上大鳥居」とありますが、地図で確認すると大鳥居はもっと上流なんですよね。まあ、いいか…。





堰堤中央の落水部の様子。訪れた前日は雨が降っていたので水の色はあまり美しくありません。



その場所から大戸川上流方向を見ると、こんな感じ。



そこから見た県道側は、こんな感じです。



ちなみに右岸の下流側から堰堤を見ても木が生い茂っていて全く見えず。



さて、桐生辻2号堰堤があるなら「1号」もあるはずですよね。グーグル先生の地図にそれは載っていませんが、調べてみると「1号」はどうやら「2号」の下流500mほどのところにあるようです(参考)。ところが、県道から見る限り「1号」の存在は確認できませんでした。県道と大戸川の間にはメチャクチャ木が生えていて川の存在すらわからないほどなんです。でも「1号」は確かに存在するんだなとわかってホッとしました。だけど、じゃあ「辻」ってなんだろう。このあたりの地名かなぁ…。
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大戸川発電所のための…桐生取水堰

2022-09-02 06:55:28 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県大津市上田上牧町(かみたなかみ まきちょう)にある淀川水系の桐生取水堰を訪れます。「桐生」とあるのはここの右岸下流側の地名が上田上桐生町(きりゅうちょう)なので、それに由来するものと思われます。アクセスは県道16号(大津信楽線)沿いにあるので迷うことはないと思います。ただ、道が狭いので目的地の横に駐車することはできません(実際には空きスペースはありますが、そこは駐車禁止)。停める場所はちょっと上流側が良いと思います。

これが桐生取水堰の全体像。



右岸の県道沿いには「監視室」の建物があります。取水堰は県道よりも下にあるので目的地に辿り着くにはこの監視室を目印にすると良いかもしれません。





取水堰の横から見ると、こんな感じ。左岸側に見える口のような形をしたところが取水口でしょうか。



左岸の下流側には水利使用標識が見えますが、距離があってズームしても読み取れず。なぜ対岸にあるんでしょうね。右岸側の監視室のところに設置すれば良いのに。



調べてみると、この取水堰で取水した水は直線距離にして3km下流のところにある関西電力 大戸川(だいどがわ)発電所へ送水されるようです。発電所の諸元を見ると運用開始は明治44年(1911年)1月なので桐生取水堰もその頃に築造されたものと思われます。ただし、その形状からするとそこまで古い感じではないので現在の取水堰は改築されたものなのかもしれません。たぶん。
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どこへ送水?…大戸川取水堰

2022-09-01 07:04:02 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県甲賀市信楽町黄瀬(こうかし しがらきちょう きのせ)にある淀川水系の大戸川(だいどがわ)取水堰を訪れます。その位置は新名神高速道路の信楽インターの西で、アクセスは県道16号沿いの「ミホミュージアム」の看板のところのT字路を入っていくと到着します。

どうやら、これのようです。大戸川に設置された取水堰なんですが、ご覧のように川の周りに草が生い茂っていてよく見えませんね。



右岸、取水堰の横から見た様子です。



右岸から管理橋を見ると、こんな感じ。残念ながら立入禁止なので管理橋を渡ることはできません。



真横から見た取水堰の様子。取水口は左岸側にあるようです(写真中央)。



取水堰横から見た大戸川の上流方向の景色。



そして、下流側はこんな景色です。



当たり前のように「大戸川取水堰」と書いていますが、現場にはそれを示す看板はありません。グーグル先生の地図にそう書いてあったので行ってみただけのこと。また、ここから取水された水が何に使用され、どこへ送水されるのかはわかりませんでした。
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