ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

瞠目、瞠目!…七ヶ宿ダム

2022-09-24 07:02:34 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県刈田郡七ヶ宿町切通(かったぐん しちかしゅくまち きりとおし)にある阿武隈川水系の七ヶ宿ダムを訪れます。アクセスは国道113号沿いに「七ヶ宿ダム管理所」の看板があるので、そこを入って行くと到着します。

当該ダムは国道から入っていきますが、国道沿いには展望公園があり、そこから「ご尊顔」を拝むことができます。



展望公園はこの上にあります。その斜面には写真では分かりにくいですが「七ヶ宿ダム」の文字が見えます。



斜面には流木で作った「七ヶ宿オオクワガタ」がいます。



展望公園に上ると、こんなモニュメントがあります。何を意味しているのか、そして作者は不明。



そして七ヶ宿ダムの案内。洪水調節、流水の正常な機能維持、農業用水の供給、水道用水及び工業用水の供給を目的とする多目的ダムのようです。







改めてダムを眺めてみます。いやぁ、デカイな。



では、ダム横へ行ってみましょう。展望公園の横にある道を進んで行くと左岸に辿り着きます。



このあたりから下を見ると洪水吐の水路が見えます。



左岸から見たダム上。行ってみましょう。



先ほど見た洪水吐の水路をダム上から見ると、こんな感じ。



その遠景。



「しちかしゅくダム」のプレート。(左岸下流側)

「七ヶ宿ダム」のプレート。(左岸貯水側)


ダム上、中央から見た貯水側の景色。


湖上では定期的に噴水が上がっています。

「噴水打上開始の案内」1日に7回打ち上げがあるようです。


一方、下流側はこんな感じ。



「しちかしゅく湖」のプレート。(右岸下流側)

「七ヶ宿湖」のブレート。(右岸貯水側)


左岸、右岸のすべてのプレートは七ヶ宿ダムに関係した4人のエライ人たちが揮毫しています。

右岸の高所には「七ヶ宿ダム」の文字。



対岸(右岸)から振り返ると、こんな感じ。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



同、下流側からダムを見ると、こんな感じ。



【七ヶ宿の由来】(参考
そこらじゅうに「七ヶ宿」が出てくるので、その由来について調べてみました。現在は国道113号になっていますが、昔は「山中通小坂越」と呼ばれる街道で、この街道沿いに仙台藩が管轄する7つの宿場(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)があったことに由来するそうな。そのうち上戸沢宿と下戸沢宿は現在の白石市にあったもので、残る5つの宿場の中心は以前は渡瀬宿でしたが、七ヶ宿ダムの完成とともに水没。現在その役割は関宿地区が担っているそうです。また滑津(なめつ)宿には安藤家本陣の建物が残っており、他に峠田宿と湯原宿があります。

ちなみに安藤家本陣とは江戸時代の参勤交代の際、奥羽地方の13大名が宿泊もしくは休憩した場所のこと。参勤交代は1635年に徳川家光によって始められ、1867年の大政奉還まで続いた地方大名などを江戸へ出仕させる制度ですが、地方大名にしてみると道中が長いため各所で宿泊などをしなければなりませんでした。安藤家は天保期(1831-1845)以降その屋敷を宿泊所として奥羽地方の大名たちに提供したことで知られ、屋敷は昭和58年に修理されて現在に至っています。(参考

さて、左岸に戻ります。ダム横の道を奥へ行くと管理所があるようなので行ってみます。



管理所へ向かう途中の場所から見た洪水吐とダム本体の様子。いや、本当にデカイです。





七ヶ宿ダム管理所に来ました。入口のところにはたくさんの木彫りの動物やら魚やら人魚が置かれています。なんとも賑やか!









管理所から洪水吐を見ると、こんな感じ。



管理所の奥には「七ヶ宿ダム竣功記念碑」。平成3年(1991年)10月とあります。上のリンク先にダム築造の年表が載っていますが、それによると同年10月22日に竣工式が行われたとあります。



まあ、とにかくスケールが大きいので一度訪れてみたら良いと思います。
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