ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

右岸からどうぞ!…櫟野川砂防ダム

2022-01-22 06:59:01 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日の記事で櫟野川(いちのがわ)沿いにある複数の床固(とこがため)を見学してきました。で、今回は当初の目的地である淀川水系の櫟野川砂防ダムを訪れます。アクセスについては昨日の記事をご覧ください。

まずは「ご尊顔」をどうぞ。



左岸のダム横に来ました。そこには櫟野川砂防ダムの案内板があります。これによると1977年にまず砂防ダムとして計画されたが、後に農業用水を貯水する目的も追加され、1979年6月に工事を開始。そして1981年3月に完成したとあります。



竣工記念碑がこちら。



近くには「清流山静」と刻まれた記念碑。この四文字の典拠は不明です。櫟野川砂防ダム竣工記念なのはわかりますが、砂防事業100年記念とはなんでしょうね。





その答えはその記念碑の裏側に記されていました。滋賀県における砂防事業は調べてみると江戸時代の1686年に栗太郡と滋賀郡で行なわれたのが最初のようです(参考)。そこから100年となると計算が合いません。じゃあ砂防事業100年は何に基づくのでしょうか。どうやらそれは明治15年(1882年)にオランダの土木技師、ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)の指導のもとで滋賀県大津市上田上桐生町(かみたなかみきりゅうちょう)に草津川の砂防堰堤として「オランダ堰堤」の工事に着手したことに基づいています。デ・レーケは内務省技術顧問として1873年来日し、1903年に離日する30年間に滋賀県のみならず富山県などでも数々の業績を上げました(参考)。ちなみに「オランダ堰堤」(1889年完成)は2004年に土木学会選奨土木遺産に指定されています(参考)。



で、いよいよダム上に向かうんですが、ご覧の通りフェンスがあって左岸からは行くことができません。



その傍には「櫟野川砂防ダム」のプレートが申し訳なさそうにこちらを見ています。



でも、ダム上に行くことはできないものだろうか…。地図を見ると対岸(右岸)に行く道を発見。迂回してみました。すると、木の間から「ご尊顔」が!



ラッキーなことに右岸のダム横からダム上に行くことができたんです!



中央の落水部まできました。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。うーん、ゆったりしています。



ダム下の副ダムはこんな感じ。



ダム上、中央から右岸を見るとこんな感じです。



なぜ左岸からダム上に行ってはいけないのかは不明ですが、右岸から行けたので良しとしましょう。それにしても上に書いた「オランダ堰堤」、気になります。いつか行ってみたいと思います。
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